第19話 終わりの始まり。

「ああ……この写真、阿久津が待ち受けにしてたから、印象に残ってる。俺の彼女だって、いつも自慢してさ。だから、阿久津が婚約したって聞いたときも、君と結婚すると思ってた」


「待ち受けにしてたなんて……私、知らなかった」


 亮介の携帯を勝手に見たりはしなかったから、気付かなかった。


 不器用なだけで浮気をするまでは、本当は私のことを好きでいてくれたのかと、淡い期待をしてしまう。


 どうして、浮気なんか。


 私の何がいけなったの?


「なのに、いざ蓋を開けてみれば、あいつは岡田カンパニーの社長の娘と結婚した」


 立花によって、少しずつ明らかになる事実に、嶺奈はまた涙が溢れ始めた。


 カップに零れ落ちた涙が、珈琲に波紋を広げる。それはまるで、嶺奈の心を表しているようだった。


 知りたいけど、知りたくない。

 感情が責めぎ合う。


「浮気の理由は知ってるの?」


 ようやく絞り出した声は、酷く不安定で震えていた。

 

「ごめん、そこまでは分からない。けど、嶺奈のことを聞いたら、態度を急変させたのは覚えてる」


 きっと、私の知らない間に、亮介が心変わりする出来事があったのだろう。これ以上は耐えられなくて、嶺奈は口を閉ざした。


 彼女の無言の拒絶に、立花は話題を切り替えた。


「……嶺奈は俺のこと覚えてる?」


「どういう、意味」


 言葉の意味を解りかねて、嶺奈は疑問に疑問を重ねた。

 

「一度だけ、会ってるんだよ。俺達」


「え……」


 覚えてないよな、彼はそう言って、一瞬だけ寂しそうな顔を見せた。


「覚えてないならいい。その内に思い出してもらえたら」


 一度だけ、会ってる?


 そう言われても、思い当たる節なんて、一つもない。誰かと勘違いをしているんじゃ。


「勘違い──」


 嶺奈は彼の言葉を否定しようとして、その言葉を遮られた。

 

「勘違いはしてない」


 ますます、見えない大きな暗闇に落とされたような感覚になる。


 私は何かを忘れているの?


「嶺奈、俺は本気だから。君を幸せにする。阿久津を後悔させるくらいに。だから、嫌じゃないなら、俺を受け入れて」


 彼の瞳は真剣そのものだった。


 また、絆されて、騙されてしまうかもしれない。けれど、私はそれでも構わないと思った。


 一縷の望みがあるのなら、例えそれが致死量に至る猛毒性だとしても、私は彼を──彼の全てを受け入れる。


「……受け入れるわ」


「ありがとう、嶺奈。……俺のこと好きになって。俺以外見ないで。──あいつを忘れて」


 ゆっくりと重ねた唇は、お互いの熱に浮かされ、溶けてしまいそうだった。


 彼に弱味に漬け込まれたとしても、私はもう戻れないところまで堕ちている。


 だから、貴方の好きにして──。




 朝から鳴り止まない携帯の着信音に、嶺奈は渋々応答した。


「お願いだから、今後一切、私に関わらないで」


 電話の相手を突き放すように言う。

 

『一度だけでいいから、会って話がしたい』


 嶺奈に懇願している相手は──亮介だった。


 あの披露宴を最後に、亮介の連絡先を着信拒否したにも関わらず、新しい番号を使って、コンタクトを取ってきたのだ。


 披露宴という特別な日に、倒れてしまった私にも無論、非は有る。けれど、今さらになって、亮介が連絡をしてくる理由が見つからない。


 幸せなんでしょ?


 喉元まで来た言葉を飲み込む。


 亮介に未練があるように思われたくなかったから。実質、嶺奈はいま立花と交際関係にある。


 だから、これ以上亮介に振り回されたくなかった。まるで、タイミングを見計らったかのような連絡に嫌悪する。


『嶺奈は……良平と付き合ってるのか』


 おそるおそるに問い掛ける亮介に、どんどんと苛立ちが募る。全てはもう終わったことだ。私はこんなことで立ち止まれないし、次に進まなくてはいけない。


 貴方を忘れて、幸せになる。


 だから、もう、彼氏面しないで欲しい。


「だったら何? 亮介にはもう関係のないことでしょ」


 精一杯の虚勢を張って、悪女を演じる。


『くそっ……。なんで』


 通話からは何かを殴ったような音が、微かに聞こえた。もしかしたら、壁かテーブルに自身の手を打ち付けたのかもしれない。


 相手も苛立っているのが解る。


 それでも、嶺奈は徹底して亮介を突き放す。


「話は終わり? なら、さよなら」


『まっ──』


 待って。そう言われる前に、嶺奈は無慈悲に通話を切断した。そして、亮介の新しい番号も拒否設定にする。


 これで、全てが終わる。


 この時は、そう思っていた。


 

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