情報の整理③ 情報を出す順番
分かりやすい文章のためには、大事な情報をなるべく早く出す必要がある、ということを散々強調してきたので、今回は逆に、情報を出さないことで「読ませる」文章のお話をします。
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ラジャバイ時計塔の鐘の音がゆるやかに熱帯の大気へ拡散していき、わたしは静かに目を開く。
(伊藤
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これまで私が解説してきたセオリーで言えば、修飾語と修飾される語はなるべく近くに置くべきですから、「ゆるやかに」と「拡散していき」が離れているのは……となりそうなところですが、今回の場合、そのような書き換えを求めるのは野暮です。
というのも、情報を出す順番に沿って、読者の視点を動かすことが意図された表現だからです。
多くの読者にとって「ラジャバイ時計塔」は聞き慣れないと思いますが、ともかくここから話が始まり、その「鐘の音」が「ゆるやかに」……どうやら、ラジャバイ時計塔の周辺にゆるやかな、静かな時間が流れているようです。
「熱帯の」
ラジャバイ時計塔は熱帯にあるようです。
先ほどの「ゆるかに」と合わせて考えると、空気が暖かく湿っているような想像もできますね。
「大気へ拡散していき」
時計塔から始まって、大気へと読者の視点も広がっていきます。
「わたしは」
広々とした大気のイメージの後で、急に視点を「わたし」に持ってくることで、「わたし」の
「静かに目を開く」
時計塔の鐘の音が響いていることから考えて周囲は静かなわけですが、そこに呼応するように「わたし」は「静かに」……落ち着いた気持ちです。
プロローグを経てはいるのですが、第1部冒頭ということで、これから物語が始まる段階です。
それを暗示するように、「目を開く」と来るわけです。
すごい。カッコいい。
書き方として分かりやすくはないかもしれませんが、小説の書き方としては、よく出来た1文だと思います。
ちなみに、ラジャバイ時計塔はインドのムンバイ(旧ボンベイ)にあり、高さは 85m だそうです。
もう1つ、別の例を見ておきましょう。
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あざやかな赤い色のボタンが、軽く押された。壁に並んでいる、かず多くのボタンのうちの一つだった。装置はものうい響きをあげながら、ただちに指示に従った。そして、原爆の弾頭をつけたミサイルを送り出した。
(星新一『宇宙のあいさつ』より表題作「宇宙のあいさつ」、冒頭)
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多くの読者がドキッとすると思いますが、これもかなりよく出来た表現です。
最初に「ボタン」の話から始めますが、ボタンが押されたという時点で、機械のボタンであることが分かります。
作者が星新一なので、本で読んでいる読者なら、「SFかな?」と思うことでしょう。
「軽く押された」とあるので、押した人物はあまり緊張感がないようですが、何でもないボタンならなぜ物語の冒頭にそんな話が来るのか、ちょっと不思議ですね。
よく読むと、「あざやかな赤い色のボタン」となっているので、軽く押されたと言いつつ、何か特別な意味を持つボタンのような、そんな予感も
第2文「壁に並んでいる、かず多くのボタンのうちの一つだった」。
ここは「いつもの星新一」という感じですね。
第3文「装置はものうい響きをあげながら、ただちに指示に従った」。
これも順当な流れ、と言えばそうなのですが、削ってもいいかと言えばそんなことはありません。
ガヤガヤと楽しげなわけではなく、音が不快なわけでもなく、「ものうい響きをあげながら」というのが――上手く言語化できませんが――、この場面に味わいを出しています。
そして、装置は「ただちに指示に従った」。
それはそうでしょう、機械なのですから。
とも思いますが、読者にとって望ましくないことが機械的に行われているようにも解釈できて、嫌な予感が高まるような、なかなか緊張感のある表現です。
最後に「そして、原爆の弾頭をつけたミサイルを送り出した」。
おいおい、そんなボタンを軽く押すな!
星新一は冷戦期に活躍した作家ということもあり、核戦争やそれによる人類滅亡を念頭に置いた話を多く書きました。
発表当時の読者もそういう危機感を共有していたはずで、21世紀の我々よりもドキッとしたに違いありません。
ボタンを押すことが何でもないように思わせておいて、実は人類にとって決定的な意味を持つかもしれないと明らかにするこの流れは、少ない文字数で「緊張と緩和」のギャップを作る、鮮烈な表現です。
単に分かりやすく書くのではなく、肝心な事柄を伏せて読者を
このように、文章チェックの際には、情報を出す順番によって読者にどんなイメージを与えるか、順番を変えることでどんな効果を発揮することになるか、といった点も考慮していただければと思います。
ただ、ここまでお話ししてきて何ですが、Web小説で同じことをやるのであれば、注意が必要です。
というのも、以前にもどこかで書いた気がしますが、Web小説の読者は基本的に書き手の技量を信用していないからです。
これはつまり、登場人物や世界観に期待していないということです。
星新一や伊藤計劃はプロの作家ですから、多少文章が分かりにくくても、読んだ先に「プロにふさわしいクオリティの物語」が展開されると期待できます。
乱暴に聞こえるかもしれませんが、彼らが「ラジャバイ時計塔」や「あざやかな赤い色のボタン」の話から始めて肝心な情報をなかなか出さないでいられるのは、いきなりそんな話をしても読者がついてきてくれるという自負があるからです。
Web小説であまり焦らしすぎると、話が本題に入る前に読者が離れてしまう事態が考えられるので、作品のPVや評価を伸ばしたい方はご注意ください。
技巧を凝らした本格派の小説を目指す場合は、余計なお世話かもしれませんが、Web小説として発表する前に文芸雑誌や公募に出した方が良いかもしれませんね。
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