第27話 縁と縁は計算外の出来事

「マスター、大変なんてもんじゃないですよ。女の子がワイワイ言ってお店に入って来て『パウンドケーキありますか』って聞いてくるんだから。『うちはケーキ屋さんではありません』って何回も言いたくなったのをグッとこらえて『パウンドケーキ単品は売っていません。ランチ定食にプラス料金をつけていただければお出しします』と説明したのよ。その説明だって何十回もしたから店のみんなも私がそのセリフを口にした途端笑い出す始末。でもね、本当にすごい人気なのね亀井先生って。知ってはいたけど、あそこまでとは……。話は戻すけど、連盟の事務員さんに『オプションで+200円で美味しいパウンドケーキ出すことも出来ます』と伝えたら、数日後に女流棋士の滝川奈緒先生がそのオプション付きで注文してくださってね。そして翌日は亀井先生。うちの若い子達がSNSとかで話題になっているとか言ってたけど、休日は若い子達がたくさん来たから本当にびっくりしてね。それで、こちらのお嬢さんが作っているのね。私もあのパウンドケーキの大ファンなのよ。たまたまマスターのお店の隣の奥さんと道端で会った時に『隣の喫茶店で美味しいパウンドケーキをご馳走になった』て言っていたものだから気になってね。普段からうちの店にもよく足を運んでくれて、お喋りするんだけど、『二歩』のことなんて一度も聞いたことなかったから。勇気を出して初めて行ってみたの。でもね、やっぱりあの外観だから気が引けるでしょう?」


 『みの屋』の女将さんが身振り手振りを交えたマシンガントークに藍が驚いている様子を、マスターは面白そうに眺めているだけで助け舟を出さなかった。


「それでね、昭和みたいなお店だなって思いながら恐る恐る中に入るといきなり鈴の音が鳴り響くし。今どきあんなお店ないでしょう。あぁ、鈴じゃなくてカウベルだったかしら? どっちでもいいわよね、この際。薄暗い店内の端の席にはヘッドフォンにサングラス姿の男性が座っているし『これは危ないお店に入った』と思ったけど、奥から出てきたマスターが、見ての通りの姿形だからどうして奥さんがこれまで全く口にしなかったのが分かったわ。他の女性に知られたくないからよ。こんな素敵な男性が千駄ケ谷界隈で喫茶店をやっているなんて、ライバルが増えるから秘密にしたいわよね。だから、私もパウンドケーキの仕入れ先は秘密にしているの」


 女子高校生の藍でもマスターの容姿は『ある一定の年齢層に達した女性から絶大な人気を集めること間違いなし』だということは何となく分かっていたが、今日の新宿御苑での女性からの熱い視線や女将さんのはしゃぎぶりからすると、自分の考えが甘かったことを思い知らされたと感じた。


(最初に『二歩』に寄って来たということは、この派手な服も勝負服ということなのね……)


 オレンジのシャツとピンクのフリルのスカート姿は遠く離れていてもすぐに分かるほどで、一瞬タレントさんかと思うくらい目を引くデザインだった。そのおかげでテレビ番組の撮影をしているのではないかと行き交う人がジロジロ見て、藍は少しばかり居心地の悪い気分になった。


 「それで、パウンドケーキほどのくらい必要なんです?」


 ゆったりとした口調でマスターに話しかけられた女将さんは頬を赤らめて口も滑らかに喋りだした。


「ファンの子はみんな同じ定食を頼んでいたけど、もうパウンドケーキが切れちゃったの。完売の紙を貼ったら残念がってね。先生方から問い合わせがあるみたいだし、ファンも食べたがっているから週十二から十五は欲しいかしら。他の将棋めしのお店はデザート付ではないから差別化できるしね。それにフルーツをふんだんに使っているし季節感を感じられるから将棋関係なくお店に来るお客さんにもアピールできるのよ」

「タイトル戦では対局者のおやつも注目を集めているが、普段の対局は必要ならばおやつは持参。勝負の本番となる午後に向けて昼食に甘いものをとれば脳の疲労回復にもつながる。知名度の高い棋士が頼めばそのファンが『みの屋』に来て同じメニューを食べるという循環が出来上がる。という感じかな」


 ようやく藍の方を見た女将さんは今度は『パウンドケーキを今すぐ欲しい理由』を端的に説明した。。


「あら、マスターったらそこまで読んでくださったの。鋭いこと。本当に惚れ惚れしちゃう。だから、週に十二本とか十五本とか現実的な数でね。ずっと完売しているとお客さんとか先生達もガッカリさせちゃうでしょう?」


 圧倒された藍は、本意ではなかったがただ頷くしかなかった。


 現実的には八百屋の日曜日営業で売る分と『みの屋』に卸す分を合わせると勉強そっちのけでケーキ作りをするのは不可能に近かった。そんな藍の気持ちを察するようにマスターが助け舟を出してくれた。


「でもね、お嬢さんも一緒に作っている弟さんもまだ学生だからそんな無茶な注文は難しいと思うんだよね。それに、彼女達は実家の青果店でも毎月二回は日曜日にパウンドケーキを販売して好評を博してファンもいるそうだし。大量生産すると、味とか品質も落ちる心配があるから不安だよね。だから、週三日の限定にするか毎日限定何食とかみたいに設定して出したらいいんじゃないのかな。それなら、品質は保てる上に限定という希少価値を打ち出せる魅力もある」


