第23話 バズったかもしれない老舗書店でのこと
毎年、五月が終わり梅雨入りを目前に控える頃になると北千住の商店街では、大人たちがそれぞれのお店の休み関係なく七夕まつりの会合で大忙しになる。
浅草を含む広範囲で足並みをそろえて行われる七夕まつりは、一体の風物詩だ。つまり言葉は悪いが『前例を踏襲する』が基本。しかし、今年は例年以上に準備に追われていた。将棋界の貴公子である亀井晴也四冠がタイトルホルダーとして挑戦を受ける対局が七夕まつりの直前に浅草寺で行われるからだ。
「浅草じゃ七夕まつりだけじゃなくてよ、ほおずき市もあるから準備が大変だろうな。まぁ、誰かみたいに貴公子のファンにとっては一世一代の大イベントかもしれないけど」
「そうね。浅草の方は大きなイベントが入ったからね。でもこっちには直接影響ないでしょう」
古びた湯呑でお茶を飲みながら、氏家さんは浅草の忙しさを語りつつ頼子さんが相槌を打つように会話に合わせる。
書店の店主は目の前にいる亀井晴也四冠の大ファンをチラリと見て反応を待っているようだった。
「氏家書店もブックカバーとか斬新な企画を立てているから超忙しくなるよ。老舗の本屋さんで面白そうなことをする。世代関係なく本好きが興味を示すようなことをするって大々的にブログで宣伝していけば、遅かれ早かれお客さんが殺到してくる。のんびり構えていても知らないから」
つい最近、ため口を解禁した藍は友達に軽口を叩くように『これから忙しくなるかもしれない』と氏家さんを脅した。
「なあに言っているんだか。こんな古ぼけた書店に今どき客なんて殺到するわけないだろう。昔、アイドルの写真集の発売日は女の子が開店前から集まってもみくちゃにされたことがあるけど、あんなことはもう起きまい」
「ありましたね、そんなこと。予約した子のは店先のこうした棚にも置いてたけど、それも取ろうとするから台所のテーブルに置いて隠したのよね」
「そんな事件、初耳。いつの時代?」
藍の質問に答える前に一呼吸とばかりにお茶を一口飲み、氏家さんは思い出すように眉間にしわを寄せて話し始めた。
「そうだな、あれは今から三十五年くらい前になるかな」
「そうでしたね。幸次が保育園の年長さんでしたね」
「三十五年前ならバブル経済の頃かな? 今と違ってテレビや雑誌の影響力は凄まじいものがあったでしょう」
「アイドル全盛期でね。写真集や雑誌が飛ぶように売れて確保するのも大変だった」
「藍ちゃんのお母さんも小学6年生の頃に初めてお小遣い貯めてアイドルの写真集を買ったりしていたのよ、うちで」
「本当に? そんなの一度も話してくれたことないよ。してくれるのは『参考書をを親身になって探してくれた』とか」
「なんだいそりゃ。このままじゃ合格できないって泣きついてきたのにな。良子の奴は正直に言わないんだから困る」
氏家書店で話をしていると、『藍の知らないお母さん』の情報が叩けばどんどん出てきるから面白いと藍はワクワクしながら耳を傾けていた。
「今も写真集は人気があるけど、もっと手軽に推しを眺められるアクスタ、えっとアクリルスタンドが便利だよね。私も亀井先生のを欲しいんだけど、全く手に入らないから困っている」
藍の言葉に頼子さんは突然何かを思い出したように口を開いた。
「推し活っていう言葉、女子大生風の若い女の子がふらりと立ち寄った時も口にしていたわね。近所の子でもないし、何だろうと思ったら昭和的な街の本屋さんが好きみたいでね。レジ横に置いてある古い絵ハガキを十枚も買ってくれて」
「もしかしたらブログ効果が出始めているのかな!」
「昭和の風情を残した商店街が好きな子みたいでさ、『店内を撮って良いですか』って声かけられてよ。俺たちの顔以外ならいいよって言ったらカバンからアニメのキャラクターの、なんだって?」
「アクスタですよ」
「そうそう、頼子の言ったアクなんとかを置いてスマホでパシャパシャ撮っていたな。そんで、『また来ます』ってさ。あれは何の真似だ?」
