第10話

 最初の頃は、一体いつになったら復讐計画を進めるのか、焦りしかなかった。一向に行動へ移そうとしない立花に、苛立ちが募り始めていたのも本当だ。


 もしかしたら、こうやって徐々に懐柔して、私の復讐心を薄れさせていく作戦なのかもしれない。


 彼は私の傷を癒すことが先決だと言い、週末は必ず連絡を取り合い、休日はお互いに顔を会わせる、というルーティンが、いつの間にか習慣になり始めていた。


 これではまるで、本当の……。


 思いかけて、止めた。


 私達はあくまでも、偽の婚約者であり、本当の恋人ではない。彼のペースに流され始めていることに、戸惑いを隠せないでいた。



 午後10時過ぎ、入浴を終えて、自身のベッドルームへ向かうと、タイミングを見計らったかのように携帯が着信する。


 最早、着信画面を見なくても、誰からの電話なのか、分かるようになってしまっていた。


 嶺奈は確認もせずに応答する。


 案の定、彼からの電話だった。


『お疲れさま。明日はどこか行きたい場所はある?』


 当たり前のように問い掛ける彼は、いつもと変わらない様子だった。


「…………」


 答えることが出来ずに、無言になってしまう。いつもなら、彼が目的地を決めていた。近場から、ちょっとした遠出まで。


 けれど、そのどれもが日帰りで、遅くなっても、夕方までには必ず私を自宅に帰してくれるのだ。


 もどかしく思ってしまうのは、物足りなくなってしまうのは、私が慣れてしまっただけなのか。


『もしかして、気分じゃない?』


 私の機嫌を窺うような、控え目な彼の声音。


 もし、彼が私の恋人だったなら、少しくらいの我が儘も、甘えも許してくれるのだろうか。


 そんな考えが、脳裏を掠める。

 

「今、会いたいって言ったら、どうする?」


 拒絶されるのを分かっていて、嶺奈は無理を言ってみた。けれど、返ってきたのは予想もしない答えだった。


『いいよ。どこで?』


 ──優しくなんて、しないで欲しいのに。


 彼女でもない女の我が儘なんて、無視して欲しかったのに。そう思う心とは裏腹に、嶺奈は少しだけ嬉しくも思っていた。



 二人が密会する場所は決まって、あの日のホテルだった。どちらかが示し合わせたわけでもない。けれど、自然と足が赴いてしまう。


 あの日のことを想い出と呼ぶには、まだ早すぎて、ビターチョコレートを噛んだ時のような、ほろ苦さを感じる。


 時刻はすでに、11時を回ろうとしていた。


 二人はホテルのロビーで落ち合うと、言葉もないままに入室した。


 彼がスーツ姿ということは、仕事終わりのまま、この場所に向かってくれたということだ。


 疲れているのはずなのに、そんな素振りを一つも見せないのは、彼の優しい性格が関係しているのか。


「寂しくなった?」


 彼はソファに座ると、咥えた煙草にライターで火を灯した。嶺奈は彼が吐き出した紫煙をぼんやりと眺める。


「そう、かもしれない」


 答えてから気付く。


 私は寂しかったのかもしれない。

 でなければ、こんな真似しなかった。


 亮介にだって、『今、会いたい』なんて言葉、言わなかった。違う、本当は言えなかったんだ。


「一つ聞いてもいい?」


「どうぞ。俺に答えられることなら」


「罪滅ぼしの意味を教えて」


 ──どうして、会ってくれたの?


 そう訊ねても、彼はきっと、予め用意していた答えを口にする。分かりきった答えだったから、その質問は、もうしないことにした。


「……それは」


「良平さんは、何を知っているの? ──私に、何を隠しているの?」


 核心に迫るように、嶺奈は言葉を重ねた。

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