 それまで喋りまくっていた女将さんは黙ってマスターの話に耳を傾け、相槌を打ちながら静かに話しだした。


「まぁ、そんなことまで考えて下さるなんて本当に心優しい紳士的な方ですね。マスターみたいな人が旦那さんなら、奥さんはさぞ幸せでしょうね」


 なにか探りをいれるように上目づかいでマスターに問いかけても、ただ笑って受け流すだけだった。それを見た藍は大人の女性の探り方を目の当たりにして少し背筋が寒くなった。


「おいおい、そんなとことで立ち話していたのかよ~。あれ、あんたは……」

「内藤さん、こんにちは。『みの屋』の愛川美智代です。うちには三回くらいいらして下さっているかしら?」

「あ、そ、そうだったかな。悪いな、べっぴんさんの顔は恥ずかしくて真正面から見れなくて覚えられない癖があるんだよ」

「あらイヤダ、誤魔化すのが下手なんだから!」

「どうしたんだい、邦ちゃんとお嬢ちゃんと喋っていて」

「マスターの名前、邦なんとかさんなの?」

「邦彦だよ。なぁ、邦ちゃん」

「内藤さん、もういいから。パウンドケーキについて話をしていたところなんだよ。女将さん……。それとも、愛川さんとお呼びした方がいいかな?」

「み、美智代で構いませんから!」

「アハハ! それは飛び越え過ぎだからとりあえず、愛川さんに落ち着いておこうか、邦ちゃん」

「やっぱり名前を間違えたら失礼なので女将さんでよろしいですか?」

「残念だわ。とりあえずスタートは『女将さん』で構いませんよ。呼びたくなったらいつでも美智代と呼んで下さいね」


 大人三人の会話を聞きながら、藍は一週間で作るパウンドケーキを微増した方が良いか考えを巡らせていた。


(一日に二、三個が限度。アキラも受験勉強がこれから本格的に始まるしこの体制を維持できるかも怪しい。量より質を取りたいけれど……)


「やっぱり質が落ちたら嫌だよな。数を揃えるのも大切かもしれないけれど一度食べた味が変化しているのは案外覚えているもんなんだよ。お嬢ちゃんと弟くんが作っているあのパウンドケーキは絶品だしな。とくにフルーツたっぷりなのがいいんだよ。あの品質はデパートで売られていてもおかしくないと俺は思う」

「奈緒先生もフルーツ沢山が気に入ってくれたみたいで、自分のSNSで投稿してたってお客さんが教えてくれたわ。それに、弟弟子の亀井先生もこってり系ではない素朴な甘みのおやつをタイトル戦でもよく頼んでいいるから、あのパウンドケーキが口に合うと思ったのかなってお店に来たファンの子達が口々に言ってたわ」

「将棋界の姫と貴公子が頼んだのなら、遅かれ早かれマスコミの取材も来るんじゃないのか?」

「それが、さっそく街のフリーペーパーから取材依頼の話が舞い込んできて。新しい服を買わないといけないかなって考えていたところなんですよ!」

「新しい服って、いつも店で来ている服じゃダメなのか?」

「いくつになってもお洒落したいじゃないですか。ねぇ、マスターはそう思いません?」

「……普通が一番じゃないかな。そう思うよね、お嬢さん?」

「え、あ、はい! 普段通りが一番かなって……。ただ、取材がくるならやはりお洒落したいのは当然かと。私の母もテレビ番組が商店街でロケするとき用の服を持っています」

「ほらね! それならメディア様に一式新調しておきましょうか」

「ずっとこのままだと話が終わらねぇぞ。今日はここまでにして、また縁があったら話をしようぜ」

「マスターとはパウンドケーキが仲を持ってくれるから週一で会いに行けますから」

「いやいや、忙しそうだし私がそちらに出向きますよ。ご心配なく」

「そうそう。邦ちゃんがそっちに行っている間は俺が店番しているから安心して」

「その時はゆっくり過ごして頂いて構いませんから」

「そうは言えないんでね。常連さんに料理を出すこともあるので。内藤さんにそこまで任せるのは失礼だから」

「たしかに俺は料理無理だな。里芋や栗の皮むきくらいしかできない」


 内藤さんが頭を掻きながらそう言うと、一同が笑い出した。そのタイミングを逃さず、マスターは軽く会釈をしその場で別れを告げた。


「パウンドケーキについては現状維持で。それでは失礼します」


 なにか言いたげな女将さんこと愛川さんを残し、マスターは自分の店へ戻ろうとした。その後ろを内藤さんと藍が追いかける。


「それにしても、パワフルな方ですね」

「店を構えてそんなに経っていないけど、すっかりこの界隈に馴染んでいるしな。客商売、とくに定食屋となると元気さというか活気がないと。それに、将棋めしとしてファンの間に浸透して土日はけっこう遠くからも客が来ているそうだぜ」

「お嬢ちゃんと邦ちゃん、邦ちゃんとお隣の奥さん、そして奥さんから女将さんという出会いが一つでも欠けていたら成立しない話だから。そう思うと、縁というのは本当に不思議なものだな」

「……確かに、そうですね」


 藍は呟きながらこの一カ月半の間に起きた出来事を振り返ってみた。


 将棋連盟のショップと鳩森神社目当てで来たのに、味噌ラーメンの誘惑に負けて意を決して入店した古めかしい喫茶店に来ただけで、アルバイトや探偵業やパウンドケーキ卸業まですることになった。さらに、作ったパウンドケーキが憧れの亀井晴也先生に食べてもらえるなんて数ヶ月前には全く想像すらしていない出来事が起きているのだ。


(そして、最もすごいことは蜘蛛探しをしていたら亀井先生にバッタリ会って話しかけられた……)


 強運の持ち主なのか、単なる偶然か分からないが千駄ヶ谷に足を踏み入れてからというもの身近に縁というのをひしひしと感じることが増えていた。 

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