第4話 女勇者、散髪する
諸君、現実は小説より奇なり、という言葉を知っているだろうか。
それは英国の詩人バイロンの作品「ドン・ジュアン」中の一節から生まれた表現である。現実の世界で実際に起こる出来事は、空想によって書かれた小説よりも予想がつかず、かえって不思議であるという意味だ。
「にしたって限度ってもんがあると思うがね、俺は」
ボヤきながらずっとよそ見していた現実と向き合う。そう。向き合う瞬間は幾らでもあったのだ。風呂に入った時、あるはずのアレがなく、無いはずのソレがある身体。飯を食っていた時もちらちらちらちらと視界に入る長い髪。
なんでこんな身体にしてくれやがったんだとあの駄女神に向けて文句をボヤいていたが、奴はずっとフルシカトを決め込んでいる。取り付く島もなし。俺はついに現実と向き合うことにした。溜めに溜めた後、ぐわっっっと勢いよく前を見る。
そこにあったのは大きな姿見だ。頭のてっぺんからつま先まで余すことなく写す十分な大きさがある。その意匠は細部まで匠のこだわりが感じられる細やかで豪奢な装飾が施されており__ああもうやめだ。いつまでも逃げたところで虚しくなるだけだ。現実逃避はそろそろやめにしよう。
俺は鏡を__改めて、鏡の中に映ったものを見た。
映るのは女だ。裏表も分からなくなるほど煩雑に伸びた重っ苦しい黒い髪。その黒髪の向こうからドラキュラ伯爵もびっくりな赤い瞳が覗いている。顔色は決して良いとは言えず、まるで白磁の肌__を通り越して幽鬼のように青白い。もはや何もかもが投げやりになり、自暴自棄になった少女がそこにいた。ピピ、と窓の外から爽やかな風と共に小鳥が飛び去っていく。
「はぁあああああぁ........最悪の朝だ...」
そんな爽やかな朝とは裏腹に、鏡の中の少女は陰鬱にため息を吐く。あ、これ俺か。何度見ても信じられない。正直信じたくもない。
横に置いてあった水差しから桶に水を注ぎ、適当に顔を洗う。この邪魔な髪をまとめるものもないので、当然びっしょりと上半身が濡れた。一々不自由さにぶち当たるたびにイラッとする。
「取り敢えず、切るか」
うん、切ろう。ざっくりとやろう。現代なら髪は女の命だから軽率に切るなとか騒ぎそうな輩が一定数いるんだろうが、今の俺には他所様の下らんエゴよりも自分の利便性を取るほうが正しいに決まってるのだ。うん、俺こそ正義。これぞ唯我独尊。
などとくだらない弁解を一人で述べつつ、その辺にしまってあった適当な果物ナイフらしき小さな刃渡りのナイフを髪に添えて、バッサリといった。あんまり切りすぎて短くなっても朝起きた時に爆発しそうだな。パッツンにならないよう、前髪も適当な長さに揃える。ここは器用さがものを言うな。あ、もし誰かが掃除に来たら悲鳴を上げるだろうから、後で伝えておくとしよう。髪を一箇所に纏めて、と。
髪を切っても首元に当たって暑苦しかったので適当に布の切れ端で作った紐で纏めてしまった。ま、紐が切れたらその時だろう。
「...まあ、最初に比べればマシにはなったな」
再び鏡を見る。斜め後ろで括られた黒髪が肩下ほどまで垂れ、なんやかんや割とワイルドな仕上がりになって大変満足だ。顔の造形が悪くないせいか男に見えることはまず無いだろうが、随分とボーイッシュな印象にはなっただろう。
「さて、シャルに今日やることについて聞くとするか」
随分と頭も軽くなっていい気分だ。鼻歌を歌いながら上等なシャツに袖を通す。さて、どんな顔を見せてくれるだろうか、あの愉快な王子は。
俺は昨日より足取りを少し軽くしながら自室を出た。
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