第28話

 薔薇園で再会した日以来、亮介からは何の連絡もなかった。その間に数ヶ月が過ぎて、季節は年の瀬に迫りつつあった。


 不安が無いわけではない。けれど、自分から連絡出来ないのは、良平さんに対する引け目と、亮介の忠告を守るためでもあった。


 私から連絡をすることで、亮介が不利になってしまうのなら、そんな軽率な真似は出来なかった。


 一度だけ、良平さんに会社での亮介の様子を聞こうと考えたけれど、すんでのところで思い止まった。


 そんなことを聞いてしまえば、不審に思われてしまうし、何より、良平さんは亮介に対して悪感情を抱いている。


 彼の逆鱗に触れるのだけは避けたかった。


 やっぱり、あの日の亮介の言葉は嘘だったのかもしれない。一時の感情と薔薇園という非日常の空間に流されて、また騙されただけかもしれない。


 それでも、亮介を信じたいと思ってしまう自分がいるのも事実で、ジレンマに囚われた嶺奈の心の天秤は、いつまでも不安定に揺れ動き続けていた。




 週末の夜。

 

「嶺奈、クリスマスの日は予定ある?」


「平日だから仕事。それ以外は何も」


 立花に問われ、嶺奈は逡巡することなく答えた。


 今まで特別仲の良い友人がいなかった嶺奈は、クリスマスを誰かと一緒に過ごすという経験をしたことがなかった。


 大学生時代のときに、一度だけクリスマスパーティーに誘われたことがあったものの、バイトに明け暮れていたせいで、翌年からは声すら掛けられなくなってしまった。


 そういえば、亮介と付き合っていたときも、特別なことは何もしなかったことを思い出す。


 二人でショートケーキを食べたくらいだ。


 だから、クリスマスと聞いてもいまいちぴんとこないし、どうして皆が浮き足立つのか理解出来ない。


「なら、外食でもしようか」


「良平さん、仕事で忙しいんじゃないの?」


「だいぶ落ち着いてきたし、平気だよ」


 一瞬、無理をしているのではないかと思った。けれど、彼はそんな嶺奈の心配を掻き消すように言葉を続けた。


「仕事が忙しくて、嶺奈に寂しい思いをさせたから、クリスマスは二人で楽しみたいなっていう、俺の密かな願望。だから、叶えさせて?」


 ほら、またそうやって甘える。


 私が甘えられることに弱いと知っていて、お願いされたら断れないことも分かった上で、良平さんはこの話をしている。


 彼もまた策士家の一人だと思う。いつも心の隙間に、するりと入り込んでは、嶺奈の遠慮も拒絶も、全てなし崩しにしてしまう。


「分かった。楽しみにしてる」


 彼の提案を無下に出来なくて、嶺奈は了承した。


「プレゼントも用意するから、楽しみにしてて」


 良平さんの笑顔を見る度に、心が軋んで酷く痛む。


 私はとても残酷なことをしている。その自覚があるのに、彼を傷付けるのが怖くて、亮介のことを言い出せずに、今日までずるずると過ごしてきた。

 

 傷付けないために、傷付けるような嘘をついては、自己嫌悪の繰り返しで、矛盾していると、自分でも分かっているのに。


 この苦しさは、いつになれば解放されるのだろう。けれど、やがて事実を知ることになる彼の苦しさに比べれば、この苦しみは掠り傷でしかない。


 だから、私は最後の日まで耐えるしかない。


 今年も後少しで終わりを迎える。


 残り一枚になった壁掛けカレンダーを眺めて、嶺奈は物思いに耽る。


 私が30歳を迎えるまで、残された時間は約八ヶ月しかない。来年の八月、私はどんな日々を過ごして、私の隣には誰がいるのだろう。


 きっと、良平さんの隣に私は居ない──。


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