第三章 11



そんな出来事から数日後、アリスティアはアッシュバルトを人目を忍ぶ場所に呼び出した。

もちろん人目を忍びやすいであって立ち入り禁止のわけではないのだが、今日この時に限って、誰もここに近寄れないよう厳重な結界が広範囲に張られていた。

当のアッシュバルトに気付かれないよう、細心の注意を払ったうえ、とある人物の協力によって。

そしてそのもう一人の口添えによってアッシュバルトの婚約者であるミリディアナもここに来ていた。

当の二人からは見えない角度で、声だけは拾える場所で___泣き出しそうな顔で。




「話とは、先日の件か?メイデン嬢」

「はい。先日殿下がしてくださった告白の返事をさせていただこうと思いまして」

アリスティアは慈悲深い天使のように微笑む。

虚を衝かれて顔を朱に染めるアッシュバルトにアリスティアはするりと近付きアッシュバルトの腕に自分の腕を絡ませる。

ごく自然に、当たり前のように。

「メイデン嬢っ?!」

驚いたアッシュバルトは咄嗟に振り払おうとするが、「いや、彼女は例の話を知ったのかもしれない」と思い至り、

「……手を、離してくれ。こんなことは、良くない事だ」

冷静に言って丁寧に腕を引き剥がそうとするが、

「まぁ。私にここにいて欲しい、離れて行かないでくれ、と仰って下さったのは偽りだったのですか?」

驚愕に彩られた瞳は明るく無邪気に澄んでいたが、アッシュバルトは不気味さを感じ身体を捻ってかわそうとする。

が、それを予測していたようにアリスティアの腕がしっかりとアッシュバルトの腕に自身の腕を絡ませ身体ごと密着してくる。

「っ、メイデン嬢!」

アッシュバルトが非難の声をあげるが、アリスティアは口元に笑みをたたえたまま離そうとしない。

そこへ、

「……やめないか、メイデン嬢」

背後から低く咎める声が響く。

「まぁ、ギルバート様」

アリスティアはにっこり微笑む。

その様子にアッシュバルトもギルバートも息を呑む。

アリスティアが今までアッシュバルトやギルバートを(少なくとも声に出しては)名前で呼んだ事はない。


まさか、 物語の強制力とやらか。

そんな事が、本当に__?

