第24話 あの日の薔薇園。

 それから数週間後のことだった。


 嶺奈は独りで休日を過ごしていた。案の定、彼は仕事で朝早くに出て行ってしまった。


 寂しさを紛らすように、嶺奈がふらりと出向いた先は薔薇園だった。


 季節は初秋を迎え始めていた為、薔薇園に咲いている薔薇は種類が少なく、どこか哀愁を感じさせる景色になっていた。


 まるで、自分の心を投影したような景色に、物悲しさが胸を絞めつける。


 良平さんが側に居てくれたら、この景色も違って見えたのだろうか。


 お互いの心が離れ始めていると感じているのは、私だけだろうか。


 そんなことばかりを考えながら、薔薇をぼんやりと眺めていたせいで、嶺奈は後ろにいる人物に気がつかなかった。

 

「──嶺奈?」


 振り向くと、そこに立っていたのは亮介で、彼も偶然の再会に驚きを隠せないでいた。


「亮介……。どうして、ここに」


「いや、嶺奈こそ……」


 気まずい空気が二人の間に流れ、互いに沈黙する。


 亮介と再会したのは、合鍵を返して貰った日が最後だった。彼はあの日を境に、一切の接触を計ってはこなかったのだ。


 だから、驚いた。


 よりによって、この薔薇園で再会してしまうとは思わず、思考が固まる。


「良平は?」


 亮介は躊躇いがちに問い掛ける。


「仕事」


「そうか……」


 良平さんは亮介と同じ営業課と言っていた。なら、亮介も仕事なのでは? と、嶺奈は疑問に思った。けれど、聞きたい気持ちを我慢して、無言を貫く。


 その態度に拒絶の意思はないと悟ったのか、亮介は小さくため息をつく。


「そっち、行ってもいいか」


「ええ……。どうぞ」


 嶺奈の許可を得て、亮介は彼女の隣に立ち、薔薇を見下ろす。


 不意に思い出したのは、初めて二人で薔薇園に訪れたときのことだった。


 あの時は初春で、鮮やかな薔薇に囲まれ、甘い華の香りに誘われて、心を踊らせていた。


「なんで、ここに来たんだ?」


 亮介に問われ、嶺奈は返答に詰まる。


「分からない。けど、気付いたらここに来てた」


「俺も同じ。なんとなく、この薔薇園に来たくなってさ」


 きっと、懐古しているのは私だけじゃない。二人は無言のまま、薔薇を眺める。


「嶺奈は今、幸せか?」


「…………」


 さっきから、どうして私が答えにくい質問ばかりするのだろう。


「幸せよ」


 亮介に弱味なんて見せたくない。そう思った嶺奈は咄嗟に嘘をついた。


「前から思ってたけど、嶺奈って嘘つくの下手だよな」


「嘘なんてついてない」


「嶺奈が左腕を押さえるのは、嘘ついてるときか、不満を我慢してるときの仕草」


 亮介に指摘されて、初めて自身の無意識の行動に気付く。


「……知ってたの?」


「何年、一緒にいたと思ってんだよ」


 じゃあ、どうして、付き合ってたときに言わなかったの。嶺奈は亮介を責め立てたくなった。


「気付いていたのなら、言って欲しかった」


「悪い。昔から、そうやっていじけてんの可愛かったから。黙ってた」


「可愛い……? そんなこと、付き合ってたときは一言も言ってくれなかったくせに」


「だから、悪かったって言ってるだろ。恥ずかしかったんだよ、あの時は」


「……終わってから、そんなこと言わないでよ」


 そんなことを今さら言うなんて、ズルい。


 今まで知らなかった亮介の一面が、少しずつ垣間見えていく。


 不器用過ぎるんだ、私も彼も。


「離婚調停することになった」


 唐突な言葉を重ねる亮介は、どこか清々しい表情をしていて、嶺奈は複雑な心境を抱いた。


「それを私に言って、どうするの」


「別にどうもしない。ただ、嶺奈に言いたかっただけだから」


 嶺奈が落とした視線の先に、以前彼が嵌めていた結婚指輪がないことに気づいた。


「浮気なんてしてないって言ってたよね? じゃあ、本当の理由はなんなの」


 あの日、亮介は何を言いかけていたのか。ずっと気になっていた。だから、嶺奈は思い切って訊ねた。


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