第8話
嶺奈が立花と偽装結婚をするという契約を交わしてから、数日が経過していた。
彼から毎日届くメッセージは、どれも他愛ない話ばかりで、少し楽しみにしている自分に嫌気が差す。
私はまだ、彼のことを何も知らないのに。
心を許してもいいのか。自問する。
復讐の件だって、彼には一つも利益がない。
交換条件を出されたのなら、私の気持ちも少しは納得したかもしれない。
けれど、それらしい条件を彼は言わなかった。
この数日の間に、それとなく聞いてみたものの、上手くはぐらかされてしまったのだ。
私の猜疑心に、気付かない彼ではないはずなのに。
今日は金曜日で、仕事を終えて帰宅したばかりの嶺奈は、携帯を確認する。
昼に送信したメッセージの返事はまだ無くて、一抹の孤独を感じた。
寂しいなんて感情を、彼に抱いては駄目だ。彼に依存しては駄目だ。
駄目だと思えば思うほどに、何故か胸がチクりと痛んだ。
それでも、自分の心に何度も言い聞かせると、嶺奈は携帯の電源を落として、独りバスルームに向かった。
休日の朝を迎え、携帯の電源を入れ直す。
すると、着信音が鳴り響いた。
相手は無論、立花良平だった。
「はい」
『良かった……。電話出てくれて』
開口一番、彼は安堵した様子で、ほっとしているのが通話越しに分かった。
「どうしたんですか」
『どうしたって、君こそどうして電源切ってたの。心配した……』
その声はどこか少し怒っているようにも思えた。一晩、連絡がつかなかっただけで、こんなに焦るだろうか。
心配なんて言葉、久し振りに聞いた気がする。亮介なら心配なんて言葉、きっとおくびにも出さない。
「なんとなく、独りになりたくて」
嶺奈はなんだが居心地の悪さを感じて、嘘をついた。
本当は、あなたからのメッセージを待ってた。普通の恋人なら言えたはずの言葉も、私は口にしてはいけない。
浮わついている自分に気付き、距離を置こうとした。必要以上に近づきすぎるのは良くない。
こうして自身を抑制しないと、未だ傷付き弱っている心は、少し優しくされるだけで、簡単にぐらついてしまう。
「そう。でも、今度からは電源切らないで。また君が……」
言いかけて止める。
彼はきっとこう言いたかったのだろう。
──君がまた馬鹿な真似をするんじゃないか、って。
正直、そう思われても仕方ないとは思っていた。だから、嶺奈はあの日のように強気な自分を演じる。
「安心して。亮介を見返すまでは死なないから」
「そうじゃなくて……。ああ、もういい。今から会える? 今日休みだよね」
「会えなくはないですけど」
「なら、君の家まで迎えに行く。住所教えて」
「え? ここまで来るの?」
「うん。車で行くから、その間に準備しておいて」
嶺奈の疑問に立花は淡々と答える。今まで無理強いをしなかった彼が、初めて強引さを見せた時だった。
通話を終えた後、嶺奈は出掛ける為の準備を始めた。自宅まで迎えに来るとは言っても、そんなに時間はかからないはずだ。
普段より薄めのメイクを施して、姿見の前に立ち尽くす。
どんな服を着たらいいのか。迷ってしまった。別にデートをするわけじゃない。
けれど、Tシャツにジーパンというのも、なんだか味気ない。
散々迷った挙げ句、嶺奈は仕事用のブラウスに黒のタイトスカートにした。
何処に向かうのかは知らないが、これならば、大抵の場所でも問題はないはずと、自分を納得させる。
軽めの朝食を摂ろうとして、再び着信が入った。
『着いたんだけど、もう出られる? まだなら、車で待ってるけど』
「準備ならもう出来てるから、今出ます」
『分かった』
淹れたばかりの紅茶を一口だけ飲んで、嶺奈は自宅を出た。
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