第9話 騎士団長、英雄を見る
身体を支配している鈍い痛みが主張し始め、霧がかっていた意識が戻ってくる。薄らと目を開けると、私は民家の壁にもたれかかっていた。
這う這うの体で瓦礫を退けてようやく顔を上げると、自身の血とはまた違う赤色が目に入った。
「ゆう、しゃ.......?」
目の前には勇者が立っていた。五体満足ではあるが、あちこち傷だらけで満身創痍だ。少女然としたその身からは、赤々と燃える炎が立ち上る。
勇者アダム。約一ヶ月ほど前に我らがアレーティア王国に召喚された勇者。しかしその性格は怠惰で無気力。実際に会話してみると、わざとこちらを挑発してくるような傲慢ささえ垣間見えた。スライムの大量発生を聞きつけ、戦えもしないくせにのこのこ着いてきた愚か者__だと思っていた。つい先程までは。
何だこいつは。まる3週間ほとんどろくな鍛錬をしていなかったはずなのに、初見のはずのスライムの核を次々に刈り取り、多くの市民を救う大立ち回りをしてみせ、こうしてこんなデカブツにも立ち向かっている。
勇者の魂を有していると言えども肉体はただの脆弱な少女のものであるはず。なのにこの強さは一体なんなんだ。
「.......ろしてやる」
彼女が、ゆらゆらと歩き出したかと思うとぼそりと小さく呟いた。一歩一歩歩みを進めるたびに炎は勢いを増し、ごうごうと音を立てながら鋭い熱気を放っている。
なんだあの炎は。火属性の魔法じゃない。しかし彼女の身体が燃えていないところを見るに、本物の火でもなさそうだ。くそ、目が霞む。
「殺してやるよ、デカブツ」
「!?」
消えた。アダムが顔を上げた途端、どこかへと掻き消えたように見えた。まるで夏場の陽炎のようだ。目元の血を拭ってあちこち見回すも、彼女の姿はどこにもない。
「なん__ッ!!?」
瞬間、大砲が落ちたかのような爆音と、爆風が外側から身体を叩いた。吹き飛ばされぬよう、咄嗟にその場でしゃがんだが、体中から冷や汗が止まらない。
なんだ今のは。あのデカブツの新たな攻撃か?爆発のように思えたが、辺りに充満しているのは煙...ではなく湯気?水蒸気か?そもそも彼女はどこへ行った?あんなものをマトモに喰らっては無事では済まないだろう。この地区は一時離脱し、王宮へ戻って再度応援を呼ばなければならない。彼女を連れて離れなければ。
ぐるぐると色々なことが頭を巡る。この局面において今一番大切なことは何かを考えなければならない。もうすぐこの湯気も晴れる。再び奴に補足されるその前に、何とかこの湯気に乗じて戦線離脱を__
「は...?」
辺り一面を覆っていた湯気が晴れる。目の前には、私の予想だにしなかった驚愕の光景が広がっていた。そこには文字通り烈火を身に纏い、人の頭ぐらいの大きさのものに刃折れの剣を突き刺している勇者アダムがいた。
広場は巨大スライムの重責で地盤がやや一部沈下しており、噴水やベンチなどは全壊状態だ。元の状態に比べればひどい有様だが、広場周囲の建物にはほぼ被害は無かった。あの地獄のような様相を呈していた大広場が、今やスライムの一欠片も見つけられない。
彼女が駄目押しするようにぐっと体重をかけて何か大きくて丸いものに刃を突き刺す。その赤い瞳はひたすらに冷酷で、敵に対して一切の油断も慈悲もない、勇者の顔だった。
戦闘中に髪紐が切れたのか、下りた黒髪が水蒸気でしっとりと濡れている。が、すぐに彼女を取り巻く焔が水分を持っていった。乾いた風に艷めいた黒髪が靡く。
__美しい。
それは、一人の修羅だった。彼女が纏う炎は、真っ直ぐに伸びた刀剣のようにただひたすら実直で強かった。
