語り方② 一人称の語り、三人称の語り

 今回は、地の文を支える視点のお話です。

 一人称とか、三人称とかのアレです。


 一応書いておきますと、ここで言う一人称の語りとは、小説の地の文(会話文ではない本文)を「私は……する」の形式で書くことを指します。

 小説内の登場人物に小説を語らせるわけです。

 それに対して、三人称の語りは「彼/彼女は……する」という形式で書かれます。

 一般的にこれは、小説内の登場人物による語りではなく、作中世界のどんな事象でも見ることができる仮想的な視点からの語りで、「神の視点」とも言われます。


(※注)実は、小説の語り方はこの2つ以外にもあります。

 重松清『きみの友だち』は、小説自体を登場人物の1人に向けた手紙に設定して「君はあのとき、……したね。そうしたら××さんが……と言って……」のような語り方をしています。

 ゲーテ『若きウェルテルの悩み』は手紙、星新一『セキストラ』は特定の語り手や聞き手を想定しない新聞記事やメモの寄せ集めで、出来事を提示する形式です。

 ですが、そういった変則的な語り方のお話は別の機会にゆずらせていただきます。


 基本的なルールとして確認しておきたいのは、一人称の語りに三人称の語りを混ぜてはいけないということです。

 たしかに、逆はあります。

 地の文を三人称の語りにしておいて、所々で地の文に主人公の心の声を書くという手法です。

 というか、三人称で語る長編小説の大半はそういう書き方になっていると思います。


 ですが、主観的なものである一人称の語りから、客観的な「神の視点」に飛んでしまうと、どうしても無理が生じます。

 そんなことになるくらいなら、最初から三人称の語りを採用するべきです。


 これにともなって注意喚起しておきたいのは、たとえばA、B、Cという3人の登場人物がいて、地の文がAによる一人称の語りを基本としている場合、BやCしか知らない事情を語ろうとして「神の視点」を用いるのは悪手だということです。

 ホームズ(B)がアイリーン・アドラー(C)を尾行したときの様子を、ワトソン(A)が知って読者に語るためには、当事者であるホームズの話をワトソンが聴くという手順が必要なのであって、いきなり神の視点になって「一方その頃、ホームズは……」と始めてしまうと、ワトソンが全知全能の神になったかのような不自然さが生まれてしまいます。

 もし「***」などの分かりやすい印で区切ったとしても、話をぶつ切りにすれば異物感が残りますし、語り手(A)の視点で積み上げてきた世界観をキャンセルすることにもなりかねません。

 作品として一人称の語りを採用するからには、基本的にはそれをつらぬき通すのが得策です。


 ちなみに、『ホームズ』シリーズには、ワトソンが不在でホームズが語り手を務める話(『ライオンのたてがみ』)や、完全な三人称で書かれた話(『最後のあいさつ』)もありますが、それらは独立した短編であり、作品の中で視点が切り替わっているわけではありません。

 また、一人称の語りから別の人物による一人称の語りに切り替わる小説(伊坂幸太郎『アヒルと鴨のコインロッカー』、ジョナサン・ストラウド『バーティミアス』など)もありますが、話が一区切りつくまでは視点が固定されていることが多いはずです。

 もちろん、ライトノベルでは、主人公による一人称の語りを基本としつつ、主人公以外のキャラ(多くはヒロイン)の視点から主人公の魅力や秘密のエピソードなどが語られることが珍しくありません。

 ですが、私の感覚で言わせてもらえば、そういう手法に頼りすぎると、一人称の語りによる面白み(主人公以外のキャラの内面を限られた情報から想像し、主人公と一緒になって驚いたりドキドキしたりする楽しさなど)を損ねてしまうように思います。


 一人称の語りのとき、もうひとつ注意していただきたいのは、この語り方は基本的に、語り手の何気ない言動――態度、表情、仕草などを含む――を明示するのには向かないということです。


 たとえば、「それを聞いて、Aは顔をしかめた」と「それを聞いて、私は顔をしかめた」では、動作主A(あるいは「私」)がどれくらい意識的に「顔をしかめた」かのニュアンスに差があることを、お分かりいただけるでしょうか。

 一般的に言って、「顔をしかめる(不機嫌さを露骨に顔に出す)」という行為(あるいは態度)は本人の意図にかかわらず不意に起こるものです。

 小説の登場人物が、自覚や目的意識をもって顔をしかめた場合にはそう書かれるはずですから(書かねばなりませんから)、一人称の語りで「私は顔をしかめた(=私は顔をしかめるという動作を選択した)」と表現することは不自然です。


 このような場合、「私は思わず顔をしかめた」などの書き方をするのが無難でしょう。

 また、「顔をしかめた」事実を明示することに拘泥するのではなく、不機嫌になった理由や思考回路を提示し、地の文に「どうして……なんだ」、「……だなんておかしい」などと書くのにとどめることも、選択肢に入れて良いと思います。

 理由がはっきりしていれば、語り手が顔をしかめているであろうことは読者にも察してもらえるはずですし、もしどうしてもそこを明示したいなら、他者B、Cの台詞として「そんなに嫌そうな顔をしないでくださいよ」などと言わせる手もあります。

 それでカバーしきれないと感じるようなら……、僭越せんえつながら、三人称の語りで書き直すことをおすすめします。

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