第17話

「亮介の声が聞こえた気がしたんだけど……」


「……阿久津なら帰した」


 嶺奈の問いに立花は表情を少し歪ませた。ポーカーフェイスは、あまり得意ではないのかもしれない。

 

「……そう」


 一瞬だけ、ほんの僅かだけ、亮介が私を心配して、病室まで来てくれたのではないかと思った。けれど、それは私の譫言うわごとでしかなかった。


 急に立ち上がったせいで、なんだか目眩がする。身体のバランスを崩した嶺奈は、立花の胸に飛び込むような形になってしまった。


「ほら、無理するから。まだ、寝てないと駄目だよ」


「ごめんなさい」


 今さら言い返す気も、抵抗する気もなかった。立花に支えられ、ベッドに戻る。


「…………」


 二人の間に漂うのは重い沈黙だけ。彼もまた何を話せばいいのか、迷っているようだった。


「……もっと早くに伝えるべきだった」


 慎重に言葉を選びながら、彼は乾いた唇を開いた。


 何を? そう問いたいのをぐっと堪える。

 無言を貫くのは、嶺奈なりのせめてもの反抗かもしれない。


「嶺奈が披露宴に出席するって聞いたとき、何の疑問も持たなかったんだ。てっきり、友人の結婚式だと思っていた」


「私に友人はいないわ」


 嶺奈は間入れず、きっぱりと答える。

 

 現にほら、見舞いに来てくれる人なんて、一人もいない。だから、良平さんが居なかったら、私はこんな時でも独りだった。


「阿久津が君に招待状を送ってることも知らなかった」


「最低な人って言ったでしょ」


 彼は嶺奈の言葉を聞いて、苦虫を噛み潰したような顔をする。


「……そうだな。俺が思ってた以上に、阿久津は最低なやつみたいだ」


 立花が目蓋を伏せたのは、嶺奈に対する懺悔か。

 

「良平さんは知ってたのね。……私が亮介の元婚約者だってこと。知ってて、私に近付いたの?」


「……弁解しても許してもらえないのは分かってる。けど、騙してたわけじゃない」


「なら、目的は何?」


 最初から、ずっと気になっていた。


 彼が私に近付いた理由。何度、訊ねても決して教えてはくれなかった彼の真実。


 もう、何を聞いても驚かない。

 決心なら、とうに出来ている。


 嶺奈は意思表示をするように、彼から目を逸らさず、真っ直ぐに見据える。


 やがて、立花も覚悟を決めたのか、嶺奈と視線を合わせ、こう言った。


「俺も阿久津が許せないから──」


 低い声で呟いた立花の瞳は、暗く沈んでいた。


 亮介と良平さんの間に何があったのか。私は知らない。けれど、彼も亮介を恨んでいたという事実に不思議と驚きはなかった。


 さっきの二人のやり取りを聞いていて、そんな気がしていた。良平さんも亮介に対して、嫌悪か憎悪を胸の内に抱いていることに。


「だから、私を利用しようとしたの?」


「違う! 嶺奈を利用しようなんて、初めから思ってなかった。俺が守りたかったのは……守ろうとしたのは、嶺奈なんだよ」


 どうして、そこで私の名前が出てくるの。


 守りたかったって、どういうこと。


 彼の話を聞けば聞くほどに、謎は増えるばかりで頭痛がする。


「……意味が分からないわ」


 痛み出したこめかみに手を添えて、嶺奈は考えを整理しようとした。


 けれど、うまくまとまらない。


 そんな様子を見ていた立花は、嶺奈に無理をさせていたことに気付き、慌てて休むように促した。

 

「……今日はもう休んで。明日、退院出来るみたいだから、迎えに来るよ」


「待って。まだ話が──」


 痛みを堪え、彼を引き留めようとする。


 けれど、その問いは虚しくも彼の声によって掻き消されてしまった。


「俺も考えを整理したいんだ」


 そう言って、立花は嶺奈を独り残して、逃げるように病室を後にした。


 明日、彼は本当に私を迎えに来てくれるだろうか。そんな不安が胸によぎる。


 もしかしたら、もう会えないかもしれない。


 そんな気がして、嶺奈は静かに流れ落ちた涙を指で拭った。

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