第22話 スパイダーガールの新たな探偵見習い案件

 嬉しくも、ただただ悲しいことになったパウンドケーキ事件から二日後の金曜日。


 思った以上に精神的なダメージを受けて立ち直れずにいた藍は、どうすれば心のモヤモヤを発散できるのかといつものファミレスで落ち合った美帆に嘆いてみた。


「賢くてルックス抜群。自分に似たような人に対してそんなモヤモヤしなさんな」


 冷えたグラスに赤いストローを差し、ウーロン茶を楽し気に飲む様子で軽口を叩く親友を恨めしそうに見るも、ただただニコニコしながら落ち込んでいてアドバイスを送る気配もなかった。


「アキラと一緒に作ったレモンのパウンドケーキを食べてくれたんだから、それだけででも万々歳でしょう。毎回タイトル戦がある度に『亀井先生が頼んだ食事はこれです』『おやつタイムに頼んだのは地元老舗店の○○』とか大騒ぎになっているでしょう。で、どうなの? ネット上での反応は?」


 『将棋めし』は一部のファンにとって推しの先生の好みが分かる貴重な情報源であり、ネット上でも大盛り上がりになる。


 とくにタイム戦では主催者側の総力を挙げた品が選ばれ、メディアでも取り上げられ話題を集めていた。亀井晴也四冠が食べたものは問い合わせが殺到し、即日完売も珍しくない。


「パウンドケーキがどんなものか、より姉弟子の奈緒先生と同じものを頼んだ、で盛り上がっているから」

「マジ?」

「マジです。趣向を凝らしたおやつならまだしも、誰もが姿形を知っているから」


 美帆は自分のスマートフォンで検索した滝川奈緒女流四段の画像を見ながら勝手に推理を始めた。


「これだけの才色兼備の女性だけど、小さい頃から同門として将棋の鍛錬をしている。姉的な存在で恋愛感情は一切なし。外野がやいのやいのと騒ぐだけ。普通はこれだけの美人さんがいれば心躍るけれど、大天才はこういう『男性が五度見するような美人』には疎いかもしれないよ。あ、そうなると藍も無理になるか。そうなると、私の方が分があるかも」


 藍の不安をよそに、屈託のない笑顔を見せながら話を続けた。


「でもさ、ただ単に『みのやの定食にパウンドケーキがついていて美味しかった』と言っていたのを純粋に気になって頼んでみたんじゃないの。タイトル戦とかではどんなおやつを頼んでいるの?」


 突然質問を投げかけられ、藍は慌てて自分の持つ亀井先生のデータを考えながら答えてみた。


「そうだね……。ご当地の名産物を使ったケーキやクッキーとかが多いかな。開催地を配慮しながら選ぶという感じ。どちらかというと、フルーツ系が好みで生クリームたっぷりは皆無で意外とチョコレート系も少な目。チーズケーキとフルーツ添えとかは好きみたい。四国の定番ホテルでは決まった昼食とおやつを頼んでいて『亀井定跡』って将棋ファンの間では有名」

「なるほどね。それならやっぱり、姉弟子に恋心とか好きだから同じものを選ぶではなくて山際姉弟の力作でもあるレモンのパウンドケーキが純粋に気になった、ということで終わりにしよう。第一さ、大切な勝負の時に『姉弟子と一緒が良い』という感覚で頼む?」


 美帆が一刀両断してくれたおかげで、三日間続いた心の雨模様はすっかり晴れた。


「ありがとう! 持つべきものはやっぱり友だね」

「冷静になれば分かること。そんなの、いつも藍が言っているじゃない。やっぱり恋すると判断力が鈍るね」

「う、うるさいな。それより、どうなの? 氏家書店のブログは」

「そうそう、昨日顔出してきたけど順調。写真は私が適当にアングルとか構図を考えて商店街の周辺を撮ってアップしているけど、文章は氏家夫妻が担当している。もちろん、改行とかの指導はしているけどね」


 スマートフォンでブログを見ている人が多く、改行や余白がないと読みにくくなるが長年本を扱う生業をしている氏家夫妻からすると『文章』の基本は本になる。


 ブログをスタートした日、本のように詰め詰めで書いてアップしていたのを美帆が発見し、慌てて書き直したという事件が起きていた。


「マジでとんでもないことになっていたからね。あれじゃ、誰も読まない。いや、読めないよ」

「私が見た時は改善されていたけど、たしかにあの分量で本みたいだったら、十秒で離脱すると思う」

「アクセス数も少しずつ増えているしね。商店街のホームページやSNSで宣伝もしているし」

「それは美帆大先生のおかげでしょう」


 ブログのスタートアップ講座を行い、改善を繰り返して二週間が経ととうとしているがあとはいかに集客に直結するかを模索していた。


「このまま良い感じでお客さんを呼び込むには、いつ端切れ布で作ったブックカバーを売るか、だね。タイミングは商店街の七夕まつりかな」

「夏休み前の商店街の一大イベント。ここに照準を合わせて準備するのが一番だね。小出しもしたいけど我慢が一番。うちも忙しくなりそう。真夏に突入だからマンゴーとか使ったパウンドケーキでも考えている。ちょっと贅沢だけどお祭りだしね」

「私も味見隊としてご協力しますよ。そういえば、マスターから何か聞かされているの?」

「追加注文とか? 十本渡してきて、一本で六人分か七人分くらいになるからしばらく持つと思うけど」


 『二歩』に行って納品してから四日が経とうとしているが、マスターからも内藤さんからも連絡が途絶えいた。こうして姉弟子と亀井先生の件でのモヤモヤが晴れたなかで、新たな気がかりが『千駄ヶ谷の別の二人』というのも皮肉なものだった。


