第8話 女勇者、スライムを討伐する

ぬるい風が頬を撫でる。


先陣を切って進む騎士の半歩後ろを走っていると、不意に前世の記憶が頭をよぎった。ひどい頭痛がする。ここ最近はずっとそうだ。前世の記憶の中でメグが微笑むたび、あいつの笑顔と縄で吊られた最期の顔が交互にフラッシュバックする。最後の最後まで苦しみ抜いて死んだであろうその頬に伝う涙が、俺は今でもずっと忘れられなかった。


「__見えてきました!あちらです!!」


切羽詰まった騎士の声とあちこちからの悲鳴ではっと我に返る。街は阿鼻叫喚の渦に包まれていた。幸い建物を壊すほどの巨大なスライムはおらず、倒壊や火事などの二次災害は起きていないものの、街の至る所からスライムに飲み込まれた者達の悲鳴が聞こえてくる。


「勇者!貴様、鍛錬の一つもしていない癖に、どうして着いて来__」


「おい。それ、使わんなら貸せ」


「えっ!?...あ!」


プライドエベレスト女が何かを言いかけていたが、無視して勝手にそこらにへたりこんでいた騎士の剣を奪う。鞘から剣を引き抜き、放り投げると、近くに居たスライムへと思い切り突き立てた。


「ひいっ...!?」


びちゃりと衝撃で飛び散ったスライムの粘液を浴びた騎士が甲高い悲鳴を上げる。にしてもこいつはつくづく運がないな。勇者に剣は奪われるわスライムの粘液は間近で浴びるわ。ちょっと可哀想だから後で顔覚えてたら今後は優しくしてやろう。


スライムの方はきちんと核を突き刺したら呆気なくズルズルのジェル状になって動かなくなった。核も消滅しているし、これで死んだという判定になるのだろう。


一匹倒すと周りに散らばっていたスライムたちが次々に飛びかかってくる。ああ邪魔だなこいつら。仲間がやられたら一斉に来るタイプか。落ちていた木の板や建物などの遮蔽物を利用しながらスライムをいなし、抉るように奴らの核を潰して回る。手数が両手で足らない時には身体のバネを使って跳び上がり、屋根上へ回避。全く、なんで俺がこんなサーカスみたいな真似事をしなきゃならんのだ。


「き、貴様...何故これほどの力を.....」


「ごちゃごちゃ抜かすな。さっさと手伝いやがれ騎士団ども!国の大事を余所者に任せてんじゃねえよ!」


俺の言葉でやっと我に返ったらしいイザベラがようやく様子を見るように周囲を取り囲んでいたスライムを斬り付け始める。流石は騎士団長だけあってその動きには無駄がない。スライムの弱点を正確に理解している者の動きだ。


だが__


「ぐ、っ!数が多すぎる!!お前たちは戦闘より市民の誘導を優先しろ!勇者!貴様もだ!!こんなところに私と貴様が居ては他が困窮する!武力を分散__って最後まで話を聞けぇ!!!」


イザベラが吠えるが、そんな事はとうの昔にわかっている。俺としてはこいつらが動き出せばさっさと残っている市民たちの救助へ向かう予定だった。ので、俺はまだ後方で何か騒いでいるヒステリック女を放って走り出した。


あれだけの数のスライムにまとわりつかれながらもあそこまで元気なら下手な気遣いは不要だろう。民家の屋根を伝い、街の中央を目指して足を動かす。


「...!」


「お、おにいちゃ、足が...っ!や、やめて!あっちいって!!」


「う、わああああ!!やめろっ!離れろぉ!俺たちから離れろぉっ!」


高い悲鳴が聞こえる方向へ身を翻す。屋根から飛び降りて周囲を見渡すと、そこにはスライムに片足を飲み込まれながらも背後に妹らしき少女を庇う少年がいた。敵に認識されるより早く剣を閃かせ、スライムの核を破壊する。


「お、おねえさん...、だれ...?」


「お姉さんは勇者だ。お前たちを助けに来た」


すぐに兄の後ろへ隠れてしまった少女にそう声をかける。この国での勇者の肩書きがどのくらいの知名度を誇るかさっぱり分からんから効果は無いかもしれんが。何も言わずに去るような無駄なヒーロームーブをするより、相手の素性が少しでも知れた方が余程安心できるだろうと思ったからだ。


「ね、姉ちゃん...勇者様なのっ!?ほんとにっ?本物っ!?」


「ああ、本物だ。だからお前たちも避難しよう。ここは危ないからな。立てるか?」


良かった、勇者の肩書きは子供相手でもそこそこ使えるな。途端に目を爛々とさせて食いついてきた少年をなだめ、手を差し伸べる。


パッと見スライムに飲み込まれてはいたが溶解などはされていなかったので大丈夫だろう。立てる!と笑顔で立ち上がった少年の頭を撫でてやった。さっきまでスライムに足を飲み込まれていたというのに勇敢な事だ。スライムにビビり倒して武器を取られていたどこぞのへっぽこ騎士団とは大違いだな。


「あの青いテントが見えるか?あそこに騎士団のお姉さんがいるから、そのまままっすぐ向かうんだ。寄り道したら駄目だぞ?」


「うん!分かった!勇者様も気をつけてね!」


「ゆうしゃさま、けがしないでね...?」


「任せろ。俺は強いぞ。勇者だからな」


不安そうに涙を滲ませる少女の頭も撫でてやる。二人はしっかりと互いの手を握り合って走り出した。あいつらは素手でも家族のために魔物に立ち向かえた強い兄妹だからきっと大丈夫だ。逃げるだけなら動きの鈍いスライムには遅れを取らないはず。


