第四章 11
アリスティアは中庭を横切り厩舎に向かっていた。
護衛の許可を得て入室してきたのは待っていた相手でなく、
「厩舎にいる馬がどうやら何がしかの魔法の干渉を受けているようなので姫君に見ていただきたいと担当の者が。殿下の許可はとってあります」
という伝言を持った従者だった。
先ほどの従者と違い厩舎の入り口にいた兵は見知らぬ顔だったが、アリスティアを見ると、
「お待ちしてありました、姫君。どうぞ中に」
と恭しく扉を開けアリスティアを中へ促した。
厩舎へ一歩入るなり濃密な魔法の気配を感じ取ったアリスティアは直ちに身構えるが遅かった。
既に中に濃密に漂っていた眠りの香を吸い込んでしまい、アリスティアはその場で意識を失った。
謁見の間での宝石選びは(表向きは)和やかに進行していた。
そこへルカスの侍従が許可を得て入室し、主人の耳元で何事か囁くと、
「申し訳ない、国で大事が起こったゆえこれにて失礼致します。国王陛下並びに皆様がた」
と詫び速やかに立ち去った。
国王だけは愛想良く見守ったが他の面々は白けた目で見送り、
「大事って何だろね?」
「さあな、大事という割に特に焦っているようには見えなかったが」
「だよねぇ?ま、いいけど。ティアはどうしてる?」
「まだお部屋におられるかと。外出されたという報告は入っておりません」
「そっか。じゃ、僕たちも行こうか、そろそろ着く頃だし」
アルフレッド達が席を立った頃、既にナルジア王国一行は
ジュリアは苛立っていた。
事前に知らせてあるにも関わらず、王城の門の外で長く待たされたからだ。
門兵が言うには「ナルジア王国の国王陛下御一行が立たれるまで、一時的に通行を止めさせていただいております」
との事だったが、
「知らないわよそんな事!」
と叫びたいのを我慢していた。
王城門でそれは不味い。
いくら王子が気に食わなくても、その婚約者(それが一番気に食わないのだが)が一番の友人でもだ。
ジュリア・バーネット__アリスティアが待ち侘びていた人物__はじっと待って、やがて偉ぶった(比喩でなく馬車の装丁からお付きの兵士い至るまで全てが無駄に踏ん反りかえって偉そうだった)が、自分のいる馬車の前を通り過ぎ、みるみる遠ざかるのを見送って__建物に入るなり
「まあアルフレッド殿下、お久しぶりです卒業式以来ですわねまさか卒業パーティーの後そのまま大事な親友をこの城に連れ去られてしまうとは思いませんでしたわ?お城に嫌な思い出しかないあの子に会いに城まで会いに来なければならないなんて__本っ当に、業腹ですこと」
会うなりひと息にぶちかまされてアルフレッドが一歩退がる。
覚悟していたとはいえ予想以上の噛みつき具合である。
「えぇと、まあ落ち着いて?言わせてもらえば連れ去ったわけじゃなくちゃんと本人とメイデン伯の許可は取ったよ?」
「私は許可しておりません!!で・アリスはどこです?聞けば身辺警護と称して部屋から出さないそうではありませんか、まさかここまで来て出し惜しみですか?」
「違うってば。信用ないなぁ、ティアならすぐ来るよ朝から君が来るのを待ちわびてたんから___変だね」
「(信用なんて)元からないものの話なんかどうでも、__変?」
変って何がだ。
胡乱げに返すジュリア同様、謁見の間から一緒に来たアッシュバルトとミリディアナも疑問の表情を浮かべる。
「君が着く時間は知らせてあったんでしょ?君の家の馬車が門を通ったら直ぐに知らせるよう手配もしてた筈だ、てっきり僕らより先にここに来て君を出迎えてると思ったんだけど__?」
呟きながらアルフレッドは〝伝魔法〟でアリスティアの警護に付いてる騎士に確認して__その表情が強張った。
「__何だと?」
城から充分な距離が取れた途端、ルカスは高笑いし、馬車の室内とは思えない
念のため中を改められても構わないよう二重底に仕立てた大型の棺のようなそれには豪華な衣装や宝石などがふんだんに詰め込まれている__表向きは。
実際に取り出せるのは上の数枚の薄絹と数個の宝石だけで、他は底に貼ってあるだけのハリボテ__端にある金色の持ち手の付いたそれはぱっと見は玉璽(王印)に見えるが手に取る事は出来ない。
この下に仕舞ってある大事なもの を取り出す為の取っ手だ。
見咎められても「これは国王が交易品などの契約の際に用いる玉璽である」と言い張れば誰も触れる事が出来ない。