アクリルスタンドは人間のアイドルだけでなく、アニメキャラクターのものもたくさん出回っている。好きなキャラクターのものを外出先に携え、行く先々の風景や食事などと一緒に写真を撮り画像をSNSなどで投稿する。
こうした文化が成立してることを藍は分かりやすく説明した。
「なるほどな。で、藍も亀井先生のアクなんとかを手に入れて店に来た女の子と同じようなことをしたいのか?」
「わ、私は机の上に飾っておきたいな、と……。そ、そんなことよりブログは順調で少しずつ効果も出ているけれど、端切れを使ったブックカバーはどう?」
入手困難な亀井先生のアクリルスタンド想像し、顔を少し赤らめたのがばれないように慌てて話をすり替えた。
まんまと彼女の策略に乗った頼子さんが店奥から何枚も重なった色とりどりの和服の布を持ってきて見せてくれた。ブックカバーの上端には本のタイトルが記さた紙が仮縫いされていた。
「こっちが時代劇のジャンル。主人公が男性か女性かで布を変えてみてね。まぁ、主人公が剣士だと渋めばかりになる。大奥が舞台のは絢爛豪華な西陣のを使ってみたりと工夫してみたけど、どう?」
「……。言葉がないくらい素敵です!」
一目で姫君や大奥の権力者が着ていそうな華やかな生地で仕上げたブックカバーは、使うのももったいないくらいの出来栄えだった。
「ちょっと派手かな、と思ったりするけど。藍ちゃんどうかしら、今の若い子に受け入れられると思う?」
「いや、受け入れられるとかのレベルではなくてデパートに並んでいるようなレベルですよ」
「あらま。それなら松屋さんに並ぶ日も近いかしらね」
手を口に当てて笑う頼子さんは上機嫌そのものだった。しかし、氏家さんには生地選びの難しさを白状した。
「どうしても悩むのが現代小説だよな。登場人物は着物を着ていないから、本を読んで感じる色とか、主人公が好きな色とかで選んでな」
「全部二人でやったの?」
「幸次に話をしたら『俺も本に合う布選びをやりたい』って言ってね。仕事を早めに切り上げて、昨日立ち寄ってくれたのよね」
「早退なんて、会社クビになっちまうぞ、幸次の奴は」
そんな言葉とは裏腹に氏家さんの目尻は下がっていた。氏家書店には三人の子どもがいるが長男と長女との面識は藍もほとんどない。
遠くに住を構えていることと、数年前に氏家さんが『あいつらは個人経営の書店を化石扱いしている』と嘆いているのを耳にしたことがあったが、それっきり噂も聞いていなかった。
「ちょっと、嬉しそうじゃん。それで、幸次おじさんはなんて?」
「自分の好きな本に合う生地をいくつか選んでくれたわ。面白いアイデアだし会社の人にも言っておく、だって」
「勤務先、出版社だから本好きな人多いだろうしリクエスト来るかもね。『この本はこんなカバーが合うと思います』って」
氏家さんは湯呑に残っていたお茶を飲み干すと今回の企画への思いを語り始めた。
「全部本を読んで選ぶのは大変な作業だからな。色々な人に助けてもらうのは悪いことじゃない。ちょっと悲観していたけど、藍や美帆みたいな若い二人の力を借りて近代的な個人書店へと前進したし、色々な人に足を運んでもらうのは商売人としては嬉しいからな」
「あらま、珍しく褒めれくれるんだ」
「まだまだ俺たちだってやれることはある。そうだよな」
「力仕事は無理だけど、アイデアを出し合って何かを作るのは楽しいものね。そんなことを久しぶりに痛感したわ」
頼子さんが目を輝かして話す姿を見て、藍は心の底から嬉しくなった。
「まず、手始めに十枚売ってみるのはどう? 商店街好きな人が散策するのを狙って土日限定で人気シリーズとか話題作品をイメージしたブックカバーを店頭に並べてみたり」
「十枚も売れるか怪しいぞ」
「それなら、事前告知をしよう。ブログで『今度の土日に作品をイメージしたオリジナルブックカバー販売。西陣織など着物の生地を使った品です』って文章を書いて画像を載せる。それだけでOK」
「そんなんで、告知になるか?」
「大丈夫。驚くくらい人が集まってくるかもしれないから、各日十枚にした方がいいかも」
「二十枚も売れるか? とりあえず、今のところ三十枚は仕上がっているから出せるるけどな。二日間で一枚も売れないと俺は予想している」
