第2話 まさか、タイムスリップ?

薄暗い部屋の真ん中に敷かれた布団の中にいた。特に寒いという訳ではないのだが、あおいは掛け布団を両手で肩まで上げて天井を見ていた。

部屋の隅の燈明が揺れている。揺れるたびに部屋の陰影が移り、その様子が寂しさを助長させていた。

わたしは、タイムスリップしたのだろうか?

人に話せば、決して信用されないであろう、時空を超えた事実。あおいは体感で、タイムスリップを理解していた。

土手の上で気を失ってからの記憶はない。

再び意識を取り戻した時は、既にここに寝ていたのだから。じっと横たわり、1時間くらいは経過しただろか。

目を閉じたら、涙があふれた。その時、廊下を渡る軽快な足音が聞こえた。

 信長、みたいな彼かな?

ほんの一瞬の出会いではあったが、懐かしい感じがした。あおいが寝ている部屋の前で足音が止まった。

「入るぞ」

やはりあの男の声である。あおいは上体を起こして、襖に目をやった。すると返事を待たずに、男は襖を開けた。最初に会った時に比べて軽装である。太刀を脇差に替え、袖脱ぎはしておらず、湯帷子の柄も違うように見えた。

「目が覚めたか」

「はい」

うなずくあおいの元に座り、男は胡坐を組んだ。膝に右肘を置いて、顎を掌に乗せている。

「ここは、あなたのお住まいですか?」

「で、ある」

「清洲の?」

「いやっ、那古野(なごや)だ。お前の言った、那古野だ」

「名古屋、やはり名古屋なのね?」

あおいは身を乗り出した。

「わたしは、どうして名古屋に来たのだろう?」

「さあ?」

男は同じ体勢で首を振った。

「一応、聞いとくけど、いまは何年?」

言って直ぐに、あおいは首を振り、「現在の元号を教えて」

「天文だが」

「天文」

天文と聞いても、西暦何年なのか、見当もつかない。あおいは、意を決し、こう聞いた。

「名前を教えて下さい」

「お前はもう、わしの名を知っておるであろう」

やはりそうなのか、彼は織田信長。なんてことだ、夢なら覚めてほしい。あおいは頭を抱えた。

「おだ、織田信長」

「如何にも」

「織田さんのお城?」

「父上より譲り受けた城である」

「泊めて下さったのね」

「そろそろ夜が明けるな」

信長は立ち上がり、雨戸を開けた。

朝日が、闇の底を白々と照らし始めている。

「帰る場所がわかるか、なら送ろう」

静かに信長が言った。布団から出たあおいは、一束に結っていた長い髪を結い直しながら、窓の近くに歩み寄った。

「お願いがあります」

いった後、あおいは息を飲んだ。

「この町の付近を散策させて貰えませんか?帰り道を思い出せるかも知れません。実は、いまは家までの道を思い出せずに」

タイムスリップという受け入れ難い状況を覆せるかも知れないという、淡い期待があった。

ふたりは、夜が完全に開けるのを待たずに出掛けた。小袖に、革袴という装いに着替えた。

あおいには乗馬の経験がある。実家は比較的裕福で、ひとりっ子ということもあり、就学前からピアノ、クラッシックバレエ、茶道、空手、乗馬、英語と、様々な習い事をしてきた。この日も、信長に借りた馬に乗り、二騎で駆けている。

信長の時代という事は、戦国時代か。

しかしその街並みには、戦時中を感じるような様子はなく、人々は穏やかに農作業に従事し、商店などの並ぶ通りは祭りの様に賑やかで、子供は声を上げて笑いはしゃぎ、ある女たちは、なにやら頭の上に荷物を乗せて歩いている。どこも活気に満ちていた。

「腹は空かぬか?」

信長は言うと、馬を馬場に繋いだ。おあいの手を取り、馬から降りるのを手伝い、彼女の馬も繋いでやっている。

「甘いものは好きか?」

あおいの返事も待たず、信長は茶屋に入り、なにやら注文した。

ふたりは床几に並んで腰かけた。

「麦こがしだ」

運ばれてきたものは、一見、きなこ餅に似ている。お腹が空いていたあおいは、躊躇なくそれを口に運んだ。

「美味しい」

「米や麦を臼で挽いて粉にしたものに、砂糖を混ぜて作ったものだ」

信長はそう言って、菓子を口にした。

「こんなに甘くて美味しいものがあるのね」

「お前の国にはないのか?砂糖は高価で希少だからな、なかなか手に入らぬのだろう」

「砂糖は希少なのね、これに似たものなら食べたことがあるわ」

「豊なのか、お前の国は?」

そう聞かれ、あおいは一拍おいて、

「ええ、、、」

と、殆ど消え入りそうな声で答えた。

「思い出したのか?」

「いいえ」

そう言うしかなかった。那古野城下を馬で走ってみたけれど、戦国への時空移動は確実なものの様だ。この先、どうしたら良いのか、まるで分らない。心細さと恐ろしさで息が詰まりそうだ。

「これからどうする?」

うつむく、あおいの肩に信長が手を置いた。

「うちに来るか?」

「えっ?」

思いもしない言葉であった。

あおいは信長の顔を見た。切れ長の目、通った鼻筋、きりりと締まった唇。細面の輪郭。この時、あおいは初めて信長の顔をしっかりと見た。いまこの時点で頼る人は、信長しかいなかった。

「お前の好きにすれば良い」

信長は続けて言うと、足早に店を出て、馬場に繋いだ馬の紐を解いた。

「あの、織田さん」

あおいは、信長に駆け寄った。

「あの、しばらくの間、そちらに置いていただけませんか」

この日を切欠に、あおいの奇妙な戦国時代がはじまる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る