第3話


 ホテルに到着し、二人は入室した。


 部屋に入るなり、彼はバスルームに向かい、備え付けのタオルを手にして戻ってきた。

 

「ほら、身体冷えるから」


 嶺奈にタオルを手渡し、自身も髪の毛の水分を拭き取っている。着ていたスーツも雨に濡れたせいか、色が濃くなり、白いワイシャツが肌に貼り付いていた。


 上着を脱ぎ、ネクタイを外したところで、彼は手を止めた。


 一向に動こうとしない嶺奈を疑問に思ったのかもしれない。

 

「……脱げはいいの」


 タオルを握りしめたまま、虚ろな瞳で嶺奈は短略的な発言をする。


「は? 何言ってんの、君」


「ホテルに来たってことは、そういうことなんでしょう」


 それしか、考えられないんだから。

 するなら、さっさと済ませて欲しい。


「……はぁ。冗談はいいから、シャワー浴びて身体温めたほうがいい」


 彼女の発言に、彼は少し苛立っているようだった。


 半ば、強引にバスルームに連れて行かれ、扉を閉められた。


 きっと、早くしろ、ということなんだろう。

 

 嶺奈は冷たいタイルを素足で踏むと、急に寒気を感じて、早速シャワーを浴びることにした。

 

 濡れた服が身体に貼り付いて、正直気持ち悪かったから、丁度よかった。


 頭上から熱いシャワーを浴びてみても、やっぱり意識は、はっきりしない。


 私の心は壊れてしまったみたいだった。


 何分間、そうしていたのか。


 もしかしたら、もう少し時間が経っていたのかもしれない。


 バスルームの扉を控えめにノックする音に気がつき、シャワーを止める。


 出る前にふと鏡を見る。

 メイクもすっかり取れてしまっていた。


「大丈夫? 溺れてないよね」


 彼女を心配して、彼は様子を見に来たようだ。


「平気……。今出るから」


 言葉短めに答える。

 

「あ、ああ。分かった」


 安否を確認し終えると、扉から彼の気配が消えた。


 嶺奈はバスタオルを身体に巻き付け、シャワーで乱れた髪の毛もそのままに、バスルームを出た。


 

 嶺奈の姿を見るなり、彼は驚きの声を上げた。


「なっ! 脱衣所にバスローブあったよね。なんで、着てないの」


「え」


 バスローブが有ったことに気付かなかった。


 けれど、今さら取りに戻るのも面倒になって、このままで良いと答えた。


「それは駄目だろ。……なんで、こんなに……」


 彼は面倒そうに言いながらも、バスローブを取りに行くと、嶺奈の後ろから、ばさりと被せた。


 着ろ、ということだと理解した嶺奈は渋々、袖に手を通した。


「俺もシャワー浴びてくるから、ルームサービスでも好きに頼んで」


 そう言い残して、嶺奈と入れ替わるように、彼はバスルームに消えた。


 ルームサービスなんて、頼む気にもなれない。


 手持ち無沙汰になり、濡れて重くなった自分の革のバッグから携帯を取り出す。


 画面を点灯させると、時刻は午後八時半を過ぎていた。


 着信も通知もない。


 当然だ。私は彼に裏切られ、振られた。そして、捨てられたのだから。


 じんわりと涙が滲み、視界が曖昧になる。

 そして、雨のようにポロポロと涙が頬を伝い始めた。


 泣きたくなんか……ない、のに。


 どうして、涙が出るの。


 一度決壊した涙腺は留まることを忘れてしまったのか、嶺奈はしゃくり上げて泣き始めた。


 早く、この涙止めなきゃ。


 こんな姿、見られたくない。


 そう思うのに、涙は止まらず、溢れるばかりだった。


「……泣いてるのか」


「っ! 泣いて、なんか……」


 シャワーを浴び終えた彼が、彼女に静かに語りかける。


 そんな彼女を見て、彼は何をするわけでもなく、少し間を開けて、ソファに座る。


「あー……、たばこ、駄目になってる」


 スーツの上着ポケットから煙草のパッケージを取り出すも、濡れて使い物にならなくなっていた。

 

 彼は自身の革製バッグを漁り、細長い機械を取り出す。それは電子タバコだった。


「げ、充電忘れてた……」


 電子タバコの電源を入れようとしたものの、運悪く充電切れのようだ。


「ルームサービス、頼んだ?」


 彼の問いに、嶺奈は無言で首を小さく振り、否定する。


「どうして、私を助けたんですか。……あの時、見捨てておけば……」


「誰かが死ぬのは嫌だったから」


 嶺奈の無遠慮な問いに、害することもなく、彼は即答した。


 死ぬのは嫌、ね。


 今の私にとって、その言葉は綺麗事でしかなくて、この胸には少しも響かなかった。


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