第2話 勇者、転職

 周囲と同じく、二階建ての建物。


 だが、同じなのは高さのみで、広さは段違いだ。


 外からでも、建物内には少なくない人々が利用していることが窺い知れる。


 建物に入ってすぐそばにあった受付で、転職したい旨を告げる。


 すると、無地の石板を手渡された。



「そちらの石板を一定時間お持ちになられますと、石板上に適職が表示される仕組みとなっております」


「へぇ」



 どういう仕組みなのだろうか?


 一瞥いちべつした限りでは、灰色をした只の石の板だ。



「適職の数だけ表示されますので、希望される職業をお選びいただき、2番窓口で石板の提出と希望される職業を係の者へお伝えください」


「あ、はい、分かりました。ありがとうございます」



 手渡された石板を携え、近くの空いている席へと向かう。


 初めて転職場に訪れたが、こんな仕様になっていたとは驚きだ。


 こんな石板一つで職業が決められるのか。


 誰もが生まれながらに、天職として予め職業が決められている。


 天職を変更したいと望んだ場合に、この転職場を訪れることになるわけだ。


 勇者という天職に不満などなかったから、一度も足を運んだことはなかった。


 まさか石板に職業が表示されるなんて、何とも神秘的なことだ。


 確かこの石板を持っていれば、適職が表示されるんだったよな。


 石板を凝視し、表示される文字を見逃すまいと構える。


 が、次第に不安が頭をもたげてきた。


 思わず目を瞑ってしまう。






 どうか、勇者よりも稼げる職業を!


 どうかどうか、お願いします。


 農民でも商人でも文句は言いません。


 あ、でも、吟遊詩人とかはちょっとアレかも。


 歌上手くないんで。


 あ、後々、料理人とか鍛冶屋とかも無理かも。


 手先が不器用だから、創作系は向いてないと思うし。


 あー、他にも――。


 次から次へと、望む望まざるを問わず、職業が頭に浮かんでは消えてゆく。


 一体、俺の適職とは何だろうか……。


 恐る恐る、目を開ける。






 石板上には二文字。


 どうやら、俺の適職は一つだけのようだ。


 第二の人生に、選択肢は用意されていないらしい。


 ハッキリと確認するのが怖い。


 怖いが、今はまだ勇者なのだ。


 勇気ある者、勇気持つ者。


 恐怖に打ち勝つことなど、造作もない。


 意を決して、その二文字を読み上げる。



「――魔王」



 ん? 何? 何だって?


 もう一度、石板上の文字を確認してみる。



 "魔王"



 あー、これは、アレだ。


 この石板、きっと壊れているのだろう。


 いやいや、心臓に悪いよ。


 流石に魔王は在り得ないでしょ。


 っていうか、魔王って職業なの?


 ともあれ、ちゃんとした物と交換して貰おう。


 最初に訪れた受付に向かい、声を掛ける。



「すみません。どうやら石板が壊れているみたいでして、他の石板と交換して貰えませんか?」


「――は? 石板が、ですか?」


「えぇ」


「えぇっと、文字が表示されなかったのでしょうか?」


「いえ、文字は表示されたんですが、その、ありえない職業でして」


「はぁ? ともかく確認してまいります。それでは石板をお預かりいたします」


「はい、よろしくお願いします」


「――えぇっと、何々、"魔王"?」


「えぇ、どう考えてもおかしいでしょう?」


「そ、そうですね。お、おかしいですよね。しょ、少々お待ちください」



 俺の返事を待たず、受付の職員は石板を持って慌てて奥へと引っ込んでしまう。


 俺としては、代わりの石板を渡して貰えれば良かっただけなのだが、受付の職員が戻るのをこのまま待たなければならないのだろうか。


 手持ち無沙汰に待つことしばし。


 奥から受付の職員と、もう一人を連れて戻ってきた。


 そのもう一人が無地の石板を手渡してくる。



「こちらに手違いがありましたようで、誠に申し訳ございません。こちらが新しい石板となりますので、改めてこちらをお使いいただきご確認ください」


「どうも、ありがとうございます」



 お礼を言い、新しい石板を受け取った。


 また近くの席へと向かおうとしたが、背中に視線を感じる。


 振り向いてみると、先程の受付の二人が心配そうにこちらの様子を窺っていた。


 何がそんなに心配だというのだろうか。


 受付の方をできるだけ見ないようにし、手に持つ石板へと集中することにする。


 今度は目を瞑らず、石板を直視し続ける。


 やがて、石板の表面に文字が浮かび上がってきた。


 現れたのは、またもや”魔王”の二文字。


 そこで初めて嫌な予感を覚える。


 まさかとは思うが、石板の故障ではないのではないか。


 原因は石板ではなく、俺の側にある?


