第23話 鳥籠の中。


「うん。それは分かってる。けど、俺だって不安がないわけじゃない。もし、阿久津に寄りを戻そうって言われたら、嶺奈はどうする? 全く靡かないってことはないでしょ」


 立花の棘のある言葉に嶺奈は、内心少し苛立ち始めていた。


 疑われるようなことをしたのは私だ。けれど、こんなふうに言われるのは正直言って、納得いかない。


「ないわ。それだけは言い切れる」


 つい語気が強くなってしまったのは、良平さんの言葉の真意を計りかねているからだ。

 

「…………」


 嶺奈を見つめる立花の寂しそうな瞳が、微かに揺れる。


 どうして、そんな瞳で私を見るの? 私のことを信じていないのは、良平さんのほうじゃないの?


 そう思いかけて、続く思考を遮断した。


 ──不安。彼が口にしていた言葉を頭の中で反芻する。


 私が良平さんを不安にさせてるんだ。だから、試すようなことばかり言って、本当の気持ちを確かめてる。


 どうしたら、分かってもらえるんだろう。


「ごめん。こんなこと言うつもりはなかったんだけど。……嫉妬するなんて見苦しいな、俺は」


「亮介に嫉妬してたの?」


「してたし、今もしてる。本当なら阿久津の名前すら口にしてほしくない」


 良平さんが嫉妬なんてするようには見えない。でも、先ほどの意地の悪い問いも、嫉妬からくるものだとしたら、納得する部分もある。


「どうしたら、良平さんは安心してくれるの」


 私が彼の不安を一つでも多く取り除けるなら、それに越したことはない。


「側にいて。俺から離れないって、約束してくれる?」


 嶺奈の瞳に映る彼の姿は、酷く儚げで、触れれば蜃気楼のように、呆気なく消えてしまいそうだった。


 私はもう大切な人を失いたくないの。


 そんな感情に突き動かされ、嶺奈は口を開いた。


「約束するわ。良平さんが望むのなら、私はずっと貴方の側にいる」


 そう言って、嶺奈は彼を抱き締めた──。




 亮介に自宅を知られている嶺奈は、早々に立花の自宅マンションへと引っ越し、同棲を開始した。


 さすがに職場を変えることは出来なくても、これなら待ち伏せされる確率も少しは下がるだろう。


 心配はないはずだった。


 けれど、現実は違った。


 二人で約束を決めて始めたはずの同棲生活は、釦をかけ違えたように、すれ違いの日々が続いた。


 仕事で忙しいのは分かっている。でも、こんな生活なら、独りで過ごしていた日々と何も変わらない。


 毎日定時で帰宅する嶺奈と、いつ帰ってくるかも分からない彼。嶺奈の不満や不安が蓄積していくのに、そう時間は掛からなかった。


「……ん」


 寝室で眠っていた嶺奈は微かな物音に気付き、意識を覚醒させる。


 暗がりで、姿はよく見えないけれど、この煙草の残り香は彼のものだ。


「良平、さん……?」


「ごめん。起こした?」


「……平気」


「眠ってていいよ」

 

 気だるげな身体を起こそうとして、彼に止められる。


 一目でもいいから、彼の顔が見たい。触れたいと思うのは、私の傲慢かもしれないと逡巡する。


 けれど、こんなに近くにいるのに、側にいるのに触れられないのは、辛くて苦しい。 


 気の利いた言葉が浮かばず、嶺奈は開きかけた唇を閉口する。


「明日も仕事なの」


 無意識に零れ落ちた言葉は、彼を責めているようで、自分自身に嫌悪した。


 こんなことを言いたいんじゃない。


「分からない」


 嶺奈を突き放すような彼の一言に、心の奥で燻り続けていた、何かが一気に崩れ落ちる音がした。


「……なら、私はいつまでこうしていればいいの。いつまで我慢していればいいの」


 私は、本当は我慢強くはない。


 必死に隠して塞き止めていたものが溢れ出し、止まらなくなる。


「良平さんは、私をここに繋ぎ止めておければそれで満足?」


「満足なんて誰が言った? 俺はそんなこと一言も言ってない」


「じゃあ、この状況はなんなの? まるで鳥籠の中に閉じ込められてるみたいじゃない」


 羽根を喪った鳥は蒼穹を見て、思い焦がれる。嶺奈はいつか読んだ童話を思い出す。


 そして、鳥は鍵のかけ忘れた扉から脱け出して、最後は──。


「疲れてるんだよ。お互いに。話なら日を改めよう」


「……そうね。少し言い過ぎたわ。ごめんなさい」


「俺こそ、ごめん。寂しい思いをさせて」


 我が儘を封じるように、彼は口づけを落とし、嶺奈は溢れる感情を押し込んで、ただ受け入れるしかなかった。


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