助動詞「れる」「られる」に頼りすぎない
助動詞「れる」「られる」には受身、尊敬、可能、自発という4つの意味があります。
過激な発想かもしれませんが、「れる」「られる」を使うとそれだけ文の意味が
特に受身と自発のときは、使わない書き方にした方がすっきりすることが少なくありません。
・「アフリカの未来は明るいと考えられる」
→「アフリカの未来は明るいと(私は)考える」
・「十年前の事件の再調査が求められる」
→「(私は)十年前の事件の再調査を求める」
学校や受験勉強の評論文でもお馴染みの表現ですが、「れる」「られる」のこのような使い方には、動作主(考えている人、求めている人)を
文法的には前者が可能、後者が受身だと思いますが、自発っぽいニュアンス――「自然とそう思えてくる」と言いたげな雰囲気――もあって、「ここまで読んできた皆さんも、そう思いますよね」と同意を求めているような
アニメ『宇崎ちゃんは遊びたい』にも、主人公の桜井くんが後輩の宇崎ちゃんに、
「『~だと思います』だと小学生の作文だろ。レポートなんだから『~と思われる』と書け」
などと教えるシーンがありますが、「この表現を使っておけばそれっぽくなる」という考えは間違いではありません。
ただ、それっぽいだけで論拠がないレポートはすぐにバレますし(大学の先生は他人の論文の穴を見つけて新たな論文を書くのが仕事なので)、小説で用いても雰囲気だけで中身が
助動詞「れる」「られる」の使い過ぎが文をごちゃごちゃさせた、有名な例をご紹介しておきます。
――――
まさかな。よもや君に会えようとは。乙女座の私には、センチメンタリズムな運命を感じられずにはいられない。
(アニメ『ガンダム
――――
アニメの台詞は文字ではなく、音声として視聴者に伝わるので、強く印象付けるためにわざと違和感を残すような言葉選びになっている可能性もありますが、当然ながら、Web小説を書く我々がそれを真似するのはリスキーです。
先に「センチメンタリズムな運命」を片付けておくと、sentimentalism は「感傷主義」と訳される英語の名詞ですから、辞書通りに手堅く考えるなら、形容詞にふさわしく「センチメンタルな運命」とすべきでしょう。
ただ、これは音声にしたときのインパクトを狙った表現、あるいは「センチメンタル」を一種の和製英語として、より強い語感を狙った表現と解釈して良いかもしれません。
当然ながら、『ガンダムOO』は物語であって、評論や学術論文ではないので、厳密な意味での的確さよりも、言葉の持つニュアンスを重視するのは、必ずしも悪手ではありません。
(何かを運命のせいにするのがセンチメンタリズムであって、「センチメンタルな運命」と「センチメンタリズムな運命」はどちらもおかしい、と思われるかもしれませんが、ここではひとまず、グラハムさんのワードセンスを尊重しておくことにします。)
さて、この小論が問題にしたいのは、もちろん、「感じられずにはいられない」という部分です。
ここに違和感を覚える人は多いようで、彼の名言をまとめたネット記事を見ても、そのいくつかで「感じずにはいられない」と、誤って引用されています。
今回の場合、1文中で「られる」が2つ出てくる上に、意味的にも「感じられる」と「感じずにはいられない」のどちらかで充分だということが、違和感の正体だと思います。
少し調整が必要ですが、
・「乙女座の私には、センチメンタリズムな運命に感じられる」
・「乙女座の私には、センチメンタリズムな運命(のせい)に思えてならない」
・「乙女座の私(として)は、センチメンタリズムな運命を感じずにはいられない」
などの修正が考えられますね。
ちなみに、「センチメンタリズムな運命」という部分に違和感が残る場合、
「乙女座の私(として)は、この運命(あるいは“この再会”)にセンチメンタリズムを感じずにはいられない」
といった言い方を検討しても良いかもしれません。
何はともあれ、助動詞「れる」「られる」には頼りすぎないように、くれぐれもご留意ください。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます