第12話 元勇者の魔王、山を登る
まだ時刻は昼頃だろうか。
何とか昼食を取ることができそうだ。
四階建ての建物を前にそう思いをはせる。
気分は依然として晴れはしないが、何を成すにも先ずは食べることからだろう。
それに、薬草の群生地に空いた穴については、冒険者ギルドにも共有しておいた方が良い情報に違いあるまい。
薬草採取クエストは
常設してあるクエストとなっており、主に初心者や俺みたいに早急に日銭が必要だったりする冒険者のための救済措置の意味合いが強い。
必然、初心者程、あの穴に落ちてしまいかねないのだ。
内部に脅威は無さそうだったが、落下時に怪我を負いかねない。
警告はしておくべきだろう。
ただ疑問に思うのは、今の今まで誰も見付けなかったのか、と言うことだ。
魔物が減少した昨今、受けられるクエストは、そう多くはなかろう。
あの場に、他の冒険者の姿も無かった。
では、彼らはどこに行っているのだろうか。
開け放たれたままの両開きのドアを通り、屋内へと足を踏み入れる。
一階正面のカウンターは半分ほどが埋まっている。
空きのカウンターへと向かい、クエストの報告と穴の件を伝えることにする。
「お疲れ様です、冒険者様。ご用件は何でしょうか?」
応対してくれた受付嬢は、クエストを受けた際に担当してくれた銀髪眼鏡の女性だった。
「クエスト達成の報告と、後は共有しておきたい情報がありまして」
「――共有したい情報、でございますか? 何でしょうか?」
「はい、実は――」
俺は薬草の群生地に空いた穴の件と、その洞窟内で盗賊が行っていたであろう所業について軽く伝える。
「……左様でございましたか。貴重な情報をご提供いただきありがとうございます。当該クエストを受注の際、及び、各冒険者様にも随時お伝えしておきます」
「はい、よろしくお願いします」
「それでは、ギルド証と依頼書の写しの提示をお願いいたします」
「はい、これです」
「――はい、ご本人様であると確認させていただきました。ギルド証はお返しいたします。それでは納品いただいてもよろしいでしょうか?」
「はい、これが薬草10個になります」
「――はい、品質にも問題は見受けられません。こちら、定額の報酬となります。ご確認の上、お納めください」
「はい、確かに」
「ご用件は以上でよろしかったでしょうか?」
「はい、ありがとうございました」
「本日はご利用いただきありがとうございます。またのお越しをお待ちしております」
受け取った報酬を仕舞い、頭を下げる受付嬢に軽く頭を下げ返して、カウンターから離れる。
脳内で近場で安い食事を検索しつつ、冒険者ギルドを後にする。
報酬の三分の一ほどの金額で食事を済ませ、今後の予定について考えてみる。
まだ日も高いし、毒消し草の採取クエストは済ませていない。
あの薬草の自生地には無かったから、他の場所を探しても良いが、先の盗賊の一件もある。
昨日の仕込みの成果を確認がてら王城に出向いて、ついでに思いついたことを実践してみても良いかもしれない。
目を閉じ、意識を王様に向けてみる。
すると、頭の中に相手の状況が伝わってきた。
どうやら昨日指示した件について、今現在会議の真っ最中の様だった。
流石にその場に乗り込むのは無理そうだ。
周囲の者たちから猛反発を食らっている王様の様子が窺える。
――形勢は不利、か。
王様一人の意見で事は決まらないか。
だが、できれば王様の施策と、今俺が思い浮かべているアイディアの2つを合わせることで、どうにか現状を変える
今できることとしては、無害な魔物の保護、不要な魔物討伐の阻止辺り。
あわよくば、魔物が人助けをする、なんて現場に居合わせれば、それを喧伝して回るというのも悪くない。
人間の魔物に対する過剰な暴力の実情、そして、魔物の人間に対する友好の証左、この2つにより、世論を魔物保護の流れへと傾けたい。
この場でできることは無い。
まずは……毒消し草を探すか。
再び王都南の外へとやって来た。
今度の目的地は山だ。
王都周辺は平野となっているため、最寄りの山までは少し距離がある。
離れているからこそ、採取されていない野草の類が残っている可能性が高い。
懸念材料としては、この平野にも冒険者の姿が見受けられないということか。
ここに居ないとなれば、必然的に他の場所に居ることになるわけで。
つまりは現地で遭遇する可能性が高まる。
できればスライムたちに食事を取って貰いたいところだ。
到着は夕方前だろうから、早めの夕飯としては申し分ないだろう。
まぁ、バッグから出さずに、俺が拾い入れてやれば良い話か。
そんな感じの緩い計画を脳内に浮かべつつ、山へと向かう。
特に問題なく山へと到着した。
お蔭で、予想よりも早く着くことができたぐらいだ。
日は沈み始めてはいるが、まだ空の殆どは青色のまま。
なるべく、日がある内に見つけてしまいたい。
というか、どうせ日が沈むなら月下草の採取クエストもついでに受けておけば良かったかもしれない。
……今更ではあるが、勿体ないことをした。
いかんいかん、今は毒消し草だ。
周囲には他の冒険者の姿は見当たらない。
――が、居るな。
パーティーか、個人が偶々複数居合わせただけなのかは分からないが、何人か潜んでいる気配がする。
潜んでいる辺り、一般人ではあるまい。
恐らくは冒険者。
気配が漏れている時点で、大した冒険者ではなさそうだが。
ランクはCか、Bに上がったばかりの冒険者かな。
だが問題は、何故潜んでいるかだった。
間違いなく採取目的ではあるまい。
野草を隠れて探す理由がないからだ。
ならば隠れる必要がある理由とは何か?
