第33話

 レストランに到着すると、二人は指定されていた席に着いた。ガラス張りの窓からは、綺麗な夜景が一望でき、店内には静かなBGMが流れていて、とても心地良い雰囲気だった。


 けれど、高級レストランという慣れない空間に、嶺奈は萎縮していた。


 テーブルマナーもうろ覚えで、こんなことなら、もっと教養を身につけておくべきだったと今更ながらに後悔する。


 彼に恥をかかせたくない。そう思うほどに、身体は緊張で強張り、自分の笑顔がぎこちなくなっているのが分かる。

 

 そんな彼女の心情に気づいたのか、彼は声のトーンを抑えて話かけてきた。


「そんなに畏まらなくても平気だよ。基本的なマナーさえ押さえてれば」

 

「情けない話だけれど、テーブルマナーに少し不安があるのよ……」

 

 嶺奈は平然を装うことを諦めて、彼に素直に告げた。


 知っているふりをして、後々恥をかくくらいなら、始めから宣言をしていたほうが、気持ち的にも少しは楽になれると思ったからだ。

 

「ああ……それなら、俺に合わせれば大丈夫。分からなかったら、聞いて。せっかく来たんだし、嶺奈には楽しんでもらいたいから」

 

 不安感を覚えている嶺奈とは対照的に、彼は慣れた様子で、フォークを手に取り、食事を始めた。


 そんな余裕綽々な態度の彼が羨ましくなり、嶺奈は思わず視線を逸らした。


 緊張してばかりで、余裕がないのは私だけみたい。なんとなく気づいてはいたけれど、やっぱり彼と私は住む世界がどこか違う気がして、自信を失っていく。


 良平さんは、私を喜ばせようと、ここに連れて来てくれたのに……。


「もしかして、拗ねた?」


「拗ねてない」


 上の空だった嶺奈は、彼に図星を指され、ぶっきらぼうに答える。

 

 自分がいじけた子供みたいで、恥ずかしくなってくる。おかげで、美味しいはずの食事は、噛んでも味がよく分からなかった。


 ふと視線を戻すと彼は口許に手を当てて、何故か笑いを堪えて、嶺奈を見ていた。

 

「どうして、そこで笑うの」


「いや、可愛いなぁと思って。嶺奈のそんな顔、普段はなかなか見れないから、新鮮だね」


「良平さんの可愛いの定義が分からないわ」


 嶺奈は笑われたことに対して、少しムッとして皮肉を返す。我ながら大人げないし、可愛げも全くない。


 それなのに、どうして当たり前のように可愛いなんて言えるのか、不思議でならなかった。


 他人のことをとやかく言える立場ではないけれど、彼は本当に変わってる人だと思う。


 そんなことを思っていると、彼はさらに歯の浮いたような言葉を重ねてくる。


「嶺奈が何をしても可愛いってこと」


「馬鹿にしてる?」


「してないし、本音」


 幾度かの言葉を重ね合ったところで、嶺奈は我に返る。品のあるレストランで、私達は一体何をしているのだろう。


 他から見たら、惚気合いをしているカップルにしか見えない。きっと、二人ともこの空間に酔っているだけだ。


 話を切り替えようと、嶺奈はフォークを静かに置いて、一呼吸ついてから口火を切った。


「良平さんに、一つ聞きたいことがあるの……」


「何?」


「前に一度だけ私に会ったことがあるって言ってたけど、やっぱりどうしても思い出せなくて……」


 嶺奈は、ずっと前から聞きそびれていた疑問を、彼に投げ掛ける。


 良平さんは私に会ったことがあると言っていた。それなのに、私は自分の記憶をいくら探ってみても、何も思い出せなかった。


 そもそも、普段から亮介以外の男性と交流する機会がなかった私には、何も思い当たる節がない。


 ならば、彼が他の誰かと思い違いをしている可能性のほうが高い。


「あれ? 話してなかった?」


「聞いてないわ」


「ごめん。嶺奈に伝えるの忘れてた。その話は長くなるから、帰ってからでいい?」


「話してくれるなら」


「ありがとう。家で改めて話すから」


 この話を上手くかわされたような気がして、一瞬だけ彼に少し違和感を覚える。


 けれど、その違和感を胸の奥に押し込めて、嶺奈は気づかないふりをした。

 

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