 三度、受付に向かう。


 こちらを待ち構えていた二人が、石板の文字に目を落とす。



「魔王……!?」


「――そんなっ!?」



 両者は異なる反応を、しかし、同じ驚きをもって現してみせた。



「……これって、石板の異常ではないんですかね?」



 俺の問いに、受付の一人が答えを返す。



「……今までそのような職業が表示されたことはありません。それも二度ともなれば、失礼ながら石板の不備とは思われません」


「そ、そうですか」



 やはり、原因は俺にあるようだった。


 とはいえ、心当たりなど、精々が魔王を倒したことぐらいしかないのだが。


 まさか、その際に魔王になる呪いでも受けていたのか?



「この石板に表示された以外の、他の職業に転職することはできないんでしょうか?」


「――申し訳ございません。あくまでも石板に表示される適職にのみ転職が可能となっておりますので……」


「それじゃあ、俺は魔王にしか転職できないってことですか!?」


「……大変申し上げにくいのですが、そうなります」


「そんな……」



 一体全体、何の冗談だろうか。


 勇者である俺の適職が魔王!?


 しかも、他の選択肢は無いときたものだ。


 既に勇者として生計を立てていくのは厳しい。


 かといって、魔王になったとして、一体何をすればいいというのか。


 再び混沌の時代をもたらせとでも?


 いやいやいや、在り得ないだろう。


 でも、しかし、どうして、いや、どうすれば……。


 頭が混乱をきたす。


 想定を大幅に超える事態に、頭が上手く回らない。


 すると、様子を見かねたのか、受付の一人が声を掛けてきた。



「――それで、如何致しましょうか?」


「は?」


「ですから、転職なさいますか?」


「いや、俺に魔王に成れって言うんですか!?」



 俺の声は思いの外大きく周囲へと響き渡ってしまった。


 その言葉を聞き、建物内の人々がざわめきだす。


 いかん、悪目立ちしてしまった。



「ど、どうか気を静めてください」


「――すみません。でも、本当にどうにもならないんでしょうか?」


「はい、当方と致しましても、適職を変更することはできません」


「そうなんですか……」



 石板の文字に目を向ける。


 そこにあるのはやはり"魔王"の二文字。


 何という皮肉だろうか。


 魔王を倒した俺が魔王になれるだなんて。


 せっかく魔王を倒して平和になったのに。


 いや、魔王が魔物を使役して人間を襲わせなければ、今のような平和のままなのでは?


 つまり、魔王になったとしても、その力を悪用しなければ、平和は維持される?


