第14話 元勇者の魔王、金欠の理由
翌朝、目が覚めると、何か柔らかいものに包まれていた。
見下ろした布団は昨日よりも盛り上がっている。
布団を剥ぐと、そこには黒い塊があった。
成程、あの感触はこの子だったか。
その黒い塊――ブラックドッグが俺の上で丸まって寝ている。
鍵を掛けておいて正解だった。
遠目から見ればただの犬も同然だろう。
けれども、大きさと赤目を見られれば、ブラックドッグと判別できる者も居よう。
宿屋の女将は部屋の合鍵を持っているはず。
余り油断するのも考え物か。
フワフワとした不思議な感触はあるものの、体温らしき熱は伝わってこず、重さも殆ど感じられない。
何とも不思議な生物だった。
基本的には、あの黒い霧の集合体なのだろうか?
結局、昨日はブラックドッグに食事を取らせることは叶わなかった。
意思疎通できないというのは、何とももどかしい。
とはいえ、だ。
当然、このままというわけにもいかない。
何が食べられるのか早急に知る必要がある。
昨日の一件で当面は金に困らない。
正確には、宿代の心配は要らなくなった。
稼ぐ必要があるのは、自分とスライムやブラックドッグの食事代。
今日は王城に進捗を確認がてら、妖精の食事についても、王城内の誰かしらに尋ねてみることにしよう。
王城内には、かなり大きな書庫があったはず。
そこで調べさせて貰っても良いかもしれないが、あの中から自分で探すぐらいなら、誰かに聞いた方が遥かに早く済むだろう。
労を惜しむわけでは無いが、手早く済ますに越したことはない。
調べた後にその食料を調達する必要もある。
それを踏まえた上でも、手早く済ますことは理に叶っているだろう。
今日の行動指針も決まったところで、久々の朝食を頂くためにも、食堂に向かいたいのだが。
合鍵の件もあるし、魔物たちを部屋に置き去りにするのは危険に思える。
なるべく一緒に行動するとしよう。
身支度を整えつつ、昨日思いついたローブを羽織っておくのも忘れない。
まだ寝こけているスライムたちをバッグへと掴み入れる。
ブラックドッグには申し訳ないが起きて貰い、霧状になってローブの中へと身を潜ませる。
準備万端整ったところで、食堂へと向かう。
美味い!
しばらくぶりの宿屋での食事。
あの宿屋の女将の立ち居振る舞いからは想像できない程に繊細な味。
流石に長らく王都で宿屋を営んでいるだけのことはある。
きっと、王都で名立たる食事処に引けを取らない味だ。
……それほど良くは知らないのだが。
この宿屋に長く宿泊していると、舌が矯正されてしまい、他店の味では物足りなく感じる。
十二分に朝食を堪能し、宿屋を後にする。
向かう先は王城だ。
道中、ようやく起きたらしいスライムたちがバッグの中で蠢いているのを感じ、外側から軽く手で触れて宥めてやる。
昨日役目を果たせなかった干し肉を細かく千切って、バッグの隙間から中に入れてやった。
それでしばらくは我慢してくれ。
王城での諸々を済ませたら、またクエストついでに山にでも赴くとしよう。
あそこでなら、外に出してやることもできるだろうし、ついでに冒険者の動向も探っておきたい。
昨日の今日でまた山に居るとも思えないが、そもそも冒険者たちが常習的に山で魔物を張り込みしているかもしれない。
居なければそれで構わないし、居たら他の魔物について気を配ってやれば良い。
そうこうしている内に城門まで辿り着いていた。
城門は閉まっていた。
日はまだ登り始めといったところか。
道中の店も開店しているところは稀だった。
流石に早く来過ぎたか。
無理を言って通して貰うほど、危急の要件というわけでもない。
どこかで時間を潰すことにしよう。
冒険者ギルドなら、昼夜問わず開いている。
あらかじめ採取クエストでも受けておくか。
そう思って歩いていたら、知り合いに出くわした。
「――あら? これはこれは勇者様ではありませんか! ご無沙汰しております。お変わりはありませんでしたでしょうか?」
「えぇ、お久しぶりです、院長さん。まぁ、何とか健康に過ごしていますよ」
王都で孤児院を営んでいる院長さんだった。
「それはようございました。――何度も申し上げておりますが、改めまして多額のご寄付の件、お礼申し上げます」
「いえいえ、前にも言いましたが、お気になさらないでください」
「お言葉ですが、そういうわけには参りません! 子供たちが日々お腹を空かせる事無く過ごせているのも、勇者様からのご寄付があったからこそでございます。幾度感謝してもし足りません」
「いえ、本当にもう感謝は十分ですから。皆が元気でいるなら自分としても嬉しいですし」
「是非、また孤児院へいらしてくださいまし。子供たちも喜びます」
「では、機会があれば伺わせていただきます」
「はい、それはもう是非に。――と、すみません、お引止めしてしまったみたいで。では、これにて失礼いたします、勇者様」
「はい、それでは」
去っていく院長さんの後姿を見送る。
まさか、昨日の今日で会うことになろうとは。
院長さんは、あの宿屋の女将の古い知人らしい。
