第28話 信行暗殺
ある日の事、信長が病に伏せているという情報が入った。
帰蝶や吉乃は信長を見舞ったらしいが、あおいだけは、普段と変わらない生活を送っていた。
あの日以降、城の中庭に出掛ける事も止めていた。日常といえば、室町時代の人々は一日二食だったが、あおいと智香は朝、昼、夕と、日に三回食事を取り、身体が鈍らない様に、自室の庭に出て体操や、スクワットをして、空いた時間は仕立物で時間を潰した。夜は必ず日記を書き、ふたり枕を並べて寝ている。
「あおい」
久しぶりに自宅に戻っていた智香が血相を変えて走って来た。
「どうしたのよ」
仕立てている布を膝横に置き、あおいは智香に振り返った。
「信長」といってからぶるぶると首を振り、
「お屋形様が、病気で寝込んでるって」
「うーん、そうなの」
少し首を捻ってから、あおいは仕立物を再開した。その様子を見て、智香はかくっと肩を落とした。
「心配じゃないの?」
「さあ、なんとも思わないわね」
俯いて、針を持つ手を動かしている。信長とあおいの関係は、出産以後、完全に崩壊していた。
「お方様」
明け放たれた襖の影から、良之が顔を覗かせた。見ると廊下に膝を付いている。
「何か?」
と智香はぶっきら棒にいい、続けて、
「吉乃殿のところで用心棒でもしているのかと思いましたが?」
「その様なことは」
良之は言葉を詰まらせた。眉間を寄せ、頭を低く垂れている。
「何か、用事があって来たのでしょう?」
あおいは立って、良之の傍に座った。良之は、あおいの顔を見ると、泣き出しそうになり、もう一度、頭を下げた。
「お屋形様が流行病にかかり、長い間病床に伏しております」
「聞きました」
「お見舞いに行かれた方が宜しいかと存じます」
「殿はなんと」
「あおいは、どうしているかと?」
「良いわ。こうして養って貰っているのだから、見舞いには行きましょう」
智香に向いて頷き、あおいは廊下に出た。
「お方様、打掛をお召しになられた方が」
後ろから良之が声を掛けたが、あおいは何も答えず、足早に歩を進めた。
信長の寝室は、居室のいちばん奥の座敷にあったので、たどり着くまで、三つの座敷を通る必要がある。一の間には、小姓が数名控えており、刀を携帯している者は、ここで預ける仕組みになっている。
「さあ、こちらへ」
良之が襖を空け、あおいは立ったままで寝室に入った。信長の枕元に座ると、彼は薄っすらと目を開けた。
「お加減は?」
「悪くはない」
信長の声はしっかりしていた。あおいは首を傾げると、室内を見渡した。
「久しぶりだな」
「ええ、久しくここには来ていませんから」
唇を殆ど動かさずに、そういうと、「薄暗いですね」といい立って縁に通じる襖を少しだけ明けた。
襖から漏れた光が信長の目を差したので、信長は片目を瞑り、手をかざした。
「ここへ」
言われるがままに信長の枕元へ戻ると、顔を近づけた。
「お元気そうなので帰りますね」
「元気ではない」
信長はあおいの頬に触れた。あおいは、その手を覆う様にしてから、元の位置へ戻した。
「未だご機嫌斜めか」
天井を向いた信長は、胸を大きく上下させた。
「では」といってあおいが立ち上がろうとした時、良之が襖を開けた。
「お屋形様、勘十郎殿がお見えで」
「なに」
信長の顔が一気に険しくなった。勘十郎とは弟信行の通称名である。
「通せ」
信長は横になったままで、そういった。米神がぴくぴくと動いているのが見える。弟が見舞いに来たのなら尚更と、腰を上げた時に、信行が入って来たので、あおいは座りなおした。
信行は、あおいの存在に驚いた表情を見せた。軽く会釈し、あおいとは反対側に腰を下ろし、両腕を着いて平伏した。
「兄上、お身体の調子は?」
「あまり良くない」
信長は目を瞑っていた。無言の時間が流れ、信行はあおいに話を振った。
「遅くなりましたがあおい殿、若君御誕生、おめでとう御座います」
「いいえ」
「奇妙丸君は、そろそろ伝い歩きができる年頃でしょうか?」
「さあ、わかりかねまする」
「お会いになられてない?」
「会うなと、言われておりますので」
「さ、左様で」
信行は言葉を詰まらせ、寝ている信長に目をやった。側室である実母が、実子に自由に会えないのは、この時代、不思議な事ではなっかたが、あおいの落胆を表情から読み取ったのだろう、信長を見る目に侮蔑が伺えた。
「この頃、龍泉寺を城へ改造したと聞い及んだが」
突如、信長が話し出した。目は瞑ったままであるが、声に厳しさが増していた。
「そっそれは」
信行は動揺し、出入り口の襖の前に構える良之を見た。良之は片膝をついて座り、片手は刀の柄を握っている。一の間で太刀と脇差を預けてしまっていたので、信行は丸腰である。
「織田信安と共謀し、篠木三郷(信長の直轄領)を略奪しようと企んだ」
「その様なことは決して」
信行の視線が定まらなくなった。キョロキョロと周囲を見渡し、立ち上がろうとした時、信長が起き上がった。掛け布団をあおいに被せる様にして払い、隠していた脇差で信行の腹を突き刺した。
何が起きたのか、全く想像もつかないまま、あおいは掛け布団から顔を出した。
「あ、兄上」
信行は顎を上げ、苦しみに顔を歪めていた。
「二度目はないと申したであろう、愚か者」
信行は首を小刻みに振っている。
「お許し下さい」
息も絶え絶えに信行はそういった。一筋の涙が頬を伝った時、信長は弟を自分の身体から引き離した。
ばたんと後ろに倒れた信行は、未だ息をしていた。畳が次第に血で染まっていく。
我に返ったあおいは、床を這いつくばって信行の元へ行った。
「信行殿」
「あ、あおいど、、、の」
「お話しては駄目です。どうか、どうか」
信行を抱きかかえていたら、信長に胸を押され、後頭部を床に強く打った。意識が遠のいてゆく時、
「とどめを」と良之に命じる信長の声を聞いた。
織田家の次男として生まれ落ちた身なれど、家督相続に翻弄された人生であった。織田勘十郎信行は、この日、兄によって謀殺。享年22歳。
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