 それに、魔王になれば、天職で魔王となるモノは生まれてこないのではないだろうか。


 魔王という職業が、果たして何を成せるものかは分からない。


 だが、俺が魔王になることで、次の魔王の発生を阻止できるのだとしたら、悪い話ではないようにも思えてくる。


 今のまま勇者で居続けたとしても、できることは最早無さそうなのだから。


 それならば、魔王になることで、逆の立場から平和を維持してやればいい。


 俺にしては、よい思いつきではなかろうか。


 自棄やけになっているわけでは断じてない……はずだ。



「……えっと、確か2番窓口に行けばいいんでしたよね?」


「――すみませんが、何がでしょうか?」


「ですから、転職するには2番窓口に行くんじゃなかったでしたっけ?」


「え、えぇ、そうですが……もしや転職されるおつもりですか?」


「えぇ、まぁ。物は考えようかな、と。要は悪事を働かなければ大丈夫でしょう」


「ほ、本気ですか!? だって魔王ですよ!?」


「もう決めましたから。それじゃ、色々とお世話になりました」


「ちょ、ちょっと――」



 なおも食い下がってくる受付の職員たちを余所に、2番窓口を探して受付を後にする。


 程なく見つけた2番窓口で石板を提出する。


 それを受け取った職員は、石板に表示された二文字を目にし、しばしの間硬直していた。



「――し、失礼ながら、本当にこちらに転職なさるおつもりでしょうか?」


「はい、それでお願いします」


「さ、左様ですか。し、少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」


「いえ、誰に説得されたとしても、俺の気持ちは変わらないので、すぐに転職をお願いします」


「――そ、そう、ですか? で、では、道なりに奥へとお進みください」


「はい、分かりました」



 促されたままに、道を奥へと進む。


 大して歩くことも無く、職員の待つであろう部屋へと辿り着いた。


 並んでいるのは無人の椅子ばかり。


 幸いにして、待っている人はいなかった。


 扉は既に開かれている。



「――次の方どうぞ」



 室内から声が聞こえた。


 声に従い、室内へと入る。


 中に居たのは、中年男性の職員だった。



「――えぇっと、何々……は? 魔王? おぃ、何だこの石板は? 誰かの悪戯か!?」



 間違いなく俺の石板を見たであろう反応だ。


 まぁ、無理もないのだろう。


 だが、いつまでも悠長に待っているわけにもいかない。


 転職後、すぐにでも金策に奔走しなければならないからだ。


 さもなくば、宿屋の女将が俺を超える魔王へと変じかねない。



「えっと、すみません。魔王への転職で間違いないので、それでお願いします」


「――は? 何を言ってるんだ君は? そんなことあるわけがないだろう!」


「もう二個も石板を試しているので、間違いではないです」


「いやいやいや、しかしだね、君。魔王だぞ? 正気なのか?」


「いたって正気です。お願いします」


「……本当に後悔しないかね?」


「もう今の職業でできることはやり尽くしました。俺は魔王になります」


「……君は随分と変わった人間なんだな。まぁ、悪人には見えないが、一応、王城に報告はさせてもらうことになるが、それでも構わないかね?」


「それで構いません」


「……分かった。だが、まずは転職について説明するぞ?」


「はい、お願いします」


「転職するとレベルは1になる。だが、前職のステータスを半分、それとスキルを一部引き継げる」


「ふむふむ」


「それでも構わないなら、この書類にサインしてくれ」


「分かりました」



 紙とペンを受け取る。


 内容は誓約書のようだった。


 転職に了承したとか、自己責任とか、そんな感じの内容が続いている。


 軽く流し読みして、さっさとサインしてしまう。



「……ふむ、不備はないな。では、転職を始めようか」


「はい、よろしくお願いします」


「うむ。では、目を閉じて、リラックスしたまえ」


「はい」



 言われるがままに、目を閉じ、気を静める。


 すると、全身が温かくなるのを感じた。


 だが、次第に力が抜けていく。


 そして何も感じなくなった頃になり、声を掛けられた。



「――うむ、滞りなく完了した。もう目を開けて構わんよ。これで君は魔王になったわけだが……何か不調は感じられないかね?」



 目を開きつつ、質問の内容について自問する。


 不調……やはりこの脱力感だろうか。



「――そう、ですね。何か力が抜けてしまったように感じます」


「当然だな。転職したことでレベルが1になっておるからな。今までと同じように動くことは叶わないだろう。また一から鍛え直すしかない」


「……そうですか」



 俺も、俺の仲間も、転職した者はいなかった。


 だから、転職による諸々を知らない。



「あぁ、他には何かないかね?」



 その場で軽く体を動かしてみるが、脱力感以外には何も感じられなかった。



「……これといって、特には」


「そうか? ならいいが、スキルなど、必ず確認しておくようにな」


「はい、ありがとうございました」


「くれぐれも気を付けるようにな。魔王なんて職業なんだ。何が起こるか分かったもんじゃない」


「はい」



 言われたように、早急にスキルは確認した方がいいだろう。


 勇者だった頃には当たり前にできていたことが、転職した今となっては、難しかったり、できなくなったりしているかもしれない。


 職員に礼を言い、退室する。


 これ以上注目されるのを嫌い、足早に転職場を後にした。

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