昨晩話に出た女性とは、院長さんのことだった。
報奨金や装備などのお金は、その殆どを孤児院に寄付していた。
元々そうするつもりだったわけではなかったが、偶然自分が宿泊している宿屋の女将と知り合いだという院長さんと話す機会があり、孤児院の運営に困窮している実情を聞くにつれ、気が付けば殆どの有り金を寄付していた。
別に詐欺にあったわけではない。
ただそうするべきと思ってしたことだった。
結果的に宿代にすら困る事態へと陥ってしまったわけではあるが。
そして、そのことを知っていた宿屋の女将さんが、宿代を滞納した俺をさっさと放逐せずに今まで住まわせていてくれたようだ。
だからこそ昨日の晩、また俺が寄付してしまうと思って、大金を奪い取って見せたのだろう。
まぁ、強く否定はできない。
また同じように寄付しないとは断言できそうもない。
院長さんも悪い人ではないのだが、会う度にああしてお礼を言ってくれるので、何ともむず痒いというか居心地が悪いというか。
遠目に見かけると、進路を変更する程度には苦手な人だったりする。
孤児院の子供たちの親は、魔物によって命を落としている。
当時は助けられなかったことへの謝罪の意味も込めての寄付だったようにも思うが、今はどうなのだろうか。
今の俺は、魔物たちを助けようと動き始めている。
あの子供たちからして見れば、親の仇の肩を持つに等しい行為だろう。
子供たちから向けられる視線が変わってしまうかもしれない。
それが、今はとても恐ろしく思えた。
中々明るくならないことに疑問を覚え空を見上げると、珍しく曇天だった。
普段であれば好ましい天気。
けれども今は気分をも曇らせるように感じられた。
曇天の下、冒険者ギルドを目指して歩く。
その足取りは、宿屋を出た時とは打って変わって重くなっていた。
魔物のこと、子供たちのこと、考えれば考えるほどに、絡まる糸の如く解きほぐすのが困難になってゆく。
何も、今生き残っている魔物が子供たちの親の命を奪ったわけではない。
魔物だからと一括りにして扱ってしまうのは間違っている。
では、もし仮に、本当に子供たちの仇である魔物が眼前に現れたらどうするのか。
どちらの味方をする?
魔物か?
子供たちか?
…………。
此処で出す答えに意味はないのだろう。
その場、その瞬間の決断にこそ、俺の本心が反映されるはずだ。
詭弁か、偽善か。
視界がどうにも暗く感じる。
いっそ、雨にでも打たれてしまいたい。
このどうしようもない感情を洗い流して貰いたい。
勇者だった頃の俺がこの感情を抱いていたとしたら、俺は魔王を倒すことができたのだろうか。
俺は一体、誰の、何のために戦っていたのだろうか。
あの頃はハッキリと分かっていたはずのモノが、今は遠くに思える。
できたことができなくなることと、できなかったことができるようになること。
果たして、どちらが良いことなのだろうか。
あー、駄目だ。
これ以上は駄目だ。
今どうにもできないことを悩んでいても仕方がない。
気持ちを切り替えろ。
先ずはクエストの受領、次は王様への進捗確認、その次はブラックドッグの餌探し、最後にクエスト完遂で終いだ。
頭と心のモヤモヤを払うべく、四階建ての建物へと足を踏み入れた。
流石にまだ魔物討伐を禁止する布告はなされていないようだった。
とはいえ、Cランクに討伐クエストが無かったのは幸いだ。
昨日と変わらず、採取クエストを受領し冒険者ギルドを後にした。
今日は久々に可愛い受付嬢が応対してくれた。
ここ数度は銀髪眼鏡の美人さんが担当してくれていたので、何やら新鮮な気分を味わえた。
このまま、気持ちを一新させて事に臨みたいものだ。
多少軽くなった感のある足を、王城へと向ける。
のんびり歩いていけば、城門も開く頃合いだろう。
……成程、今日は厄日らしい。
これでは進捗の程も察しが付こうというものだ。
城門は問題無く開かれていたが、王城へと足を踏み出せずにいた。
問題は眼前の人物。
「何かな? この国の王子を前にして、その態度は頂けない。改めたまえ」
王子だった。
折角、受付嬢が盛り返してくれた気分が、急転直下、台無しである。
渋面を浮かべる俺に、王子が更に言い募る。
「まったく。この私が、曇天もかくやという表情を浮かべた勇者殿に、態々話しかけて差し上げたというのに、その反応はないのではないかね?」
「……それはどうも」
「時に、勇者殿。父上についてお尋ねしたいことがある。……ここでは何だ、私室までお越し願いたいのだが、構わないかね?」
「……分かりました」
「よろしい。では付いて来たまえ」
促されるまま、王子の私室へと付いていくこととなった。
父親――つまりは王様のこととなれば、思い当たるのは魔物についての件であろうことは明白だ。
そりゃあ、突然魔物を擁護する発言をし始めたら、何かあったと疑ってかかるのも無理はない。
その折、運悪く俺が出くわしてしまったわけだ。
まったく、何て日だ!
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