とても良い学びをしております。このような機会を頂き感謝いたします。
Web小説と文学作品の隔たり。書けないのか、書かないのかはさておき、学のない私にはとても貴重な機会となっております。とかく、同じような表現を重複して描写してしまう未熟さを、この機会に、幾らか進歩させたいと思います。以後もしっかりと拝読致します。
作者からの返信
コメントを下さり、ありがとうございます。
至らぬ点が多い小論だと思いますが、そうおっしゃっていただけて幸いです。
Web小説の全体的な傾向として、読者も書き手もコストパフォーマンスを追求しているような節がありますね。「頭を空っぽして読める」くらい、頭を使わずに済む、情報として単純化された描写によって構成される娯楽を読者は求めていますし、書き手もまた、人気が出て、広告収入が入って、書籍化できるなら、文章のニュアンスなんて気にしないという方が多いように思います。
もちろん、需要と供給があって双方が得をするなら良いという考え方もあるわけですが、小説を書くのが楽しくて始めたはずの創作活動が、ネットの波に揉まれてそういう方向に変わっていくのだとすれば、ちょっと悲しい気がしますね。
キタコレー!!
俳句的な要素のやつ!!
失敗すると「何言ってるかよく分かんない」に
なるやつ!!
かつてのトラウマがぁぁぁ!!!
作者からの返信
泉さん、過去に何かやらかしたんですか(笑)
日本語は不思議な言語で、実は(というか、こう言ってよければ伝統的には)主語と述語(用言)の対応をそんなにくっきりさせない書き方が多いんですよね。受験勉強で読んだ古文も、「(私が)……と申し上げたところ、(○○様が)……とおっしゃるので、(私が)……したら、××さんがどうのこうの」といった具合だったと記憶しています。主語をズバッと言わず、ニュアンスで読み取らせるのが粋、という感性があるのでしょうね。
俳句のことは、率直に申し上げて僕にはよく分かりませんが、文字数の都合で断片的な情報だけを置くことになるでしょうから、主語の切り替えが激しくなるのも分かる気がします。個人的には、日本の短歌や俳句はそれが詠まれた文脈を前提にしているものでしょうから、文脈を何も知らない人にとって「何言ってるかよく分かんない」事態になるのは当然だと思いますが、プレバトとかを見ると、短歌や俳句にも巧拙があるようで、文芸の世界は難しいなと思います。