ルカスは今までこの行李を使って数々の 持ってきてはいけないもの を自身の城へ持ち帰っていた。
「くっく……、名高いレジェンディアの王族が相手ではもう少し難儀するかと思ったが___なんとも拍子抜けな事よ。なあ?デッドリー」
馬車の窓を僅かに開け、御者の隣に腰掛ける壮年の男に笑い掛ける。
「まことに。なんといっても天下に名を轟かす魔法大国、この儂の力をもってしても苦戦を覚悟しておりましたものを、こうも容易いとは……魔法大国とはただの呼び名でありましたか」
「違いない」
言うなりルカスは取っ手を持ち上げ、中にある__いや“いる”ものを見おろす。
大きな行李の底に余裕を持って横たえられているの眠り薬を深く吸い込まされ、完全に意識を失っているアリスティアだった。
彼等の行った計画自体はシンプルなものだった。
ルカスのお抱え魔法使いであるデッドリーはほんの僅かな時間だけ他人を操る事が出来、自分の思い通りに行動させることが出来るのだ。
特殊な薬草と呪いによって。
魔法というより催眠暗示に近いが、この術で肝心なのは 操られた側は言われた通りの行動をした後その記憶が残らないこと である。
最初に呪いをかけた際に「命令を実行し終わると同時に今この時からその時までの起こったこと一切を忘れよ」との命令を組み込むからだという。
なぜそんな事が出来るのか、どんな仕組みになっているのかについてルカスは興味を持たなかった。
「魔法とは便利なものだな」と呟いて終わりだったが、魔法について常に研究されているレジェンディアでは違った。
アルフレッドの〝伝魔法〟に応えた護衛は「姫君は厩舎に行かれたまま まだお戻りになっていません」と言い、
「厩舎だと?何故だ?」には、
「“魔法の干渉を受けておかしくなっている馬がいるから見て欲しい“と__殿下が許可を出されたのではないのですか?伝えに来た護衛はそう申しておりましたが「誰だそいつはっ?!」__」
アルフレッドは護衛の胸ぐら掴み詰問した。
件の護衛はすぐに割れ、尋問するも「自分はそんな事は伝えていないし、姫君を連れ出してもいない」と困惑した様子を見せたが、彼がアリスティアの部屋へそう伝えて連れ出した事は皆が見ていた。
そう伝えた上で、
「ではその時間どこで何をしていたか正確に答えよ」
には、答えようと口を開けて固まった。
そして、
「思い出せない、何故だ…?」
と頭を抱えた。
普通なら「とぼけるな」と殴る蹴るの拷問コース行き確定だが、護衛は背後関係や本人の気質まで用心に用心を重ねて選定されているはずだ。
違和感を感じたアルフレッドは、
「なら、昨日の記憶は?その更に前は?__思い出せることはあるか」
そう質問するとやはりそれにも全く答える事が出来ず、宮廷魔導師や医術師が呼ばれた。
結果、彼にはここ数日の記憶がなかった。
その“数日”は“ナルジア王国一行が来てからの日数“と重なる。
__答えは簡単に導き出された。
しかもナルジアの一行は“魔嫌の森”と言われる魔法が極めて届き辛い、或いは中に入っても魔法が展開しづらいゆえにほぼ獣道しかない森の中を敢えて進んで行っているというのだ。
これで勘付くなという方が無理である。
「港と海へ出るあらゆる道を封鎖しろ!ナルジアの一行を見つけて捕らえろ!!」
アルフレッドが指示し、
その場にいたジュリアもすぐさま「あの(ケバケバしい)馬車っ!」と痛烈に舌打ちし、
「うちの領内にいる私兵を全て使って港へ向かう一行を捜索させなさい!領民全てに見知らぬ馬車を見かけたら報告をするよう伝達を!特に無駄に派手でけばけばしい馬車を見つけたらどんな手を使っても止めなさい、ただし中に女性がいた場合怪我をさせないよう細心の注意を!男の方の生死は、「__一応生かしておいて?」……チッ、死なない程度に痛めつけておやりなさい」
〝伝魔法〟に割り込んだアルフレッドに舌打ちしてジュリアは指示を締め括った。
「君が味方で良かったよ」
「そんな御託はアリスを取り戻してから言って下さい!」
目の前で、あの子が拐われるのを見送ってしまった自分が許せない。
一生の不覚どころではない、下手をすれば一生の後悔になる。
バーネット家でもナルジア王国は大手の取引先ではあるが、そんなのは瑣末な事だ。
「許さないわよ、絶対に!」
ジュリアは吼えた。
そこへ、金色の影が駆けてきた。
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