アッシュバルトとギルバートは、そんな焦燥にもにも似た思いを視線のみで交わし、アリスティアを見遣る。

因みにこの時点でミリディアナは涙目で、ギルバートの背後にいるカミラは無表情でこの様子を眺めている。

「ギルバート様は、私を守ってくださるのでしょう?」

アッシュバルトからするりと解いた手を今度はギルバートの胸元へ伸ばす。

まるでギルバートの鼓動を手のひらで感じとるかのように。

互いに呼吸が掛かるほど、距離が近い。

そのうえ掬い上げるような瞳でギルバートを見上げる__恋する乙女のように。

自分達の知るアリスティア・メイデンだったらあり得ない行動に、アッシュバルトとギルバートは石化魔法でもかけられたように動けない。


「カ、カミラ……」

途方にくれたようなギルバートの呟きにはっ!とアッシュバルトはカミラの存在に気付くが、

「アッシュバルト様?」

当のアリスティアは気にならないらしく、不思議そうに首を傾げ、再びアッシュバルトの腕を取ろうとするも、

「君にここまで私に近づく許可を与えてはいない、名前で呼ぶ許可もだ」

冷たく言い放って振り払うアッシュバルトに、

「だって、私にこの国にいてほしいんですよね?」

今度はややずる賢い顔を覗かせてアリスティアが言う。

「私をこの国に留める為なら、婚約破棄もして下さるんですよね?」

「っ、君は何を言ってるんだ……!」

今度こそ乱暴に振り払いながら怒鳴る。

「だって、ミリディアナ様の進言で不当に私を扱ったんですよね……?」

「どうして、それを……」

「私、とても恐ろしくて辛い思いをしましたのよ?初めて行った場所で、誰からの助けもなく」

「っそれはっ、私が命じたからで……!」

「そしてそれを命じた殿下は私にどんな償いをして下さいますの?」

「っ、それは……」

既に済んでいるだろう、と発しようとするアッシュバルトに、

「“知らなかった、済まなかった。直接悪さを働いた者達は罰したのだからいいだろう“と今でも思っていらっしゃるのですか?命じた本人が謝罪一つで済むと本当に思ってらっしゃる?それこそ傲慢というものですわ。それに膿は一度出し切ったら二度と出てこないとでも思っていらっしゃる?甘いですわ。少しでも楽をしたい人間、甘い汁を吸いたい人間なんていくらでも湧いて出てくるのですよ?私に城に来て欲しいというのであれば、きっちり掃除して万全の状態で迎えてくださらないと。その際もちろん、騎士団の護衛も付けて下さるでしょう?」

「それは、ギルバートを自分の護衛に付けろという意味か?」

「もちろんギルバート様を含め騎士団の精鋭から選りすぐった方を、という事ですわ。世界に一人と言われる超希少魔法の使い手である私に対して、まさか“それは出来ない“などと仰いませんわよね……?」

