第13話

 講堂を後にした桂花は先を歩く幸耶と隣で歩幅を合わせている百音と共に、廊下を歩いていた。

 二限終わりの昼頃のため、学生たちで賑わう廊下は様々な色と欠片でごった返しており、それらは混ざって不快な色になることなく天井に綺麗なグラデーションを描く。


 上を向いて歩こうとは上手いこと言ったなあ


 あの歌の歌詞はまさしく今のためにあると桂花は確信するほどに美しく、万華鏡のようにそれは人々の行き交う風に揺られる度に表情を変えていく。

 その景色は彼女のみが見ることが出来るいつもの世界。だが普段の花弁たちなら1人でに自壊するのだが、今日見える花弁たちは氷のようにスルリと溶けていっていた。


 いつも見るけど、やっぱり飽きないや


 ネオンのように激しくもなく、かと言って薄すぎない、まるでステンドグラスを通してやって来るような景色を桂花は気に入っていた。

 だからこそ、この風景を誰かに口伝でしか伝えられない事に対して彼女はさらに表現の術を学ぶべく文学部へと足を踏み入れた。

 桂花はこの景色を昔から周りの人たちへと伝えようと努力し、ありとあらゆる活字本を読み漁り、我がものとしていた。

 それでも文学部では自分の知らない切り口や観点での作品が紹介されたりさりげない表現に対する解釈など、新鮮な出来事ばかりで彼女は幸せを感じていた。

[なんか、難しい言葉ばっかりだよね]

 そんな楽しい事を思い出していると、あの日のチャットの文字が脳裏に蘇った。

 背筋を走る氷よりも冷たいあの感覚に思わずピタリと足を止め、呼吸も鼓動も浅くなった。

 二人は足を止めた彼女に気付くことなく、前へと進んでいく。桂花はその背中に「待って」とも言えず、目についた化粧室の中へと駆け込んだ。

 深呼吸を洗面台の前で繰り返しながら何度も忘れようといつものように静かな水面と青空を想像する。

 そして一滴、また一滴と水面に落ちて波紋が広がるのを想像した。

 その行動を二度三度繰り返し、呼吸も落ち着き、目の前の鏡を見ると真っ青な自分とその周りに切っ先を向ける針たちが映っていた。


 大丈夫。今の私は違う。そうよ。二度と、あんな間違いはしない


 強く心の中でそう叫ぶと、針たちは溶けて無くなり、鏡には桂花だけが映っていた。それを見た彼女は安堵と同時に深いため息をついた。

 まただ。と桂花は毒づく。


 この調子だと本当に人と接するって事が出来なさそうね


 折角誘ってくれた人に何も言わずに自ら離れた自分は最初に何度も見てきた光景だった。

 久しぶりに話しかけてきた百音にもその弟(ファーストコンタクトはかなり酷かった気がする)にも申し訳ないと思いながらも、嫌われて当然と結論付けて片付けた。

 今日もおさんぽ兼孤独なお昼と洒落込みますかと予定を決めてから桂花は化粧室の扉を開けようと手を伸ばしたが、その手は空を切り、一人でに開いた。

 利用者かと思い半歩引いて壁際に寄ったが、開けた主は彼女の前で立ち止まった。不審に思い、視線を僅かに上げると、そこには肩で息をしている百音がいた。

 どうやってここにいるのが分かったのか、や態々わざわざ探してくれたのかと色々な心境が渦巻いて動かない桂花の手を百音は強く握り、外へと連れ出した。

 この時、桂花は百音の周りに舞う視界いっぱいに映る橙の桜吹雪のようなモノを目撃した。

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見えるオト、聞こえるカタチ 諏訪森翔 @Suwamori1192

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