再び街の中心へ目を向けると、まだまだ大量のスライムたちがぞろぞろと街路を這いずっていた。数を見るに、やっと三割削った程度だろう。


手近なスライムたちを次々と狩りながら中央へ向かっていくと、スライムたちの行動に変化が生じ始めた。何故か街の中央へ近づけば近づくほど、スライムたちは攻撃をして来なくなったのだ。連中はぞろぞろと列をなして真っ直ぐ何かを目指すように進んでいる。そしてその理由は、街の中心である広場に辿り着いた時に判明した。


「はは.....規模が違うなこりゃ...」


広場には、直径ぎりぎりの大きさにもなろう巨大なスライムがぷるぷると蠢いていた。町中のスライムがそいつに集結しているようで、小さなスライムたちが次々と巨大スライムに飛び込んでは吸収を繰り返してそのサイズを大きくしていく。この大きさなら建物でも何でも簡単に呑み込めるだろう。それは傍から見ても悪夢のような光景だった。


『異界の魔眼』で奴を視る。スライムはスライムとして事前に倒し方もビジュアルも想定していたものと変わらなかったために視ようとも思わなかったが、こいつにはそもそも核を破壊するための攻撃すら届かなさそうだ。その間にもじりじりと建物へ侵食する大きさになりつつあるスライムに焦燥を募らせる。


【名称:ギガスライム

たくさんのスライムが吸収・合体して生まれた特殊個体。他のスライムと同様、体の内部の核を破壊することで討伐可能】


いや、その攻撃の手段がことごとく通じなさそうだから困ってるんだけどな...。ダメだな『異界の魔眼』は。今はまだ見て分かる程度の情報しか拾えないようだ。俺のレベルが低いからか、スキルとしてまだポンコツすぎる。


「おい!勇者!!これはどういうことだ!?なんだあの巨大な魔物はっ!」


「俺に言われても。でかいスライムはでかいスライムでしかないだろうよ。連中の最後の手段ってやつか?」


路地裏の方から顔を出したイザベラが巨大スライムを見て悲鳴を上げる。それはまあそうだろう。誰だってこんなもんがいきなり目の前に現れたらビビる。


「くそ、何故こんなものがいきなり王都にっ!それに吸収して巨大化する個体など、今まで見たことも聞いたこともないぞ!?」


「まぁあいつ特殊個体らしいからな。策はあるのか?騎士団長さん」


「ある訳なかろうが!!なんだあのデカブツは!あんなものの前では剣も槍も矢も、まるでおもちゃではないかっ!」


「ま、だろうな。しかし困ったな。何も良い案が思いつかん」


「なっ...!?貴様、策があるからその余裕があるわけではなかったのか!死んだらやり直しなど出来ないのだぞッ!?」


きゃんきゃん騒ぐ犬二号はひとまず無視する。『異界の魔眼』でギガスライムを眺めるも、表示は相変わらずで打開策が見つかるはずもない。そもそも、あの巨体じゃ並大抵の物理技じゃどうにもならないだろう。それこそファンタジーらしく魔法でもないのかと思うが、お生憎様、こっちは王城すら出てないビギナー勇者なのだ。魔法なんて高尚なモンを期待されても困るというもの。


そう文句を言いながら思考を巡らせていると、不意に目の前の巨体がふるふると少し強めに震えたような気がした。


「?今__」


「勇者っ!!!」


イザベラの叫び声が聞こえた瞬間、体全体に激痛が走る。俺は数秒経ってようやく、自分が何かに殴られた衝撃で吹き飛ばされ、民家の壁に叩き付けられたのだと理解した。反応する暇さえ与えられなかった。遠くを見ると、イザベラも俺と同様に吹き飛ばされたのか、力なくぐったりと壁にもたれかかっていた。


震える体に力を込めて痛む頭を押さえると、ぬるりとした感触が伝わってきた。手の平には鮮やかな赤がべっとりとこびり付いてくる。自身に迫る強烈な死の予感からか、脳が激しく揺れているからか、身悶えするような吐き気に襲われる。五体満足に繋がっているのが奇跡みたいな痛みだ。


「ふ、.....はははははは」


ここまで来ると笑えてしまう。スライムなど、ゲームであれば序盤も序盤の敵であるはずだ。だがこれはゲームではない。実体があり、やり直しなどないリアルの世界なのだ。こんな思いをして、たかがスライム?とんだクソゲーだなこれは。


ぎしぎしとあちこち痛む体を無視して顔を上げれば、ギガスライムの触手のようなものがうねうねと揺れていた。こちらを煽っているようで非常に腹が立つ。恐らくアレで横からものすごい速度ですっ叩かれたのだろう。全身を強く打ち付けたのか、あちこちから血が流れ、関節に痺れるような鈍い痛みが走った。生命が濁り、頭と体が脱力していくのを感じる。身体が死に向かっているのを悟った。


死ぬのか、俺は。死にたくないな。まだ魔王倒してないし。こんな世界にあいつが生まれ変わったら、きっとお人好しだからすぐ危険な目に遭いそうだ。なんならあいつ優しいから魔物にも同情しそうだし。それから嫌な奴に騙されたりして、また不幸な目に遭うんだろうな。それは嫌だな。あいつには笑っていて欲しい。今度こそメグを俺の手で幸せにしてやりたいのに。


ああ。メグに、会いたい。


__必要条件を達成しました。

__スキル『???』を使用しますか?


スキル?『???』って...。ああ、そんなのあったっけな...。そもそも必要条件とかあったのか。まあ、もう何だっていい。使えるモンは何だって使ってやるさ。


俺はゆっくりと立ち上がった。震える二本の脚に力を込め、何とか体を支える。痛みはもう既にどこかへ消えてしまっていた。奴の姿を今一度拝んでやろうと目を擦る。


そうして、俺は確かに、霞む視界の中にゆらゆらと揺れる赤い炎を見た。

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