第5話

 夏空というのは涼しいクーラーで満たされている部屋の中や、縁側でたらいに満載した氷水に足を突っ込みながら風鈴の音を聞きながら見るのが最高だ。

 だからこそ炎天下のましてや日焼け対策で長袖を着ている桂花には地獄の帰路だった。

 たまらず水分補給のためにペットボトルをバッグから取り出して飲むも喉を通過したのは生温いお茶で、爽快感は与えられない。


 殺人的だよ。これは


 ここ数日間の天気は晴れ、その翌日も晴れ、晴れ。さらに気温が今年に入って35℃を超えたらしいと桂花は先ほど昼食をとっていた喫茶店に置かれていたテレビで見ていた。


 私が子供の時はもっと優しかったような──


 思い出される夏の日差しは幼かった頃の桂花の目を眩ませながらほんのりと柔らかく、そして背後から追い抜くように駆けて行った風には爽やかさを含んでいる。

 だが、今彼女が感じている世界では直線的な紫外線と室外機から排熱されたモノをただ運んでいるだけの風たちだけが取り囲んでおり、優雅さも奥ゆかしさもなかった。


 こんな日は冷房がとっても恋しい


 往来する人は少なく、でも建物の中に目をやると密集している様子はさながら感染症が爆発的に流行していた頃のように桂花は感じた。


 そう考えると、去年や一昨年の夏ってどんな感じだったっけ?


 去年は緩和された矢先の爆発的な感染者増加によって桂花ら大学一年生の煌びやかな夏は潰され、一昨年の夏は勉強に必死で何も記憶に残っていなかった。


 じゃあ二年ぶりの夏ってわけだ


 殺人的な日光を親切な雲が遮った直後、嫌なことしか考えていなかった思考を前向きに変えた桂花は誰に見せるわけでもなくマスクの下で笑い、自宅のあるアパートの階段を駆け上がる。

 一段一段が桂花の体重を支える度に悲鳴を上げるが彼女の耳には入らず、足元から飛んでくる赤錆色の歪な音符と共に軽いステップであっという間に駆け上がりながらバッグから鍵を取り出し、自分の部屋番号が書かれた扉のロックを解除して帰宅した。

「た、だ、い、ま」

 しっかりとした声で無人の蒸し暑い部屋に帰宅を告げ、履いていたパンプスを無造作に脱ぎ捨ててリビングにずかずかと進んだ桂花は机の上に置いてあった冷房のリモコンを掴み、寸分の迷いもなく”強”のボタンを押す。

 リビングの壁際に据え付けられている冷房の電源部分が緑色に点灯したのを確認してから彼女はリモコンを机の上に戻し、その隣に置いてある薬缶の蓋を持ち上げ、中を確認した。

 だいぶ空になっている中をしばらく見続け、顔を近づけてニオイを嗅いだ桂花は鼻をつく異臭に思わずうっ、と顔をしかめた。


 冷蔵庫に入れておくべきだった…

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