ぐ、とアッシュバルトは息を呑み、咄嗟に返す言葉が出ない。


「君は、ミリディアナの破滅を望んでいるのか」

「いいえ?私にそんな力はありません。破滅させる力を持つのはアッシュバルト様、貴方です」

まるで預言者のように言い切るアリスティアの迫力に、姿を隠したままのミリディアナがひゅ、と息を呑む。

「〜〜ミリディアナを、そんな事にはさせない」

「でも、アッシュバルト様は先日私を人気のない場所に呼び出して思いのたけを伝えて下さったではありませんか」

「誤解を招く言い方はやめてもらおう」

「ミリディアナ様より、私の方が殿下の__ひいては国の役に立ちますわよ?」

嘲笑めいた声音で語るアリスティアに嫌悪感が募る。

「ミリディアナを侮辱するな。いくら君が希少魔法の遣い手だろうとそんな権利はない」

「ご自分には弱い者いじめをする資格があると思ってらっしゃるのに?」

「そんな事は思っていないっ!」

「行動が示してますわ。ミリディアナ様とアッシュバルト様では、弱者の声に耳を傾けることも気がつく事もできないでしょう。私の方が適任だと思いますけれど?」

「っなん、だと……?」

今度こそ掴みかかりかねないアッシュバルトの剣幕にも、

「力ずくで黙らせようというのですか?__最初の頃と何も変わってないではないですか」

ぐ、とアッシュバルトの動きがとまる。

「ほうら、やっぱり。弱者の声に耳を傾けること、民を守る事、国を守ること。どれも、向いてらっしゃらない。私の方が適任だと思いますわ。何しろ私は「やめろ!」」

「有り得ない__君は、君が__本当に?」

「物事の一面だけ見て全てを知った気になるのは傲慢というものですわ。殿下が私の何を知っていて?」

激昂しているアッシュバルトはアリスティアの呼び方が「殿下」に戻っている事にも気付かない。

「見損なったぞメイデン嬢……!誰から聞いたか知らないが、あの話は無しだっ!君を妃になど真っ平ごめんだっ……!」

「見損なった、なんていう資格私達にはないわよ」

叫ぶアッシュバルトを平坦な声で遮ったのはカミラだった。

驚くアッシュバルトの目の端に映ったのは無表情にこちらを見つめる双子の弟の顔で、

「…?!…」

弟の気持ちを知っているアッシュバルトは今度は青くなり、

「違うんだアルフレッドこれはっ……!」

わかりやすくまごつくアッシュバルトに対し、アルフレッドの目に険が宿る。


が、

それは怒っているというより呆れを含んでいるようだった。


その意味がわからず周囲を見回すと、自分と同じような顔のギルバート、その背後に顔を背けて肩を震わせているカミラ、そして涙ぐむミリディアナの姿を見つけ、

「っ、ミリィ、いつから!」

アッシュバルトは見知った面々ばかりなのに異界に迷い込んでしまったような錯覚を覚える。

が、しっかりと自身の足が地についてるのを確かめ、

「例え君が世界で唯一無二の存在であろうと、私はミリディアナ以外選ばない」

固い声で告げられた言葉に、アリスティアは花のように微笑んだ。


「__ですって。よかったですわね、ミリディアナ様?」


そう嘯くアリスティアは心底楽しそうだった。

ぽかん と固まったのはアッシュバルト、ギルバート、ミリディアナ。

顔を背けて肩を震わせたままのカミラ、苦笑してみせるアルフレッドに対し、

「ふふ。いきなりこんな態度取られたら不気味でしょう?__でも、初めて私に会った時の貴方がたも大概でしたよ?」

アリスティアは、悪戯っぽく笑った。


「演技、か……」

「……趣味が悪いぞ、メイデン嬢」

驚愕したままではあるがほーーっと肩から力が抜けていくアッシュバルトとギルバートだったが、ある意味試練はここからだった。


微笑みを引っ込めたアリスティアは軽くミリディアナを睨み、

「貴方がたがやらかした事に比べたら可愛いものでしょう?」

今度は傲然と告げた。

「“真っ平ごめん”も“趣味が悪い”もこちらの台詞です!悪趣味で悪辣な真似を仕掛けてきたのはそちらでしょう?!」

ここからは演技でもなんでもない、本音の時間だ。


「ミリディアナ様からの情報だけで、私がヒロインだと驕っていると__妃の座を狙っていると決めつけて、寄ってたかって嬲りものになぞよくもしてくれたものですわっ!それでも騎士や王子ですかっ!」

一転、激しく糾弾されて小さくなる。


「ミリディアナ様もミリディアナ様ですっ!私と殿下がどうこう、なんて最初の三日でわかりそうなものじゃありません?!ミリディアナ様の言葉だけで私を傷物にしろと命じた男ですよっ?!」

思いっきり指を差して言われ、アッシュバルトが項垂れる。


だが、アリスティアの言葉は止まらない。

「そもそもっ!この人達が私にカケラでも傾く態度見せました?!傾くどころか弱い者虐めの先陣切ってたクセに自覚すらしてない人たちですよっ?!」


アッシュバルトとギルバートはさくり、と何か小さなもので刺された心地がする。


「もし私が会う前王子様に恋してたとしたってナシです、無しっ!実際会ったら百年の恋も冷めます!!」


さくさくと小さな刃が突き刺さる。


「いくら身分が高くて見た目がよくてもあんな男に好感持つ女性なんているわけないじゃないですか、いたらただのどMか変態ですよっ!?」


ふら、と足元が崩れそうなのをなんとか堪える。


「第一、私にはミリディアナ様の方がお姫様にしか見えなかったですけどね?婚約者であるミリディアナ様だけを過保護に守りつつ、初対面の私に“甘やかすのはよくない“とかわけのわからない超理論スーパーロジックかまして虐め倒す相手に好感なんか抱くと思いますっ?!記憶持ちであろうとなかろうとあんな連中に恋する乙女がいるわけないじゃないですか!」


ぐさり。

ともすれば地面に手を付き伏してしまいそうなのを必死に堪える。


「ですから、私が言いたいのはつまり__、えぇと私の人生の主人公は私で、ミリディアナ様の人生の主人公はミリディアナ様です!そんな事もいちいち言われなければわかりませんかっ?」

「__貴女になんて、わからないわっ!」

言われっぱなしだったミリディアナが声をあげるが、アリスティアは即座に切り返す。

「わかりませんよ?私は悪役令嬢に生まれ変わった事などありませんもの。そういうミリディアナ様はヒロインに生まれ変わった事がありますの?」

「ないわよっ!貴女に悪役令嬢という立ち位置に立たされた者の気持ちがわかって?」

「悪役令嬢として扱われた事なんか、ないじゃないですか」

「えっ……?」

「いつから記憶があって、いつから情報共有してたか知りませんが、私が知ってる限りでミリディアナ様が攻略対象の皆様に辛く当たられた事なんかないじゃないですか?」

「っ……」

ミリディアナは絶句するが、

「うん。僕も見たことない」

「私もないわ」

アルフレッドとカミラが頷きながら肯定する。


「………」

黙ってしまったミリディアナにアリスティアはたたみかける。

「ですよね?私の存在なんか無視して勝手にいちゃいちゃしてたら良かったのに。下手に用心しながらつつかれるよりよっぽどましです」

「いちゃいちゃって……」

それが出来れば苦労はしない、とでも言いたげに唇を尖らせるミリディアナに、

「そもそも!あの伝言はセイラ妃殿下が子孫たちの幸せを願って残されたもの!その子孫たるあなたがたが、たまたまメッセンジャーに選ばれた私ごときに慄いてどうするのです!?」