丸いもの__恐らくあの巨大スライムの核らしきものが二つに割れた途端、彼女の炎がふっと消えた。少女性を宿した華奢な身体がぐらりと揺れる。
「アダム!!」
思わず駆け寄ってその身体を支える。慌てて彼女の胸部に耳を当て、心音と呼吸を確かめる。とくとくと響く心音と僅かな呼吸が確認できた。どうやら疲労困憊で気絶しただけのようだ。だが出血が酷い。今すぐ医務室に放り込む必要があるだろう。
それにしても、あれだけ駆け回ってスライムを翻弄していたとは思えないほど細い肢体だ。倒れても手に握られていた剣は核を破壊した途端に木っ端微塵に大破してしまった。彼女の炎で加熱されスライムによって冷却されを繰り返した結果、鉄が内部から劣化して圧に耐えきれず瓦解してしまったのだろう。
「戦闘未経験の少女がアレを...己の炎で全て焼き尽くして核を穿ったとでも...?」
予想を口に出してよりその事実に戦慄した。咄嗟のことだった上、すぐに視界は悪くなってしまったから彼女が倒すところを直接見たわけではないが、あの巨大スライムをアダムが謎の炎で強制的に蒸発させ、結果倒したというのは間違いないだろう。広場には私たち以外の気配は無かったし、今現在の王都には私たち以上の戦力が集結するには時間がかかる。冷静に考えれば考えるほど彼女の存在に畏怖を抱いた。
人間、あまりに規格外なものを目の前で見せつけられると、その人物を神聖視して現実逃避しようとするのだと身をもって知った。
「団長ーッ!!ご無事ですかっ!?」
じっとその場に座り込んでいると、ぞろぞろと街道を走ってくる騎士たちの足音が聞こえた。存在を知らせるために手を上げて応答する。集まってきた皆に巨大スライムの討伐達成を告げると、総員が私を称えて沸いた。
「流石はイザベラ団長ですね!あんな怪物もひと捻りですかっ!」
「違う。あれは私じゃない、このアダムがやったのだ」
「は、は...っ?失礼ながら団長。勇者様は、未だ戦闘経験は一般市民と同等レベルであるとお聞きしておりましたが...?」
勇者様がですか、と騎士の一人が不思議そうな顔をしてこちらに尋ねてきた。私の腕の中で意識を失っているアダムと私を交互に見ては更に首を傾げて彼女の顔を覗き込む。そのスライムでねちょねちょになった顔は早く洗ってきて欲しいなとは思ったが、優しさで口には出さず、そのまま問いに答えてやる。
「確かに戦闘経験は無かったかもしれない。だが、まさしく彼女は『勇気ある者』だよ。...私たちは、良い時代に産まれたものだな。さあ、諸君。英雄の凱旋だぞ。道を開けろ」
むさ苦しいなお前たち、と騎士たちを掻き分けて王宮を目指す。これから私たち騎士団は後処理でてんやわんやだろう。街に残ったスライムたちの残党狩り、倒壊した建物や施設の補修、市民たちの心のアフターケア。それに、今回の騒動のそもそもの原因を調べる必要もある。やることは山積みだ。だが、今は共に戦った英雄を称えて労わってやることが騎士団長としての一番の仕事だろう。
皆が騒がしく後処理に走り回る中、一人佇んで少女の髪を撫でる。濡れ羽色の髪はすっかり血と砂に塗れてしまっていた。顔に着いた泥を拭ってやって反応を見るも、相変わらず微動だにしない。これだけ周囲が大騒ぎしても彼女は大人しく私の腕の中で眠っていた。
やはり彼女は千年に一度の大物だろうな。造形は人形じみてはいるが年相応な少女の寝顔にくすりと笑いながら、私は王宮へと歩を進めた。
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