第27話 カクテルで酔わせて。
嶺奈が覚悟を決めた日の夜。良平さんは珍しく定時で帰宅した。
二人で静かに夕食を済ませると、彼がキッチンからよく冷えたワインボトルを手にして、リビングに戻る。
「嶺奈って、確か、お酒苦手だよね」
「ええ、甘いカクテルなら飲めなくもないけど」
リビングのソファに座り、ボトルをテーブルに置くと、慣れた手つきでコルクを外す。ワイングラスに注がれた濃い葡萄色は、醸造酒特有の甘い香りがして、この香りだけでも酔ってしまいそうだった。
「なら、嶺奈用にカクテル作ってあげるよ」
「作れるの?」
「と言っても、炭酸水で割るだけの簡単なものだけど。飲みやすくはなると思うよ」
そう言って、彼はあらかじめ用意していたグラスにワインと炭酸水を入れると、軽く混ぜ合わせた。
濃い葡萄色をしていたワインは、淡いピンクに変わり、炭酸水の粒子が、グラスの中で弾けては消える。
「飲んでみて」
出来上がったばかりの彼特製カクテルを一口飲んでみると、ワイン特有の渋みが炭酸水によって和らいでいて、飲みやすかった。
「美味しい……これなら、私でも飲めるわ」
「それは良かった。でも、飲み過ぎたら駄目だよ」
優しく咎める良平さんに、不意に切なさを覚えて、視線を逸らした。
こんな風に、まともに会話を交わすのは、とても久し振りで、どうしたらいいのか、分からなくなる。
自然と口数が減ってしまうのは、彼に対して遠慮と罪悪感を抱えていたからだ。
そんな嶺奈の様子を察して、彼は問い掛ける。
「……何かあった?」
「え?」
「今朝からぼーっとしてたし、理由も話してくれなかったから」
「……それは」
彼に問われて、脳裏にちらついたのは亮介のことだった。
薔薇園で私と亮介が再会したことを良平さんは知らない。そこで、私達がどんな会話をしていたのかさえ、彼は知るよしもない。
けれど、言えるわけがなかった。今、言ってしまったら、私は良平さんをこれ以上ないくらいに、酷く傷付けてしまうと分かっていたから。
「ちょっと……疲れてるだけだから、平気よ」
咄嗟についた嘘は、彼の目をうまく誤魔化せているだろうか。
緊張と不安で喉が渇き、嶺奈はカクテルを勢いよくあおる。けれど、炭酸の刺激が喉をついて、むせてしまった。
「……っ」
「一気飲みなんかしたら、酔いが回るのが早くなる」
彼は嶺奈の行動に驚き、僅かに残ったカクテルのグラスを取り上げた。
動揺を悟られないよう振る舞う度に、空回りをして彼に心配をかけてしまう。
「ご、ごめんなさい。とても美味しかったから、つい」
「お酒は時間をかけて、ゆっくりと楽しむものだよ。さっきみたいなことをするなら、嶺奈にはもう飲ませられない」
再度、彼に咎められて嶺奈は目蓋を伏せる。なんだか、身体が熱く感じてしまうのは、慣れないお酒をあおってしまったせいなのか。
思考が徐々にぼやけて、急激な眠気に襲われる。
「嶺奈、本当に大丈夫? 今、水を持ってくるから待ってて」
嶺奈の異変に気づいた立花は、新しいグラスに水を注いで、彼女に手渡す。けれど、うまく手に力が入らず、グラスを掴むことが出来なかった。
その様子を見かねた彼は、自身の口に水を含むと、嶺奈に口移した。お互いを介して流れていく水を素直に受け入れる。
飲みきれずに零れた水が、唇の端から伝い落ちていく。
嶺奈がゆっくりと目蓋を開くと、彼はそっと視線を外した。
「……それは、俺を煽ってるの?」
「どういう、意味……?」
すっかり酔いの回った嶺奈は、彼の言葉の意味をすぐには理解出来なかった。
アルコールによって紅潮した頬に、熱を帯びたような嶺奈の視線は、彼の感情を揺さぶった。
こんな風に、何も考えられなくなれば、私は楽になれるのだろうか。感情のままに動けたら、どれだけ良かっただろう。
嶺奈は右手を差し出して、彼の顔に触れた。
私が好きなのは、亮介なのか。良平さんなのか。それすらもよく分からなくなってくる。
全部、忘れてしまえれば、誰も傷付けに済んだのに。
彼に腕を掴まれ、ソファに押し倒される。
抵抗することが出来なかったのは、きっとアルコールのせい。
そうやって、自分を正当化して、重なる唇を嶺奈は受け入れた。
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