第30話 静かな日曜の朝

 日曜日の朝。

 

 机の後ろ側に巣を作り始めたクラウド2世に朝の挨拶をし、部屋のどこかにいるはずのクラウド1世に『おはよう』と声をかけると、すぐに味噌と漬物そしてごはんという絵に描いた日本の朝食を食べた藍は、休む暇もなくパウンドケーキをきれいに包装し、数を数えた。


「よし、限定25個のレモンのパウンドケーキ。おひとり様1個から、と」


 手作りの看板の出来栄えを確認していると、寝ぼけ眼のアキラがやってきた。


「おはよう。早いな、姉ちゃんは」

「店を継ぐ気でいるキミがそんな遅くていいの? やる気あるのか怪しいものね」

「仕方ないだろう。最後の大会が近くて連日遅くまで部活なんだから。お、このレモンの絵を付け足したんだ」

「そうよ。いい味出しているでしょう」

「朝からダメ出しするの嫌だから、ナイスとだけ言っておくよ」

「なによ、その言い方!」

「おっと、それより次は千駄ヶ谷にいつ行くの? すぐに底つきそうなんだろ、パウンドケーキ」

「行きたいのはやまやまなんだけど、ほら、えっと前夜祭の件もあるし……」


 藍は突然もじもじしながら言い出した。姉のその様子を呆れ顔で見たアキラはサラリと言い放した。


「あぁ、今から緊張ガチガチの琴の演奏案件」

 

 素っ気ないアキラの言い方に藍は少しムッとしたが、深呼吸をして心を落ち着かせた。


「発表会より絶対に上手に演奏できる自信がないの」

「気軽に考えようぜ。タイトルを4つも持っていれば何度も前夜祭経験しているから琴の演奏なんて珍しくもない。軽く聞き流してくれるよ、亀井先生は」


 弟からバカにされたようで藍は怒りたくもなったが、指摘の通りで何も言えなくなった。

 

 タイトルを複数持っている天才棋士にとって前夜祭は慣れっこ。亀井先生が琴の演奏に関心を寄せるとは思えなかった。


「でもさ、同じ空間に憧れの人がいるんだよ。意識しないのはムリ」

「ムリだね。だから、こんな機会は二度とないから楽しむと考えればいいんじゃないの」

「そうだね、こんな機会はないか……」

「日本全国の亀井先生ファン、晴也マニアは前夜祭に行くには抽選を突破してお金を払う。だけど姉ちゃんは琴の先生のおかげで無料で会える。こんなの他のファンからしたら羨ましいの一言」

「アキラにしては良いこと言うね」

「姉思いの弟だろう」


 返事の代わりにアキラの背中を思いっきり叩いた。


「いつでも千駄ヶ谷に行けるようにパウンドケーキは焼いておくよ。たくさんある分には困らないだろうし」

「ありがとね。お稽古がない日、学校帰りに立ち寄るから」

「OK。それじゃこっちは任せといて。時間が出来たらそっちに助っ人で行くぜ」

「よし、日曜日の販売デビューの氏家書店に行ってくるよ!」


 そう言うと、藍は氏家書店へと向かった。


 氏家書店のシャッターは半分開いており、藍は身をかがめて中に入った。


「おはよう!」

「おはよう。お天気で良かったわ」

「藍、家を手伝わなくて大丈夫か?」

「アキラがいるから平気。ところで、ブックカバーはどうやって並べるの?」

「それについてはご心配無用。見ろ、昔懐かしい回転式の絵本棚を利用する」


 氏家さんはところどころ塗装が剥げている黄色の絵本棚を披露した。


「うわ、懐かしい! これを回すの好きだったな~」

「商店街の子は高速回しをし、親に怒られる。誰もが通る道だった」

「藍ちゃんもアキラちゃんもよく回してね。昨日のことのように覚えているわ。さてと、文庫本とブックカバーを紐で結んであるから、それを棚に並べるのを手伝ってくれる?」


 頼子さんから手渡された時代小説には豪華絢爛なブックカバーと本が重ねられ、巾着に使われる和風な紐で結ばれていた。


「風流だろ。俺も頑張って手伝ったんだ」

「そうそう、頑張って結んでね。どう? 映えを意識したの」

「あ、映えという言葉をちゃんと使えている!」

「うふふ。そうそう、昨日の夜にブログを見たらコメントが結構書かれていてね」

「コメント?」

「これまで合計5件くらいだったのが、昨日一日で40件くらい届いていたから驚いちゃって」

「40件も?」

「例のお姉ちゃんが来たくらいだけど、その影響かもしれねえぞ。みんな呪文みたいに5525さんと書いていたしな」

「ウソ! ちょっとスマホで確認してみる……」


 『5525』さんの動画投稿サイトやSNSを確認すると、飛び込んできたのは『今年一番の大発見』という文字と氏家書店の写真だった。


 昨日買ったと思われる日本酒の本や、通行者を映さないように外しながら撮ったと思われる写真もアップしている。


「これ、ちょっとやばいかも」

「なにがどうやばいんだ?」


 藍は黙って氏家さんにスマートフォンを見せた。それを見た氏家さんは大きなリアクションもせず、本棚に本を置き始めた。


「もう少し驚くと思ったんだけど!」

「どうせインターネットで騒ぐだけで実際に店に足を運ぶのはそのうち二人もいればいいところだ」

「あらま、いい年して拗ねて。藍ちゃん、何人かは足を運んでくれてそこから『この本屋さん懐かしいな』と思って、またSNSに投稿して少しずつ輪が広がっていけばいいなと思っているの。突然押し寄せられても困るし」


 頼子さんから言われ、藍は何も言えなくなった。


(お客さんがたくさん来たとしてもお金を落とすとは限らないし。ガヤガヤ騒がれたら逆効果か……)


