第14話 斎藤道三

舅・斎藤道三との会見が富田(愛知県)の正徳寺で行われる。あおいもそれに同行する様、命じられた。

「姑殿との会見に、わたしなんかがついて行って、何か役に立ちますでしょうか」

道中、騎馬で同行していたあおいは、信長と並走している。出発の日、未だ夜も明けきらないうちに、信長があおいの寝所を訪ね、出掛けるから握り飯を二人分用意するようにと言われた。寝ている時に信長があおいを訪ねるのは初めてのことである。驚いたあおいは、信長が去ってからも、すぐには起き上がれないでいた。自分の顔を覗き込んだ信長の顔が残像となって消えない。宙の一点を見つめ呆然としていた。

ふたり分のおむすびって、なんだろう?と考えながら台所で握り飯をこしらえていたら、帰蝶付きの侍女に抜擢された志保が、豪華なうちかけを引き摺りながらやって来た。志保がいなくなってから、台所の雰囲気は前よりましになったのだが、日に何度も暇つぶしに訪れる志保の目を気にして、取り巻き連中のみならず、他の面々も、相変わらずあおいとは距離を取っている。そんな事情もあり、出来れば自室で支度をしたかったのだが、いろいろと必要な物が台所に揃っているので、仕方なくここにした。いつもよりも二時間ほど早い時刻だから、人はいないと期待していたが、既に多くの侍女が忙しそうに動き回っていた。

「握り飯を?」

志保は、あおいの肩越しに顔を覗かせた。

「ええ」

「随分な量」

六つの握り飯を見た志保はあおいを下舐めする様に見た。

「ふたり分との事でしたので」

あおいは志保を見ない。首元に息が掛かるのを避けるように顔を背けた。

「ふたり分、あ~」

といって、二三歩、志保は無駄に歩き、大きく息を吸い込んでから、

「奥方様のお父上にお会いになるのだから、殿と奥方様とのふたり分を拵えさせられているのか、嘆かわしい」

大声でいってから満足したように、笑い声を立て、台所を後にした。


「お前は、着替えの手伝いをしてくれたらいい」

信長は真っすぐ前を見ながらいった。

出発寸前になり、帰蝶が同行しないことはわかった。志保が何故、あの様な事を言ったのかはわからない。本当に、帰蝶が同行する予定だったのかも知れないし、あおいへの嫌がらせのつもりで発した言葉なのかも知れない。とにもかくにも信長と自分の旅支度を整える事に必死で、櫛も通してない髪の毛は、一束に結んだだけで、身支度は酷いものだった。


一方、正徳寺までの道すがら、富田の町はずれにある小屋に隠れ、会見前の信長の様子を見ようと企てる男たちがいた。

「そろそろ婿殿が、ここを通る頃じゃな」

帰蝶の父親である斎藤道三は、側近ふたりを伴い、小屋の格子窓から外を覗き見ていた。

「恐れながら、信長殿は大うつけとの噂、いくら停戦の為とはいえ、姫君を嫁がせるのは、納得がいきませぬな。いまからでも遅くない、姫君を取り戻しましょうぞ」

側近のひとり春日は、道三の横で、同じように格子窓を覗いている。

「まあ、そう焦るな春日。そのうつけ振りを見ようではないか、帰蝶の事はその後で良い」

「おお、来ましたぞ!」

もうひとりの側近堀田が大声を出したので、道三は指を口に当てて、シーっと黙らせた。

「まずは足軽か」

「尾張の田舎大名の列ですな」

春日は、織田の隊列を馬鹿にした口調である。

「次は槍衆ですぞ」

「なんだあれは、随分と長い槍ではないか、しかも朱槍とは派手好きの婿殿らしいわ」

道三は珍しい物でも見るかの様に、目をらんらんとさせている。しかし、槍の長さが三間半もあるのに驚きを隠せない様子だ。しかも隊列はいつまでも続いている。

「一体、何人いるのだ、調べておるのか」

「いいえ、何にも聞いておりませぬ。おお、次は弓衆ですな御屋形様」

んーっと苦虫を嚙み潰したような様相の道三は、あっあれは!と格子越しに指をさした。その先には、いつも通りの湯帷子を袖脱ぎにした信長がいた。金銀飾りの太刀。脇差は、長い柄を藁縄で巻いていた。太い麻縄を、脱いだ方の腕に巻き、腰の周りには、火打石ち袋、瓢箪を七つほどぶら下げ、虎革と豹革を四色に染め分けた半袴をはいていた。

「なんじゃ、なんじゃあの恰好は!!あれが信長か!まるで猿回しではないか」

道三は子供の様に両腕をぶんぶん振り回して怒っている。それを慰める訳でもなく春日が、

「鉄砲衆ですぞ、お屋形様」

と驚愕の声を上げた。

「えらい行列ではないか、なっ、何丁ある」

春日は右手で指をさし、左の指を折りながら数えている。

「えーい、その様にして数えられるか」

道三はその場にへなへなと尻をついた。

「五百はありますな…」


寺内町に入った時点で、あおいは隊列の最後尾にいた。もちろん下馬して歩いている。ここに来るまでに、木曽川と飛騨川を船で移動していたので、少し船酔いの症状が出ていた。地上を歩けるのは、ありがたかった。

正徳寺に到着すると、お小姓衆らと藤八郎によって屏風を引き回した。信長の着替え様の小部屋を作ったのだ。屏風の中に入り、あおいは、運ばれてきた長持の中から礼装を取り出し、那古野城から運んできた衣桁に、それらを掛けた。藤八郎の手により、萌黄色の平打ち紐で結ばれていた信長のトレードマークである茶筅髷はとかれ、折り髷に結い上げられている。

