第29話 撃沈したことへの思いは複雑

『本当に? 暇すぎたの?』


 千駄ヶ谷から北千住へ戻る電車の中で、美帆から届いた大量のメッセージを一通り読み終えた藍は短文を親友に送信した。


 どうやら氏家書店に若い子が殺到することもなく、二人のカンが見事に外れたようだった。


 あれだけ『人が来る』と騒いでいたのに、普段と変わらないと知り藍は恥ずかしくなって、電車内で一人顔を赤らめた。そんな彼女を無視するかのように美帆からまた新しいメッセージが届いた。


 会話をするように、乗換駅の秋葉原に着くまでメッセージのやり取りを続けた。 


『お客さんが来ると身構えたのに見事に空振り。時間があるから氏家さんたちと本を読んでイメージに合う布を選んでた。けっこうブックカバー増えたから、実験的に店頭に並べるって』

『明日、うちの店と同じように日曜日だけど昼から午後4時くらいまで店を開けることになっているんだよ。その時に、ブックカバーと本のセットを大々的にデビューするけど、ちょっと心配』

『藍の家みたいにパウンドケーキとかフルーツジュースとが人気を集めて看板になるといいけど』

『布の品質も良いし、頼子さんもキッチリ縫って市販品以上に素敵なブックカバーを作っているけど』

『うまく売り込めるかな。やまぎわ青果店のように看板坊やがいれば人は来そうだけど』

『アキラの呼び込みは天才的だから』

『じゃあ、アキラを氏家書店に派遣させてみたら?』

『八百屋の長男が書店ね……。場違いみたいな感じもするけど、他の店で呼び込みするのも商店街らしさをアピールできるか』

『そうそう。商店街を元気づけるためには店の垣根なんて壊しちゃえばいいんだよ』

『家に帰ったらアキラに言ってみるよ。アイツのことだから、言われれば商店街のタメだとやるでしょ!』

『でも、ブックカバーの準備をして気がついたけどどの世代をターゲットにするかまだ分からない。どんなお客さんが来るか分からないし。そもそも、お客さん来るかもナゾだし』

『やまぎわ青果店も最初はそんなもんだったよ。若い人が多いからお菓子とか売り始めたらSNS経由で情報が広まって今に至る』

『やっぱSNSだよね。藍の家ではなにか情報発信しているの?』

『アカウントはあるけど、そんな頻繁に更新していないかな。来年、アキラが高校生になったら積極的に動くって』

『氏家書店もブログを始めて慣れてきたらSNSで発信かな』

『その流れがいいね。こっちから情報を出さないと世の中に知れ渡らないから』

『ただ黙って待っていても商売が回る時代じゃない』

『そうだね。うちの両親も感じている様子』

『商店街の小さな書店が生き残るにはド派手なことやらないと』

『派手さとは無縁の人たちだけどね』

『何かにすごく特化するとか。恋愛小説に特化した書店、はどうかな?』

『恋愛でもドロドロ系とか青春とか中身が違うから難しいよ。氏家のおじさんが恋愛について語るの下手そう』

『藍の言う通り』

『時代小説ならいけそうだけど、若い世代を取り込んでSNSで発信してもらっては期待できなさそう』

『それなら、将棋は? 関西の方でも将棋に特化したお店が話題になってファンが集まるってネットニュースでみた』

『いきなり?』

『いきなりじゃないでしょ。氏家のおじいちゃん、将棋愛好家だよね。あの界隈では敵なしだし、むしろグッドアイデア。それに、スター棋士の大ファンのJKがいる商店街だし』

『私がいるから、話が大きすぎる気がするけど……』

『とにかく、カラーを前面に出して失敗したら考えればいいじゃん』


「次は秋葉原、秋葉原。お出口は……」


 秋葉原駅が近づいたことを告げる車内放送が流れたところで、藍はスマートフォンをリュックサックの中にしまい込んだ。 


(大勢のお客さんが来ると思っていたら、全く来ないなんて。氏家夫妻は落ち込んでいるんだろうな……)


 有名なインフルエンサーが紹介したのに、普段と変わらないことに驚くとともに、美帆と二人で『お客さんが押し寄せる』と期待させたことを深く反省した。


 千駄ヶ谷へと出かける藍を『行ってらっしゃい』と声をかけて送り出してくれた二人に申し訳ない気持ちになったが、なんとか立て直してあげたいという気持ちがムクムクと大きくなってきた。


「よし、やるしかない!」


 小さな声で呟き、拳を作って気合を入れた藍は北千住へ直行する電車に乗り込み、氏家書店に寄ってから帰ることを決めた。


 日がどんどん伸びたこともあり、土曜日の夕方でもかなりの人が行き交っていた。


 お客さんがいなさそうな書店の前に立ち自動ドアが開くと藍は勢いよく入ったが、店内にお客さんがいたらしく、ぶつかってしまった。 


「す、すみません……」


 藍よりも少し背が高く清々しい柑橘系の上品な匂いに包まれ、スマートフォンで見たことのあるインフルエンサー『5525』さんが目の前にいたのだ。


「え、えっと……」

「お怪我はありません?」

「いや、私の不注意で。あの、大丈夫ですか。私は全く問題ないので」

「私も大丈夫ですよ。お孫さん?」

「いえ、近所に住んでいる者でして」


 スマートフォンで見た時も「容姿を隠しているけれどきれいな人だな」と思ったが、こう本人を目の前にすると「絶対に美人だ」という確信に至った。


 品のある香水に立ち姿、若いのに上品な言葉使い。美人オーラを隠す要素がゼロに等しかった。


 先日来た時と同じように、レトロな本と店の雰囲気をスマートフォンで撮影していたのか彼女の手元には盆栽や書道、鉄道の古い本が並べてあった。


 会話が聞こえたのか、頼子さんが居間から姿を現した。


「あらま、藍ちゃん。千駄ケ谷から帰ってきたの?」

「あ、はい」


 さずがにインフルエンサーを前に『お客さんが押し寄せると思っていたのに予想が外れたので謝りに来た』とは言えず、ただ一言返した。


そんな頼子さんと藍の会話に少し反応した『5525』さんは藍の方をチラッと見ながら呟いた。


「千駄ヶ谷?」


 頼子さんは若い子があまり馴染みのなさそうな街について説明した。


「将棋が好きでね。ほら、将棋連盟があるから『将棋ファンの聖地』。それとね、藍ちゃんはあの辺りにある喫茶店によく行くのよね。弟と作ったパウンドケーキを買ってもらっているから」