「他に、売りたい本とかないの?」

「ベストセラー小説はどこでも手に入るから、珍しい本をレジの横に置いといたぞ」

「珍しい本?」


 氏家さんから『珍しい本』と言われてもピンとこない藍は不思議そうな顔をして夫妻の顔を見た。


「これよ、組み紐とかの手芸関係。浅草ほどじゃないけど古い街だからね。そのイメージを大切にしたいな、と。何か特色のある分野を開拓した方が良いかなと考えた末に、とりあえず日本の手芸に辿り着いたの」

「あぁ、だから紐を和風のにしたんだ」

「そうそう。あえて、ね」


 黙々と作業をしていると、月二回ほど日曜日に営業する他の店もシャッターを開けて開店の準備をし始めた。


 「さてと、静かだけど店をオープンするか」

 

 氏家さんが時計を見ると、半分しまっていたシャッターを全部開けて人生初となる日曜日営業をスタートした。


 日曜の朝の商店街は基本的に人はまばらだが、藍の家の取り組みにより月二回の開店日には若い世代を中心に人が集まるようになっている。


「いらっしゃいませ!」


 20メートル先の『やまぎわ青果店』から威勢のいいアキラの声が聞こえてくる。


「今日はレモンのパウンドケーキをいくつ売るの?」


 パウンドケーキの大ファンである頼子さんが興味深そうに聞いてきた。


「25本。一人一本の限定で」

「すぐに売れちゃうわね。ところで、千駄ヶ谷のお店はどうなの?」

「大好評みたいで、定食屋さんからたくさん卸して欲しいといわれたんですけど喫茶店のマスターが先方に現状維持で、と断ってくれた」

「そうよね。二人ともまだ中学生と高校生だもの。本業じゃないから時間取れないわよ」

「アキラは本業のつもりで勉強そっちのけ」

「勉強ばかりしていたらアキラちゃんじゃないでしょう」

「アイツが勉強ばかりしていたら、真夏の東京に雪が降る」


 藍の辛辣な言葉に頼子さんは口元を抑えて笑い声をあげた。


「す、すみません。この本を買うとブックカバーが無料でついてくるんですか?」


 黄色の回転絵本棚の前に、20歳後半と思われる女性が一冊の本を手に取り聞いてきた。


「お買い上げいただいた方へのサービスになります」

「ここに書いてあるように、本のイメージに合わせたブックカバーと……」


 女性客は回転絵本棚の上に『本をイメージしたオリジナルブックカバー付き』という看板に視線を向けながら再度質問してきた。 


「勝手なんですが、一冊一冊本に合うようなブックカバーを作りました」

「手作りなんですか?」

「はい、私が丹精込めて縫いました」

「すごい……。それじゃ、これを買いたいです」

「毎度ありがとうございます。お会計は店内でお願いしますね」


 頼子さんが先導して店内に誘導したが、女性客は店内に入り会計を済ませて帰るのかと思いきや、グルグルと店の中を歩き回りまた別の本を手に取ってレジへを向かっていった。


 その様子を見た藍は頼子さんと目と目で「やった!」と会話をした。


 初めてのお客さんが店を出てから数分もしなうちに友達同士と思われる女性客二人が書店に近づき、回転絵本棚の前で足を止めた。


「ここだよ、ここ」

「うん、間違いないね」

「なにこれ、超レトロなんだけど」

「実物観るの初めてかも」

「本当に回るんだ」

「ちょっと、回し過ぎると壊れるから。ねぇ見てよ! すごくきれいない布」

「着物をブックカバーにリメイクか。しかもこれ、本のイメージに合わせてだって」

「どんだけ趣向凝らしているんだろう」

「本を購入したら貰えるみたい……」


 二人は回転棚の前から微動だにせず、黙って本漁りを始めた。お客さんが店先で立ち止まることに安心したのもつかの間、また女性客がやってきた。


(ちょっと予想以上にお客さんが来ているんですけど……)


 藍は少し不安を感じて店内にいる氏家夫妻に伝えようとした時、清々しい柑橘系の匂いがどこからともなく漂ってきた。それと同時に、女性客から小さな悲鳴声が上がった。


(まさか、いやそんな……)


 振り向くと藍の視線の先にはインフルエンサー『5525』さんがいたのだ。


「本当にここが好きなんだ」

「どうしよう、本物だ!」


 周囲の雑音を無視し、回転絵本棚で本を物色している『5525』さんの手が止まり一冊の本を抜き取ると店へと入って行った。


 インフルエンサーがいるとの情報は瞬く間に商店街を歩いていた若い人たちに伝わり、氏家書店の周りに人が集まって来た。


「え? 本当に『5525』がいるの?」

「マジで」

「うわ、動画で見るよりスタイル良い!」

「本業はモデルとか?」

「それならモデルって言うんじゃないの。その方が仕事が倍増するでしょう」

「そりゃそうだ。でも、やっぱりこの書店が最近のお気に入りなんだ」

「定期アップじゃないのに、昨日の夜アップしていたもんね」

「そうそう! それで『明日の午前中に再訪予定』て書いていたから来たけど……」

「どこに現れるか事前予告なんて初めてだもんね」

「騙されたと思って今日来たけど、信じた自分を褒めたい」


 すでに十人くらい集まった人々は思い思いにスマートフォンを向けて写真を撮ったり動画を撮っているが、彼女はそれを気にするわけでもなく店の中で二人と会話をしていた。


(大丈夫かな、二人とも完全にビビっている……)


 藍の視線の先にいる氏家夫妻は、お店の外の人だかりを見て落ち着きなさそうだった。

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蜘蛛を愛する観る将JKは美形棋士を溺愛中 将棋の聖地に行ったらなぜか喫茶店で探偵見習いになる none-name @kameko888

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