それは、狙う対象が逃げる恐れのあるモノ。
つまりこの場合は、十中八九、魔物を狙っているのだろう。
流石にこんなお粗末な隠匿では、野生の魔物とて気が付くとは思うが、念には念を入れておくか。
なるべく彼らを刺激しないように、魔物ではなく野草を探しに来たというのが伝わる様に動いてやる。
そうしつつも、彼らの動きを常に把握しておき、何かあれば即座に対応できるよう、身構えておく。
何も起こらないことが一番良い。
だが、そういう時に限って事は起こるものだ。
そして今回も例に洩れなかったらしい。
気配が動く。
一斉に何処かに向かおうとしているようだ。
仕方なく、彼らの後を付けることにする。
辿り着いたそこは、常に日が当たらないのか、やけに薄暗く木や草が余り生えていない場所だった。
その中心に黒い何かが居た。
体は一様に黒く、目は血の様に赤い。
アレは――不味い!
見守る中、先に到着していた冒険者たちは、我先にとその魔物に殺到する。
それを追いかけるように、跳び出す。
先頭の冒険者の首根っこを掴み、その身を引き寄せるようにして後ろへと放り投げる。
一瞬後に、首のあった場所を魔物の前足が薙ぎ払った。
鋭い爪が風切り音を残していく。
冒険者にではなく、魔物に相対する。
魔王が倒されてなお、狂暴な魔物も中には存在する。
その内の一体が眼前の魔物――ブラックドッグだった。
大型の犬に似た容姿だが、れっきとした魔物だ。
2メートル近い黒い巨体に赤い目。
こんな王都のそばには生息していなかったはず。
何処からか追われて来たのか、偶々棲み付いたのかは定かではないが、明らかに危険な魔物だ。
周囲の冒険者では、単独で挑んでも返り討ちに遭うだけ。
徒党を組めばあるいは、といった力量差か。
冒険者たちに向かい、大声で呼びかける。
「速やかに退避してください! 相手はブラックドッグです、皆さんの敵う相手ではありません!」
俺の言葉に、しかし、同意の声は上がらなかった。
「おい、アンタ! 邪魔するんじゃない! その獲物はオレのだ!」
「馬鹿言うな! そいつはオレの獲物だ! 他のヤツは引っ込んでろ!」
「――くそっ、人の首を物みたいに引っ張りやがって。余計な世話なんだよ!」
「そうだそうだ! 折角見つけた魔物なんだ、誰にも渡さねぇぞ!」
……誰も彼も、久々に目にした魔物とあってか、聞く耳を持ちやしない。
かといって放置するわけにもいかない。
このままでは死人が出かねない。
そうしてまた、魔物の悪印象が強まってしまう。
ブラックドッグから冒険者たちを護り、且つ、冒険者たちを退かせる。
……ちょっと難しいかもしれない。
思考の間にも、冒険者たちがブラックドッグへと殺到してしまう。
この場に気絶させては、かえってブラックドッグの餌になりかねない。
やるならば遠くに飛ばしてやる必要があるか。
ブラックドッグへと迫る冒険者を片端から蹴り飛ばしてゆく。
威力は強めに。
これ以上動かれても邪魔なだけ。
運悪く、木にぶつかる者もいたが、死ぬよりかは遥かにマシ。
すぐさま俺とブラックドッグだけが残った。
本来、敵対心を失っていない魔物は退治しておくべきなのだろうが。
ここは一つ、試してみるとしよう。
幸いなことに、ブラックドッグよりも俺の方が強い。
Bランクの冒険者でも複数人で挑めば勝てる相手だ。
上手くいけば退治せずに済ませられる。
ブラックドッグは俺を睨み付けながら、唸り声を上げている。
先ずは対話を試してみるべきか。
「落ち着いてください。争うつもりはありません」
頭の中に声は響いてこない。
相変わらず、唸り声だけが耳に届く。
……もしかして、俺の言葉が通じていない?
