第29話


『話がある。会えないか』


 クリスマスの前日。仕事を終えて、携帯を確認すると一通のメッセージが入っていた。


 亮介からの連絡は数ヶ月振りだった。


「いつ?」


 嶺奈が端的な返信をすると、すぐに返事が戻ってくる。


『今日。どこかで落ち合おう』

 

 お互いの返信が短いのは昔からの癖だ。亮介はメッセージのやり取りが苦手で、余計な雑談をするくらいなら、直接会って話したほうが早いと、彼はいつも言っていた。


 そのことに関しては、慣れてしまったから、別段不満もなかった。


 けれど、良平さんの場合は違った。


 時間があれば、特に用事がなくてもメッセージを送ってくれる。それが、嶺奈には新鮮で、すごく嬉しかったのだ。


 変わらない亮介に安堵しているはずなのに、少し寂しく思ってしまうのは、何故なのだろう。


 嶺奈は胸に抱いた違和感を、見て見ぬふりをした。



 亮介が指定した場所は、お互いの生活圏から少し離れた飲食店だった。


 良平さんには帰宅が遅れると連絡を入れて、最寄り駅に向かう。


 後ろめたさがないと言えば嘘になる。


 けれど、どのみち亮介には近況を聞かなければと思っていた。だから、嶺奈はこのチャンスを逃さないように、駅へと向かう歩みを速めた。


 飲食店に到着すると、彼はすでに個室に通され、嶺奈を待っていた。


「ごめんなさい。遅れた」


「大丈夫。俺も今着いたから」


 亮介の言葉に嘘はないようで、テーブルに置かれていた伝票は、現在の時刻が印刷されていた。


「何か食べるか?」


「飲み物だけにしておくわ」


 彼からメニュー表を受け取り、嶺奈はソフトドリンクを注文する。


「それで、話って何?」


 良平さんを独り自宅で待たせている以上、あまり長話は出来ないと思い、嶺奈は率直に訊ねた。


「……離婚調停を取り止めることになった」


 一呼吸を置いて、ようやく絞り出した亮介の声は、あまりにも低くて聞き取り難かった。


「……え?」


 微かに聞こえた言葉を脳裏で繋ぎ合わせる。けれど、信じられなくて嶺奈は呆然とした。

 

 寝耳に水とは、まさに今のこの状況をいうのか。期待していた答えとは違う言葉に、嶺奈は自身の耳を疑った。


 どうか、聞き間違いであって欲しいと。しかし、その願いもすぐに撃ち砕かれてしまう。


「色々……あってさ」


「そう……」


 相づちを打つので精一杯だった。


 色々って何? 離婚するって、あんなに意気込んでいたくせに、期待してたのは私だけ?

 

「悪い」


 亮介は重い沈黙を破るように、謝罪の言葉を述べる。


「仕方ないわ。簡単に離婚できるような相手じゃないって、亮介言ってたでしょ」


「それは……そう、なんだが」


 どうして、そんなに歯切れが悪いの。

 どうして、私の目を見て話してくれないの。


 俯いて視線を合わせようとしない亮介の曖昧な態度に、徐々に苛立ちが募り始める。


 やっぱり、あの日の言葉は嘘だったの?


 だったら、どうして私に気を持たせるようなことを言ったの?


「いい……。最初から分かってたことだから。亮介は、本当は美緒さんと離婚する気はないんでしょ」


 嫌な妄想が脳裏を占める。


 本当にどうしようもないくらい、私は馬鹿みたい。

 

「違っ! 俺は……」


「違うなら、理由を教えて。このままじゃ帰れないわ」


「…………」


 嶺奈の強い口調に、亮介は全てを拒絶するように頑なに口を閉ざす。無言は肯定の証だった。


 連絡が無かった数ヶ月の間に、彼に何かがあったのだろう。そして、それは亮介の意思を揺らがせるのには、十分な時間だったに違いない。


 けれど、揺らいでいたのは私も同じで、自分のことを棚に上げて、亮介を強く責めることは出来なかった。


 どうして、私達はこんなにも意思が弱いのか。他人に絆されてばかりで、自分の意思では何一つ決められない。


 似た者同士と言えば聞こえはいいが、端から見れば、酷く滑稽に映るだろう。


「美緒に権力を盾にするのは辞めろって言ったんだ。そしたら、私だって本当はこんなことしたくないって返された」


 ようやく、重い口を開いた亮介。けれど、言葉の意味が分からなかった。


 こんなことって、亮介に無理矢理結婚を迫ったこと? それとも他の理由があるの?


「本当に好きな相手に、少しも振り向いてもらえない私の気持ちが分かる? 周りから、社長令嬢だって遠巻きにされてた私の気持ちが、貴方に分かる? 美緒はそう言ってた」


 美緒さんの言っている言葉の意味が、私にはどうしても理解出来なかった。


 社長令嬢の権力を振りかざしたのは、他でもない彼女本人だ。だから、亮介は結婚せざるを得なかったというのに、どうして彼女はそんなことが言えるのだろう。


 

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