えっ……と場の空気がなるのは仕方ない、これはアリスティアのみが知る情報だからだ。


「セイラ妃殿下は仰ってました。自分はこの世界でちゃんと幸せに生きた、だから先の人々にも、幸せに生きて欲しいって。与えられた“役割り“が、何であっても。だからあのメッセージを残したと」

「セイラ、妃殿下…、」

ミリディアナが濃紺の瞳を潤ませる横で、

「そう、なのか……?」

アッシュバルトは自身に言い聞かせているらしい。

「へぇーそうなんだ?」

にこやかに確認するアルフレッドの横で、

「セイラ妃殿下って、予知能力まであったの?」

と呟くカミラ。

放心したまま動かないギルバートを置き去りにしたまま事態は進んで行く。




「それはさておき、貴方がたの態度に触れるにつけ、私だったら夫どころか主と仰ぐのも真っ平だわ!お前らどんだけ自己評価高いんだ自惚れんのも大概にしろ!……等々と、常々思っておりましたわ?」

その微笑みは天使のように美しいが、薔薇色の唇から紡がれる言葉はどこまでも容赦がない。

最後だけ取り繕った所で言った内容はもうマイナスに振り切るどころではなく、言うだけ言ったアリスティアは清々しい表情だが、言い切られたアッシュバルトとギルバートは今にも萎んでしまいそうに小さくなっていた。


が、そこへ、

「ぶっ…、あはは」

とアルフレッドが吹き出し、

「ちょ、やめなさいよアルフ、せっかくこらえてたのに、」

続けてカミラが吹き出した。

「言われちゃったねー、今まで内心はともかく絶対口には出さないように取り繕ろってたのに」


「お前たち……」

状況が飲み込めないアッシュバルトは何とも言えない表情で言葉を発せずにいるが、アルフレッドは構わず、

「ねぇアリスちゃん?何で僕のとこには来てくれなかったの?あれ、僕にもやってくれるかと期待して待ってたのに」

いまからでもどぉ?と笑顔で腕を広げるアルフレッドに、

「あれは婚約者のいる方に当て付けでやってみたものですもの。いない方にやっても意味ないでしょう?」

「”貴方がた“に僕も入ってるのに冷たいなぁ……」

拗ねるアルフレッドの横ではカミラがお腹を押さえて爆笑している。

涙までうかべる程に。

「カミラ……」

ギルバートが諦念と非難が混じったなんとも言えない声をあげるが、カミラはどこ吹く風だ。

「うーん、“仰って下さった”のくだりはイマイチだったわねぇ。お花畑ヒロインなら言ってくれたじゃないですか!とかもっと知能低そうに叫ばないとじゃない?」

「そう言われましても……無茶言わないで下さい」

アリスティアは思わぬ所で指導が入り苦笑する。

どこからどう見ても長年の友のように親しげで、訳がわからない。


「おい、アルフレッド」

説明しろ、と弟を促すが、

「僕も詳しいことは知らないよ?ただカミラにここに誰も近づかない様に結界を張って手も口も出すな、黙って見てろって言われただけ」

「それに黙って従う馬鹿がどこにいる……」

「今まで散々やらかした馬鹿に比べたら安いもんでしょ」

そう返すアルフレッドの目は笑ってない。

「私も同意」

カミラが続く。

「そうでしょ、ミリィ。安いもんよね?」

「!」

急に名指しされて青褪めた顔をあげ、目の前にいるアリスティアの空色の瞳に呑まれたように竦むミリディアナに構わず「では、」とアリスティアは告げる。

「答え合わせを、始めましょうか」

と。












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