第12話 彼の決意
人目を避けながら、あおいは慎重に孝一を家に連れてきた。
素足の足は幸い傷ついていない。足を洗い、草履履きの孝一にも足を洗う様にいった。
鈴虫が、うるさいくらいに鳴いている。いつもは邪魔にさえ思える秋の音色も、今夜に限っては好都合であった。
足を洗い終わった孝一に手ぬぐいを渡し、使用済みの桶の水を外に流してから、あおいは部屋に戻った。
聞きたいことが多すぎて、感情が整理できない。
「どうしてここに?」
土間の上がり框に座る孝一の隣で聞いた。
「俺にも、何が何だかわからない。気が付いたら戦国時代にタイムスリップしてた。タイムスリップだよね?」
「うん、たぶん。それで、いつ、いつ来たの?最初はどこに着いたの?わたしは五条川の河原だった。事態を把握できなくて怖かった。孝一は?」
食い入るように孝一を見た。孝一は巡礼者のような恰好をしていた。腰にむしろを下げ、笈摺(おいずり)という巡礼者用の袖なしの着物を着ている。背中に南無阿弥陀仏と書かれた経文があった。以前の短髪とは違い、長髪を茶筅髷に、ひと括りしている。
「俺は勝幡城の近くで意識が戻った。自分の境遇を理解するまで、随分と時間が掛かったよ」
孝一は涙目になっていた。ふたりは子供のころから近所の空手道場に通っていた。試合で負けても、体格の大きな相手に殴られても、泣いたことない孝一が目にいっぱい涙をためている。
そもそも筋肉質な体系をしていた孝一だが、いまは以前に増して力強い上腕をしていた。戦国で苦労をしていたことが窺え、あおいも泣きたくなった。
「会えたか?」
唐突に孝一がいった。意味がわからず数秒考えたが、それが智香のことではないかと思った。
「智香、智香もここに来ているの?」
「いいや、わからない」
孝一は下を向き、首を振った。
「ただ、遥には会えたよ」
「え!」
口を手で覆った。どういう事だろう、意識を失った時、近くにいたのは孝一と智香と遥である。遥と孝一がタイムスリップしているということは、智香もいておかしくない。小柄で気の弱い智香が、戦国に来ていないことを祈った。
「遥とはどこで?」
「城下」
ここの?といったように、あおいは指で下をさした。
「ああ」
口籠っている。孝一と智香とは幼稚園の頃から幼馴染だが、遥とは高校からの同級生という間柄だ。派手な事を好むの遥とは、あおいは気が合わなかった。あまり好きなタイプではない。遥は常に、孝一に馴れ馴れしかった。孝一に話しかける時、必ず上目遣いであおいを見た。智香に対しても、長身な遥は、智香を目下の様に扱う。当の智香は気にしていなかったが、あおいには耐えられなかった。そうした事が、遥を遠ざける原因になっていた。
「遥と話したの?」
「多少は?」
「多少はってなに?偶然会ったんだよ。それも戦国時代で、高校の同級生に出会ったんだよ、普通は声を掛けるでしょう」
「あおい、静かに」
孝一は家の中に目を配ってから、自分の髪をくしゃくしゃに搔き乱した。困った時の孝一の癖である。
「遥をちらっと見かけただけなんだ」
「遥かどうか、わからないの?」
「完璧には」
孝一は嘘を言っているとあおいは確信していた。しかしいまは孝一を困らせたくない。あおいは話題を変えた。
「わたしの事はどこで」
「きょう城下で」乱れた髪を直しながら孝一はそういった。
「わたしを見たの」
孝一は頷いた。片方の膝を抱え、天井を見ている。
「織田信長と一緒にいたところ?」信長と聞いて、孝一は驚くだろうと思ったが、反応は薄かった。
「知ってる」
「そう、なんだ」
どことなく気まずい空気に包まれた。戦国武将の信長と一緒だと聞いても、驚いている場合じゃないのは知っている。戦国時代にタイムスリップしたことが異常なのだから。
これまでの期間、孝一がどこで、どう生きて来たのか、それは決して生半可な苦労ではなかったことが容易に想像できる。孝一は、あの頃より顔つきは険しく、体躯は逞しくなっていたからだ。
「わたしたち、どうしてタイムスリップしたのだろう?」
わからないと孝一はかぶりを振った。少しの沈黙のあと、ずっとここにいたのか?と聞いて来た。
「そう、信長に拾われたの。助けて貰った」
「側室か?」
孝一は、あおいの服装を見ながらいった。
「そんな、見た通り侍女よ」
「残念そうに言うんだね」
孝一はまた天井を見た。これまでの全てのことが見透かされているように思えた。
「残念なんかじゃないよ。なんで」
ふーん、と孝一は鼻でうなずいて、もう一度、あおいの服装を見た。
「そう言えば、なんで裸足だったの?」
「ああ、あれは、孝一が名前を呼ぶからよ、怖かったんだから。なんで直ぐに出てこなかったの?」
「城内に忍び込むのが大変だったんだよ。それで、隠れながらあおいの居場所を探して、やっと見つけて、呼んだんだけど、驚いて大声出されたらどうしようかと、躊躇して」
孝一は、大きなため息をついた。
「悲しそうにしてたし、お前」
殆ど聞き取れない小さな声で孝一は呟いた。
信長の結婚に悲観的になっている自分の姿を孝一は見ていたのだと、あおいは確信した。孝一は人の気持ちを読み取る力がある、やさしい男なのだ。
「ありがとう」
「ん、なんで?」
「孝一が、戦国に来てくれて良かった。わたし、もう限界だったから」
「俺も」
孝一が泣き出した。孝一の背中を摩りながら、あおいも泣いた。
「ずっと何してたの?」嗚咽交じりにあおいは聞いた。
「いろいろとね、いまは巡礼者だけどね」
「恰好だけ?」孝一の手ぬぐいで、涙を拭き、鼻をすすった。
「そうだね、これも生きる術だよ」
「ずっと、ここにいることになるのかな?戦国に」
孝一は首を振った。
「来たんだから、帰れるよ必ず」
孝一の言葉は力強かった。あおいは堰を切ったように泣けてくる。子供の時、プールで迷子になり、迷子センターで保護されていた自分を迎えに来た両親に出会えた時のような感情だ。
「あおい、もう行くね、信長に見られたら殺される」
「うん、わかった。部外者だから危ないね」
城下であおいと信長を見た孝一は、一瞬で何かを感じ取ったのだろう。笑顔を作っていたが、寂しそうだったとあおいは思った。
「じゃあ、行くよ」
「どこに行くの?」
もう二度と、孝一に会えないのではないかという不安にかられた。
「あおい」
孝一はあおいの手を取り、掌に包んだ。
「大丈夫、傍にいるから。安心して」
それだけ言い残して、孝一は庭を抜けて行った。その姿はまるで忍者のようだった。
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