スキル【意思疎通 (魔)】は魔物に対して有効なはず。
それが通用しないとしたら、理由は何だろうか。
意思が無い……ようには見受けられない。
他の何かに操られている可能性は否定できないが、確認のしようが無い。
一説には妖精の類だという話があったが。
まさか、あの話が本当だったりするのか?
上手くいくか若干不安になってきた。
人間、こんなにも簡単に不安に襲われるものなんだな、と場違いにも関心してしまう。
勇者であった頃には感じなかった感情に、未だ戸惑いを隠せないでいる。
一々不安に駆られても仕方がないだろうに。
実力差は明白なのだ。
失敗すれば追い払うわけにもいかない。
この場で始末を付けるしかないだろう。
――って、すぐに不安が頭を
こういう場合、無駄に考えるから駄目なのだ。
さっさと行動に移してやれば、不安に思っている余裕もないだろう。
一念発起とばかりに、ブラックドッグへと距離を詰める。
すぐさま噛みついてこようと飛び掛かって来た。
が、その両顎を手で押さえつける。
――顎からでも可能だろうか?
疑問には思ったが、取り敢えず試してみることにしよう。
暴れるブラックドッグは、しきりに前足を
目を閉じると引っかかれかねない。
俺は構わないが、バッグの中のスライムたちが引っかかれでもしたらことだ。
予め、バッグを置いておくべきだったな。
けど、もう遅い。
目を開いたまま、意識を集中してみせる。
≪
目を閉じた時よりも時間がかかったが、どうにか狙いどおりに発動した。
後は効果があるかだが……。
押さえつけた顎から力が抜けたのが分かった。
……これはちゃんと効いてるかな?
恐る恐る体を地面へと下ろしてやり、顎から手を放す。
ブラックドッグは唸り声も上げず、暴れる様子も見られない。
……大丈夫そうかな?
「……えぇっと、俺の言葉は分かりますか?」
『――――』
「分かるようなら返事してみてください」
『――――』
うーむ……これは駄目だったか?
意思が伝わって来る様子が無い。
やっぱりブラックドッグは魔物じゃないのかもしれないな。
意思疎通できないのは残念だが、ともかく何処かに身を隠してもらうしかない。
だが、どうやってそれを伝えたものか……。
ジッと佇むブラックドッグを前に、しゃがみこんで考える。
犬に似た姿だし、躾ければこちらの言うとおりに行動してくれるかも?
いやいや、それが可能だとして、どれだけ時間が掛かることか。
犬笛とかは……これも躾けと変わらないか。
うーむ、困ったな。
指示を与えてやれないと、最悪このままの状態で放置することにもなりかねない。
この状態で、もし反撃も逃亡もできないとしたら、次に現れた冒険者によって退治されてしまうだろう。
どうしたものか。
眼前に鎮座する犬の似姿。
思わずその頭を撫でてしまっていた。
――何か不思議な感触だな。
何と形容すれば良いのだろうか。
触れられる雲とでもいうか、犬の毛並みとは違い、もっと気体に近いようなフワフワとした感触を返してきた。
先程顎を掴んだ時は気が付かなかったが、こんな感触だったとは驚きだ。
いや、そういえば突然現れたり消えたりできるんだったか。
――と、ブラックドッグが突然姿を消した。
「!?」
思わずその場から飛び退く。
何処に行った!?
移動したというよりは、その場で掻き消えたように見えたが……?
それこそ、さっき丁度思っていたみたいに、突然姿が消え失せてしまった。
……おや?
先程、ブラックドッグが居た辺りに黒い靄が漂っていることに遅まきながら気が付いた。
さっきまでは無かったけど、何だこれ?
恐る恐るといった感じで、その霧に手を伸ばしてみる。
別段感触らしきものは無い。
とはいえ、ただの霧であろうはずもない。
そのまま黒い霧を手で捕まえようとしながら、考える。
前後関係からいって、この黒い霧がブラックドッグなのか?
消えると思っていたのは、この霧の状態になれるってことだったのかも。
だったら霧から元に戻ることも――。
そう考えた瞬間、黒い霧が集まり、ブラックドッグが再び姿を現した。
…………。
これ、もしかしなくても、触れた状態で考えることで、俺の意思が伝わってる?
試しに、ブラックドッグの頭に手を置いて、消えるように念じてみる。
すると、すぐさま黒い霧になってみせた。
おぉ!
今度は黒い霧に手を伸ばしつつ、元の姿に戻るよう念じてみる。
するとやはり、ブラックドッグが姿を取り戻してみせた。
いやこれ凄くね!?
どうにか逃がそうと思ったけど、霧状になれるなら連れて帰るのも容易な気がしてきた。
まだ上手く指示を与えられないし、この場に残していくよりかは断然良い。
立て続けに一緒に住む相手が増えている気もするが。
まぁ、有害でなければ問題ないだろう。
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