第25話 堕ちる罠。


「情けない話だけど、脅されてたんだ。美緒に」


 秋空を見上げ、亮介は昔話を語るように言葉を紡ぎ出した。


「美緒さんって、亮介の結婚相手の人よね」


「そう。美緒が俺の浮気相手でも構わないから、私と付き合って欲しいって言ってきたんだ」


 あんな可憐な女性に迫られたら、世の男性は断ることなんて出来ないのではないかと、彼女の姿を思い出しながら目蓋を伏せる。


「…………」


「もちろん、最初は婚約者がいるからって断ってた。けど、だんだんあいつの様子がおかしくなってさ。私と付き合ってくれないなら、お父様に言いつけるからって脅してきて……」


 それでも、亮介は頑なに断り続けていた。けれど、結婚せざるを得なかったのは、美緒の父親──つまり、岡田カンパニーの社長が、亮介に取引を持ち掛けてきたことが悪夢の始まりだったのだ。


 美緒と結婚をするか、会社を辞めるかの選択を亮介は迫られていた。


 ならば、会社を辞めると亮介は初めは決意していた。けれど、岡田カンパニーの社長は、この会社を辞めたら、次の会社へ就職出来ないようにしてやると脅してきたのだという。


 亮介は嶺奈との結婚式の資金を貯めるという目標があった。ただでさえ、日頃から嶺奈に対して、寂しい思いをさせている自覚が彼にはあった。


 だから、二つを天秤にかけたとき、僅かに揺れ動いたのは、資金調達という目標だった。


 美緒には悪いが適当なところで、結婚を破談にし、亮介は嶺奈の元へと戻る打算だったのだ。


 しかし、その予定が狂ったのは、美緒のとある一言が原因だった。


『私、妊娠したみたいなの』


 あり得るはずのない事実。亮介は必死に否定した。けれど、美緒のほうが一歩上手だったのだ。策士の彼女に周りを固められ、逃げ場を失った亮介は、結婚という道を選ばざるを得なかった。


「嶺奈に相談していれば、こんなことにはならなかったかもしれない。けど、変なプライドが邪魔して出来なかったんだ」


 嶺奈は亮介から明かされた真実に、涙を溢し、嗚咽を洩らしていた。


 亮介が冷たくなった理由も意味も、全ては私のためだった。


 それなのに、私は亮介に捨てられたと勝手に勘違いをして、復讐をしようとした。


 そんな自分が酷く滑稽で、許せなかった。


「ごめんな、嶺奈」


 もう、あの日のように触れてはくれない亮介に、嶺奈は身が引き裂かれるような思いだった。


 亮介の本当の気持ちを聞くのが怖くて、逃げた私に彼を責める資格は一つもない。


「亮、介……」


 ──行かないで。


「だから、嶺奈には幸せになってほしい。俺が出来なかったから」


 ──待って。私は……私は。


「もう、一度……。私達はやり直せないの?」


 言ってはいけない言葉を口にしていた。


 良平さんが懸念していたのは、このことだったのか。彼は亮介の事情を知っていたのかもしれない。


 だから、あんなことを言って、私に何度も確認をして約束をさせたのだろう。


 私の心が揺らいでしまうことを分かっていたから──。


「……それ、どういう意味か分かって言ってる?」


 分かってる。分かってる。


 こんなの、亮介も良平さんもどちらも傷付けてしまう選択だってこと、分かっていて言っている。


 最低なのは──私だった。


「……分かってる」


「嶺奈にその覚悟はあるのか」


 責めるような亮介の冷たい言葉に、嶺奈は頷いた。


 もしも、あの日に戻れるのならば。


 私は──を選ぶ。


「引き返すなら、今だからな。よく考えろ」


 亮介は念を押す。それは、嶺奈に後悔をさせないための、優しさか。それとも──。


 罪を犯した二人のもとに、幸福はきっと訪れてはくれない。


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