「パウンドケーキ? もしかして青果店のパウンドケーキですか?」

「そうそう! この子はやまぎわ青果店の娘さん。普段は販売していないけど、毎月二回日曜日に限定発売しているの。もうすっかり名物になっちゃってね」

「いやいや、名物かどうかは……」

「次回はいつですか?」

「明日よね、藍ちゃん」

「あ、はい。明日です」


 彼女からは『パウンドケーキが欲しい』という感情が全く伝わってこなかったので、販売日を聞かれて藍は少し驚いた。


 そして、『明日発売』と聞くと急に帰り支度を始めた。  


「そうですか……。今日も突然来てすみません。」


 そう言うと『5525』さんは本を元に戻し、スマートフォンをカバンに入れると軽く会釈をして店から出て行ってしまった。


 頼子さんは手を振りながら見送ると、彼女は夕暮れの街へと消えて行った。


「いつ、来たの?」

「えっと、そうね。1時間半くらい前かしら。あまり喋らないけれど熱心に古い本を探して。うちの人、もっと古い本があるといって押入れの中から本を引っ張り出しているのよ。もう帰ったと言わなくちゃ」


 ずっと奥で本探しをしている氏家さんに作業の中断を言いに頼子さんも店の奥へと消えてしまった。


 藍は盆栽の本をペラペラとめくりながら、興味関心の持つ分野は人それぞれということを痛感した。


「こんな本が好きなんだ……」


 レトロなお店や本が好きだという彼女の趣味がインフルエンサーとして力を発揮しているのは裏を返せば『レトロ好きな若者が多い』ということでもある。


 一見すると非常に派手な外見をして、盆栽と無縁のように見えるがそれが『こんな若くても渋い文化が好きです』を発信するのは、彼女の人気ぶりをみていると良い効果を出しているのかもしれない


(ということは、氏家書店も二人をド派手にして売り込めば人気が出るかな。お笑い芸人の夫婦みたいに? う~ん、無理かな)


 ファッションピンクの服を着た二人を想像した藍は思わず笑ってしまった。タイミングよく、そこに夫妻がやってきた。


「どうした藍、そんなニヤニヤして。千駄ヶ谷で意中の亀井先生に会えたのか?」

「そんなわけないでしょう。それより、彼女また来たんだね」

「美帆ちゃんが帰ってから。だから、実は美帆ちゃんじゃないのって言ってたの」

「まさか。あんな細くないし、香水は苦手だから。ただ、あの匂いなら大丈夫かな。すごく高そう。高級ブランドの香水ってあんな匂いがするんだね」

「確かに食品扱う店だから藍は香水とは無縁だな」

「そうなんだよ。野菜に匂いが移ったら台無しだから」

「商売人は色々と気を使わないといけないからね。ところで彼女、前回来た時に気になった本を買いに来たって」

「どんな本?」

「昭和の頃に発売された日本酒の本」

「日本酒?」

「その昔、地酒ブームがあったんだ。今では地方の酒も簡単に手に入ることができたけど、当時は出向かないと買えなかったからな。各地の地酒を紹介している本。それが欲しいと言って」

「日本酒も好きなんだ。ということは、成人している!」

「そうかもしれなけど、今では廃業している酒蔵も載っているからって言ってたな」

「廃墟マニアでもあるのかな?」

「廃墟マニア?」

「取り壊さずに残った建物を巡る人や、そうした写真が好きな人をそう呼ぶの。けっこうニーズがあって動画サイトにも多く投稿されているよ。壊さずに残っている酒蔵もありそうだよね」

「どうだかね、そんな風には見えなかったがな」

「今では手に入らないものにロマンを感じるのかもしれないわよ」

「ロマンか……。若いのに大したものだ」

「あのね、年齢関係ないから。好きなものは好きと言える時代になっているの」

「藍ちゃんの言うとおりね。私が若い頃だったら『ロマンは男の特権だ』なんて言われそう」

「そうそう、時代は変わってきているの!」

「なんだよ、俺が悪者になっている流れじゃないか」

「別に悪者にしている気はこれっぽちもないから安心して。それより、二回も来てくれるなんてそれだけ魅力を感じたんだね」

「この書店のどこが魅力的なのか分からないが、わざわざ足を運んでくれたのは嬉しいな」

「本当にね。それに尽きますよ」


 二人の言葉を聞き、藍は美帆と『氏家書店がバズるかも!?』と騒ぎ煽ってしまったことを反省した。


(やっぱり、お客さん一人一人を大切にする姿は見習うところあるな。だからこそ、なんとかファンを増やして売上アップさせたい!)


「明日も早くからこっち来るから。ブックカバーを店頭に並べたりね」

「いいぞ、そんなことまでしなくて。自分の家のために働け」

「うちは常連さんが来るから大丈夫! 氏家書店は明日がデビューなんだから。北千住の商店街の最古参氏家書店、を見せつけないと」


 藍の決意表明を目にした氏家夫妻は『可愛らしい』とばかりにニコニコと笑うだけだった。

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