「あら、そんな悲観しなくてもいいのに。二、三枚くらいは売れると嬉しいわね。それじゃ早速ブログに文字を打ち込むわ」
書店の老夫婦はのんびりと構えている様子を見た藍は心の中でため息をついた。
(ネットの拡散の力、イマイチ分かってないんだから)
しかしこの十年以上、書店にお客さんが殺到することがないから二人の反応は仕方がないものだった。
「そんなわけでブックカバー作りは何とかなりそうだから、今度はお礼に藍に将棋を教えてやるよ」
「は?」
ニヤリとした表情で藍に突然のオファーを提案してきた氏家さんは、キョトンとする藍を尻目に一方的に喋り始めた。
「亀井先生の熱烈なファンなのは良く知っている。けれどな、やっぱり将棋の基本を知っておいた方が楽しいぞ。観る将が市民権を得ていることも分かる将棋めしに夢中になるのも分かる。そもそも、この前は藍とアキラが作ったパウンドケーキを食べてもらった。凄いことだ。ま、『やまぎわ青果店』の名は伏せられていたのはすごく残念なことだが。それはそうと、棋風っていうのがあってな。その先生の考えなんかが表れる。亀井四冠の棋風は『無風』って言われているのは知っているよな?」
「も、もちろん。あらゆる戦型を指せて棋風がないから『無風』」
「その通り! あらゆる戦型を指せることの凄味って分かるか? プロ棋士は自分の型を多かれ少なかれ持っているが『無風』ってどういうことかをファンとしては理解した方が良いだろう」
「駒の動かし方は分かるから……」
「大盤解説に参加して、言っていることくらい理解した方が楽しくないか?」
「……大盤解説」
氏家さんはレジ横のファイルからA4用紙の紙を取り出し、黙って藍の前に出した。
「浅草寺での対局大盤解説開催のお知らせ。募集81名。終局後、両対局者による登壇を予定……!」
「目の前で、応援している棋士を見られる。でも、大盤解説だからずっと将棋の話、指し回りとか詰めろかの話がメイン。この一手はどうだったのか、という話をするわけだ。もちろん、脱線することもあるだろうけどな。どうする、さっぱり分からないのにポツンと座っていられるか?」
究極の選択を迫るかのような迫力に、藍は何も言えずにいた。そんな張り詰めた空気を壊すようにパソコンで文字をゆっくり打ち込んでいた頼子さんが軽い悲鳴を上げた。
「あ、藍ちゃん、どうしよう。ブログで文字入力しようと思ったんだけど、どういうわけかランキング急上昇になって、コメントがたくさん届いているんだけど……」
「コメントだって?」
「『5525ちゃんのあげていたお店ってここですか』『私も昭和レトロな書店大好き』って」
「なんだ、5525って」
「もしかして、二人が見た若い女の子ってインフルエンサーだったのかも……」
藍の言葉に氏家夫妻は不思議そうな顔をしている。明らかに『インフルエンサー』の意味が分かっていない様子だった。
「ブログや動画投稿サイト、SNSで影響力を持つ人のことを『インフルエンサー』と呼ぶの。おそらく、最近来た女子大生風の人が5525というアカウント名を持つインフルエンサーだった……」
自分のスマートフォンで検索するとすぐにその名前にのアカウントにヒットした。『フォロワー数40万人』『推し活伝導師』と呼ばれていることに藍の頭はクラクラした。
SNSには明記していないが『北千住の商店街にある私好みの古い個人経営の書店』と記され、アクリルスタンドの写真も投稿されていた。
「どうしたらいいのかしら?」
頼子さんの言葉で藍は現実に戻された。
「と、とにかく、騙されたと思って人手を確保しなきゃ。店内で撮影する人がいると思うから、時間制限を設けたり入店する人数を決めたり。ブックカバーの発売は延期した方がいいかな」
明日以降、そして土日はお客さんが押し寄せることは間違いないことだけは伝えないといけないと思い、オロオロする夫妻を前にそう告げるのが精一杯だった。
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