第22話


『これからしばらくは、今までのように会えなくなるかもしれない。ちょっと、会社で色々有って……』


「分かった」

 

 立花から電話を受けた嶺奈は、簡素に一言だけ答える。


 毎週の習慣が無くなると聞いたとき、心にぽっかりと穴が空いたような気がした。


 それでも、すぐに肯定したのは彼の重荷になりたくなかったから。


 結局、私は誰と居ても、自己犠牲で済ませてしまう癖が取れないようで、それは良平さんに対しても同じだった。


『それと、明日大事な話があるから』


「大事な話? 電話では出来ない話なの?」


 大事な話があると言われると、つい身構えてしまう。亮介のときのように、突然別れを告げられるのではないかと、不安に思ってしまうのだ。


『うん。直接会って話がしたい。嶺奈にとっても、悪い話じゃないと思うから』


「……じゃあ、楽しみにしてる」


 良平さんはいつもこうやって、私の心の不安を和らげる。その気遣いがとても嬉しくて、つい胸が高鳴ってしまう。


『うん。楽しみにしてて。……おやすみ』


 通話を終えた嶺奈は、思考を巡らせた。話って、一体なんのことだろう。


 私が喜ぶようなこと……。


 誕生日は一ヶ月以上も前に過ぎているし、記念日にしては早すぎる。そんなことを止めどなく考えていると、時刻はすでに新たな日付を迎えようとしていた。

 

 


 翌日、嶺奈は立花の自宅にいた。彼の自宅に訪れるのはこれで二回目。まだ、慣れずに少し居心地の悪さを感じる。


 彼女なのだから堂々としていればいいのに、そう出来ないのは、まだ恥ずかしさがあるからなのか。


 一服を終えた彼は煙草の火を消して、テーブルを挟んで、向かい合った嶺奈を見据える。

 

「一緒に暮らそうか」


「え」


 あまりにも唐突過ぎる彼の言葉に、嶺奈は一瞬、聞き間違いかと思った。

 

 彼の言葉は例えるなら『今から出掛けようか』くらいの軽いニュアンスだったからだ。


「同棲。嶺奈は嫌?」


「嫌とかじゃなくて、どうしてそういう話になったの? 展開が見えない」


「会えなくなっても、平気なんだ?」


「……仕事なら、仕方ないと思うわ」


「俺は、そうやって我慢されるのが一番嫌い」


 胸の内を見透かされて、逃げ場を失う。


 本当は寂しいし、会えなくなるのは嫌。


 でも、それを言ったところで、彼が無理をするのは分かっていた。だから、拒もうとしたのに。


「それともう一つ。俺に隠してることがあるよね?」


 隠してること? 急に言われても思いつかない。嶺奈は必死に考えを巡らせる。


「何のこと?」


「阿久津と会ったこと」


 嶺奈の問いに、立花は間入れずに答えた。その瞬間、冷や汗が首筋を伝う。嶺奈は再び沈黙した。


 どうして、そのことを知っているのだろう。彼に心配をかけないようにと思い、亮介から接触を受けていたことを私は伝えていなかった。


 それに対して、彼は怒っているようだった。


 当然かもしれない。私も良平さんが昔の交際相手と、私の知らないところで会っていたら、きっと不快に思ってしまう。


 隠していたわけじゃない。そう言ったところで、今は言い訳にしかならない。


「……ごめんなさい」


「謝ってほしいわけじゃない」


 けど。と、前置きをしてから立花は言葉を続ける。


「嶺奈はまだ、俺のことを信用してないのかもしれない」


「そんなこと──」


 嶺奈は慌てて口を開いた。けれど、言いかけた言葉は、最後まで発することはなく、彼によって掻き消される。

 

「あるよ。分かってる。すぐには信じられないだろうし。……それに、阿久津はまだ君を諦めてない」


「え……」


「この前の傷は、阿久津と言い争ったときに出来た傷だから。物凄い剣幕だった」


 あの口許の傷は亮介がつけたものだったのか。でも、どうしてそんなことになったのだろう。


 良平さんが喧嘩を仕掛けるようには思えないし、亮介が誰かに暴力を振るったことも、にわかには信じられなかった。


「俺から嶺奈を奪ったのはお前か、って。阿久津から嶺奈を傷つけたくせに、他の誰かに君を奪われるのは許せないらしい」


 亮介の言い分は酷く自分勝手だと思う。私が良平さんと付き合い始めたからといって、暴力を振るうのは横暴で、ただの因縁でしかない。


「私はもう亮介に未練はないわ」


 きっぱりと告げる。ここで答えを濁してしまったら、良平さんとの関係は、またあやふやな不安定なものに戻ってしまうと思ったから。


 

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