第三章
第26話
離婚調停中の身である亮介は、嶺奈に忠告をした。
「離婚が成立するまでは、なるべく会うのも連絡を取ることも控えよう。相手はあの美緒だからな。
もし、俺と嶺奈の関係が知られれば、何をされるか分かったもんじゃない。俺だけならともかく、嶺奈を危険に晒すのだけは嫌なんだ」
亮介の言葉を素直に受け取り、嶺奈は頷く。
彼の話を聞いていて、嶺奈が内心思っていたこと。……美緒という女性はとてもしたたかで、策士家だ。
亮介を自分のものにするためなら、手段は選ばない。だから、こんなことになってしまった。
二人を引き裂いたのは、美緒だ。
その彼女が、二人の関係を知ってしまえば、間違いなく、不利になるのは亮介のほうで、私も不倫相手として、慰謝料を請求される可能性もある。
一番の最悪の結末は、亮介が離婚を出来なくなってしまうことだ。
そうならないために、亮介は嶺奈に釘を刺した。その覚悟はあるのかと──。
「でも、どうしても寂しいなら連絡してくれ。嶺奈にだけ我慢させるのはもう嫌だからさ」
「ありがとう……。でも、平気よ。我慢なら慣れてる」
私は何度、過ちを犯せば気が済むのだろう。自身が背負った十字架は、あまりにも重すぎた。
立花とのすれ違い生活は未だ続いていた。
それでも、以前よりは仕事が落ち着いたのか、お互いに顔を合わせる機会が増え、嶺奈は居心地の悪さを感じていた。
同棲を辞めたいと言ったら、彼は気付いてしまうだろうか。
「……嶺奈。……嶺奈?」
名前を呼ばれ、はっとする。立花は嶺奈の様子を心配そうに見つめていた。
「な、何?」
「だから、明日は久しぶりに休みが取れそうなんだ。どこかに出掛けようかって話なんだけど、聞いてた?」
「聞いてた……」
朝食を摂る手を止めて、嶺奈は視線を彷徨わせる。こんがりと焦げ目のついたトーストは手付かずのまま、すっかり冷めてしまっていた。
食欲が無いわけではない。
けれど、考え事に耽っていたせいで、彼の話を聞いていなかった。
こんなことでは、すぐに気付かれてしまう。
亮介に思いが揺らいでいること。彼に隠すと決めたのなら、最後まで貫き通さなければいけない。
嶺奈は、ぎこちなく微笑み、席から立ち上がる。
「もう行かないと」
「待って」
食事にも手をつけず、わざとらしい態度をとる嶺奈を、彼は当然見逃すはずもなかった。
「遅れるから、話ならまた後で──」
「俺から逃げないでって、言ったよね」
「…………」
咄嗟に背を向けた嶺奈を、立花は腕を掴んで引き留める。僅かに痛むのは自分の心か、それとも掴まれた腕なのか、嶺奈には分からなかった。
「嶺奈」
「良平さんも仕事に遅れるといけないでしょ?」
彼が諭すように声をかけても、嶺奈は頑なに口を閉ざして、話すことを拒んだ。いつまでも変わらない彼女の態度に、諦めたのか立花は掴んでいた腕を離した。
「なら、今日は仕事早めに終わらせるから。待ってて」
「……分かった」
そう言い残すと、彼は足早にリビングを出ていく。リビングに独り残された嶺奈は、苦し気な表情を浮かべて、立ち尽くしていた。
──ごめんなさい。良平さん。
私は優しい貴方を裏切った。
胸中で何度、懺悔の言葉を並べてみても、彼には届かない。
良平さんは私が裏切ったと知ったら、どうするのだろうか。
酷く罵るのか。軽蔑するのか。
その時が来たら、私は彼のどんな罵詈雑言も受け止める覚悟は出来ている。
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