「生まれて初めての折り髷だ」

鏡を見せられた信長は、意外に満足そうだ。

「那古野のお城を出る時から、その様に結っておけば、楽だったのではないですか?」

そう、あおいがいうと、

「それでは、つまらぬ」と信長はいい放ち、「まむしの道三が腰を抜かす姿を見てみたいではないか」

薄く笑った。

褐色の長袴を穿き、この日の為に拵えておいた小刀を差した信長は、あおいの乱れた髪の毛を綺麗に結ってやってくれと、藤八郎に命じた。


御堂で信長の入室を待っていた道三は、ぶすっと頬を膨らませている。先程一緒にいた春日になにやら耳打ちしては、その時だけニヤリと笑った。

藤八郎に髪を整えて貰ったあおいは革袴姿から、礼装の着物に着替えて、御堂の端に藤八郎と共に並んでいた。普段の仕事着と比べて、色も鮮やかで生地も良い着物は、七五三の仮衣装の様で不思議だった。


奥の上座に座るのが道三だと、藤八郎が囁いた。

上座をちらりと見ると、無粋な大柄の男が座っている。ついでに周りを見渡したが、女の姿はなかった。

「わたし、ここに居ていいのかしら」

小声で聞いた。

「殿のご意向です。大きな顔をして居たら良いのです。誰に遠慮もありますまい」

ふっーと、あおいは、胸で大きな息を吐いて俯いた。斎藤家の家臣団の視線を浴びていて、居心地が悪い。

そんな時、道三が口を開いた。

「織田の息子は阿呆そのものじゃ。奇怪な恰好して、無礼千万。さぞ帰蝶も苦労であろう」

首を振り、やれやれといった。

「悪口ですね」

あおいは、道三を睨んでいった。

「お気になされるな。もうすぐ大どんでん返しが見られますゆえ」

そうこうしていると、信長が入って来た。道三が覗き見した姿とは一転、正装に身を包んだ信長は、非の打ちどころのない若武者である。

春日と堀田は顔を見合わせている。そこに、利家が現れ、「織田上総介殿で御座います」と言った。

「なっ、なんと」

ふたりは慌てて信長に駆け寄ると、

「山城守殿が長らくお待ちで御座います。早く、こちらへおいでなさいませ」

と忠告したが信長は知らん顔で、諸侍の居並ぶ前をすいすい通り抜けて、指定された場所ではなく、縁側の柱に寄りかかって座った。

「なんじゃーあの態度は」

道三はしきりに、扇で膝を叩いている。信長は胡坐の中に両手を入れ、唇の片方を上げて庭を見ていた。

「もう我慢がならぬ」

と道三は立ち上がり、信長の前に立った。

「こちらが山城守殿で御座います」

と春日と堀田が、ほぼ同時に紹介したので、道三は、下がれ、下がれ、と扇を振った。

「ようやく、いらしたか」

それだけいうと、信長は立って春日と堀田に誘導された敷居の中に入った。

「なっ、なっ」

自分を差し置いて、さっさっと歩く信長の後を追いながら、道三はぶつぶつ小言をいっている。

座敷に入ると、信長は上座に向かって座り、道三が落ち着くのを確認してから、

「織田上総介信長でござる」

と挨拶をした。

道三は、「うむうむ」と口を動かしている。

しばらくすると湯漬けが運ばれて来た。

湯漬けをかっこむと、酒の用意がされ、信長と道三は盃を交わした。

「帰蝶は、娘は息災か」

酒の力も借りてか、道三から話しかけた。

「まあまあで、ござる」

「まあまあとは?」

道三の盃を持つ手が下がり、酒が袴にこぼれた。信長は知らぬ顔をしている。すると、

「あっあそこに」

あおいの方を、道三は顎をしゃくって見せた。視線を浴びたあおいは、きょろきょろと目線を動かした。藤八郎に、堂々となさいませ。といわれ、居住まいを正した。

「あの女人はご側室か?」

「側室」

ふっと信長は微笑んでから、あおいから目線を道三に移し、口角を上げて頷いた。

「そっそれは、まあ、そうで御座るか。おう、春日、杯が空いておる」

道三にいわれ、自分の盃に酒を注ごうとする春日の手を信長は止めた。

「これまで」

「さっ酒は好まぬか」

道三は不服そうだ。

「何事も、嗜む程度で」

「でござるか」

道三も、酒のこぼれた盃を盆に置き、苦々しい顔つきのままで立ち上がった。

「舅殿、また近いうちにお目にかかろう」

「そ、そうじゃな。お見送りしましょう」

山門の外で、信長は道三を見送った。道三は終始、面白くない顔をしていた。騎乗で春日に向かい、

「見てみろ春日、あのなっがい槍を、うちの槍はあの半分もないぞ、悔しいのう、悔しい」

猪子という者が馬を蹴って、道三の横に並んだ。

「あれは、相当の阿呆ですぞ」

と信長を罵った。それを聞いた道三は眉根を下げて、

「悔しいのう、無念じゃ」

「何が無念なのですか?姫君を信長の阿呆に嫁がせた事でござるか」

「そうではない。無念なのは、うちの息子どもは必ずあの阿呆の門前に馬を繋ぐことになる」

「はあ」

「信長に従うことになるという意味じゃ」

これ以上は何も語らず、道三は帰路に着いた。この日を境に、道三の前で信長の事を悪くいう者はいなくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る