 美帆がウーロン茶を飲みながら何気なく言ってきた。 


「それにしてもさ、あのマスターは謎だよね」


 完全に同意するようにうんうんと二回頷いた藍も口を開く。


「たしかにね……。年齢不明だし、あんなにお客さんが来ないのに成り立っているのかも心配だし。そもそも、賃料だって馬鹿にならないだろうし。でも、知り合いの高齢夫妻が営んでいた喫茶店を譲り受けたと言っていたから格安なのかもしれない」

「格安っていくら。あの界隈で格安っといっても月十万はするでしょう」

 

 家が自営業である藍は、個人経営の大変さを理解しているつもりだった。そのせいもあり、マスターの『大丈夫』という言葉が心配になる時があったが、身なりを見れば困っている風には見えない。


 最近は元々資産家や土地持ちで、道楽としてやっているのかもしれないと思うようになってきた。


「知り合いがお金持ちで、賃料も知り合い価格で激安。もしかしたらマスター本人も資産家で趣味で経営しているのかもしれないね」

「それありえるね。うん。大いにあり得る。あれだけ謎めいた人に会うのは人生初めてのことだから、興味深い。ところで、内藤さんから事件の続報ってあった?」


 おとり捜査官の一人でもあった美帆は、眼を輝かせて続報を心待ちにしていた。しかし、連絡はパタリと途絶えている。


「退職した刑事さんだけど、やっぱり捜査状況を教えるのは法律違反になるから連絡を控えていると思う。打ち上げ以来、連絡なしだから」

「本当に? 倒れたとかそんなことじゃないよね……」

「違うと思うけど、心配だよね。ちょっとメッセージ送ってみる?」

「お願い!」


 美帆の後押しもあり、気になる内藤さんの近況を知るべくメッセージ送ってみることにした。


「文面はどうする、美帆」

「どうするって……。普通に『元気ですか』は?」

「プロレスラーじゃないんだから。そうだな、『最近ご無沙汰しておりますがお元気ですか』『事件が解決してユミさんもほっとしていますか』はどうかな?」

「いいね。早速送ってみよう!」


 その場のノリでメッセージ送るものの、藍はなんとなくすぐに返事が来ない予感がした。


 孫娘のユミさんがいる内藤さんは、マスターに比べるとスマートフォンの使い方に慣れているしそれなりにメッセージを送ってきた。それなのに、音沙汰なし。しかも、マスターは『新しい案件』を示唆していた。


(ペット探しと口にしていたけど、けっこう大きな事件の依頼が舞い込んだのかもしれない……)


「また事件でも起きたら、おとり捜査に協力できるのにね」


 藍の心を読めず、美帆が能天気に言ってきた。


「そうだね。でも、結局は素人だから危ない目に遭わないように配慮してくれたじゃない」

「ま、それが現実なんだけど。ちょっと味気ないよね」

「何言っているんだか」


 いつものように午後六時になると店を出て、いつもの駅前通りの交差点で美帆と別れた藍はいつもなら交差点を渡ろうとしたが、今朝駅へと向かう途中で見かけた蜘蛛の巣が気になり、銀行前を過ぎて飲食店の電飾看板をまじまじと観察した。


「たしか、この辺りに巣を張っていたような……」


 夕方になり光る電飾看板をぐるりと見るも、跡形もなく蜘蛛の巣はなくなっていた。これまで何百回と経験してきたことだが、除去されると頭をガツンと鈍器で殴られる気分になる。


「害虫呼ばわりするけどさ、ハエトリグモみたいな益虫もいるんだよ。全部がセアカゴケグモとかタランチュラじゃないって言うのにさ……」


 看板を見ながら独り言をつぶやいていると、スマートフォンに新しいメッセージが届いた音が聞こえてきた。


(美帆か、それともアキラか母さんかな?)


 予想は見事に外れ、そこには『内藤さん』の文字が出てきた。そして、これまでとは明らかに違う長文メッセージが送られていた。


 さすがの藍でも蜘蛛のことを忘れ、慌ててメッセージを開き読み進めていくに従い、目を見開いていくしかない内容が書かれていた。


『あの界隈での事件協力、ありがとう。おかげで一件落着となりました。めでたしめでたしと言いたいたいところだけど、ちょっと厄介なことになって、またお嬢さんの力を借りたいんだけどいいかな。探偵見習いから本格的な探偵業務になるかもしれない』


 唾をごくりと飲みながら文字を追っていき、どんな事件が起きたのか気になるが藍は緊張のあまり手が震え、どうしても早く文字を読むことができなかった。


『実は、邦ちゃんの店の隣の奥さん。いつも回覧板を持ってきてくれる奥さんから周辺で無臭の赤い液体が道路に流れていることが複数回起きているという相談あり。町内会でも見回りをしているけれど、今のところ人的被害がないから警察には報告せず様子見。ただ、気持ちが悪いので流している人を見つけて欲しいとの依頼』


(無臭の赤い液体流す人を見つけ出して欲しいという依頼ね……。でも、これって嫌がらせとかじゃなくて偶然なのでは?)


『俺や邦ちゃんみたいにあの界隈で生活したり店をやっている人間がウロウロすると相手も監視されていると思うから、あまり顔を出さない人の力が必要になってくる。詳しくは今度、マスターの店で。あと、パウンドケーキをよろしくお願いします。ばあ様が俺の分まで食べてしまったよ』


 色々とツッコミどころ満載のメッセージを読み終えた藍は、緊張した自分が間抜けだと思いつつも内藤さんが元気そうでひと安心した。


「また千駄ヶ谷で事件発生か。 でも、これは前回みたいな『立派な犯罪』ではなさようね……」


 この前のおとり捜査に比べれば気が楽だと思いながら、藍は急いで家へと向かった。

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