第20話 祝賀会はひっそりと

「若い娘さん達が危ない目に合わないですんでなによりでした。それでは乾杯!」


 昭和で時間が止まったかのような『二歩』の中ではマスターが音頭を取り、呆気なく終わったおとり捜査の成功を祝う言葉で打ち上げが始まった。


 藍はアイスィー、内藤さんはアメリカン、木原さんはいつものようにレモンティーを静かに飲む。


 初見さんである美帆は『ウーロン茶、ありますか?』とマスターにおずおずと聞くと、マスターは微笑みながら黙ってウーロン茶を出した。


 いかにもジェントルマンといった振る舞いだが、それを自然に出せるのはなぜなのだろうかと藍は不思議でならなかった。


(ホテルで料理人でもやっていた、といったところかしら)


「あ、ありがとうございます。私、炭酸もジュースも飲めなくて……」

「好みは人それぞれ違うからね。若いから全員が炭酸ジュースを飲めるとは限らないから。そうだ、紹介が遅れてしまったけど私がこの千駄ヶ谷の隠れ家『二歩』の店主花山邦彦です。そして、こちらが……」


 マスターが木原さんの方に顔を向けると、相変わらずの声のトーンで彼は話し始めた。


「……木原です」

「ど、どうも……。藍の、えっと山際藍の友人の、いや、親友で幼馴染の田中美帆です。い、いつも藍がお世話になっています」


 美帆にとって初めて会うようなタイプの人に、どう反応してよいのか分からないといった感じで、まるでロボットのように軽くお辞儀をしていた。その様子を見て、藍は無性に笑いたくなった。


「木原君はこう見えて、読書家の好青年だから。最近読んでいるのは、たしか、哲学書だったかな」

「はい。なかなか入手できずに大変でした……」

「あはは、そうですか……」


 ぎこちなく笑う美帆を見て、藍は吹き出しそうになったが何とかこらえた。


(『この人、宇宙人みたい』とでも言いたげそうな表情している……)


 藍がそんなことを考えていると想像もしていない内藤さんが、いきなり真面目な声で木原さんに声をかけてきた。

 

「そういや、ユミのマスコットが盗まれたときに偶然兄ちゃんが居合わせたけど、その時にイサムに似た奴は見かけたか?たしか、二人組の怪しい男がいたって言ってたけどさ」

「ええ。たしかにこの目で見ました。ただ、座っていたのはご年配の方ではなかったです。今思えば、彼の腕を品定めしたかったのかもしれません。それとも、直接指示したくてベンチの両側に座っていたのか……」


 木原さんが事件発生時に近くを通った際、目撃したという二人の男。やはり風のイサムとの関係があるのかと内藤さんは睨んでいるようだった。


「……木原さんが見たという二人はどんな風貌をしていました?」


 藍が意を決して質問してみると、内藤さんは慌ててメモ帳を取り出した。


「ちょっと待ってな兄ちゃん。まず、体つきから聞こうか」

「一人は大柄。身長はおそらく、180センチメートルほど。もう一人は細身で175センチメートル前後。二人ともキャップ付きの帽子を深くかぶり、長袖でした。大柄な男は左肩をこんな風に上げる癖があるようで、そうですね……。十秒に1回くらいの頻度で上げていました」


 飄々と大柄な男の癖を披露しているが、内藤さんは大きな目をさらに開いた。


「兄ちゃん、すごい記憶力だな。目撃者が全員がこれほど覚えていたら楽なのによ」

「昔から、そういうことだけは得意なので」

「新宿御苑にはライブカメラもあるし、周辺には防犯カメラもかなりある。イサムが捕まったこともあるし、すでに警察では確認しているとは思うけど。自白の内容次第では単なるスリ事件では収まらないかもしれないな……」


 祝賀会から一転、『裏には何かあるかもしれない』という重々しい雰囲気に店内は包まれた。


 そんな空気を吹き飛ばすかのように、オムライスを作る音が響き渡った。フライパンを小刻みに揺らしながら、マスターが声をかけてきた。


「内藤さん、もう少しでオムライスできるよ。二人は味噌ラーメン。で、お嬢さんは何が食べたい?」


 名指しされた美帆は慌てた様子で好物の料理の名を伝えた。


「私も、オムライスをお願いします」

「気を使わなくていいよ。純喫茶で出されそうなものは作れるから。おっと、サンドウィッチだけはパンが切れて作れないけどね」

「いえいえ、オムライスが大好きなので」

「オッケー。それにしても、ここにはオムライスか味噌ラーメン好きしか踏み入れないような結界でも張られているのかな」


 マスターの言葉で再び祝賀会の明るい雰囲気が戻ってきた。


 藍はメインディッシュが来る前にお水を準備しようとカウンター席の前にきれいに並べられているコップを取ろうとすると、木原さんがヒョイと手を伸ばし先にコップを重ねた。


(うわ、全く気がつかなかったけど木原さんの手ってすごくきれい!)


「ど、どうも」

「水をお願いします」

「悪いね、お二人さん。先にオムライスが出来上がるから、内藤さん待っていてね」

「おう、俺はいつだって待っているぜ」


 たっぷりケチャップがかかったオムライスが運ばれると、美帆は言葉にならないような小さな歓声の声を上げた。


「初めてでこう言うのは大変失礼ですが、もっと有名になっても良いと思いますが」

「見た目倒しかもしれないよ、お嬢さん」

「いえいえ、この匂いから判断して間違いありません……」


 ほんの少し軽口を叩き、少しずつ本性を現してきた美帆が銀色のスプーンでオムライスを一口食べると、美味しいものを食べた時に出す仕草『頬を膨らませて目をギュッとつぶる』を見せた。


「これは絶対にSNSで投稿して拡散したいレベルです」

「ははは、うれしい言葉ありがとう。ただね、ここは有名になりたくない店主がひっそり開いている店だから。もしお客さんが殺到したら、もうオムライスを食べれなくなるかもしれない。それでも、拡散する勇気はある?」


 マスターが渋い声で優しく美帆に語りかける。藍は心の中で『これじゃ絶対に美帆は言い返せない』と思った。


 そして藍の読み通り、美帆は完全にマスターに同意した。


「そ、それは困ります。やっぱり、内藤さんもやはり嫌ですよね?」

「熱烈なファンとしては、毎日ふらっと立ち寄って食べれたものが二時間も並んで食べれないなんてことになるのは絶対に嫌だね。きっと、味噌ラーメンファン第一号の兄ちゃんだって同じだ。そうだろう?」

「……そうですね」


 会話が繰り広げられる中、味噌ラーメンがファン一号と二号の前にドンと置かれた。


「これが噂の味噌ラーメンか」

「話を聞いていたんだね」

「はい、味噌ラーメンのために千駄ヶ谷に行くって」

「なんだよ、ユミの事件のためじゃなかったのか」

「あと、千駄ヶ谷に行きたいのは……」


 内藤さんは少し大げさに落胆の表情を浮かべ、美帆がさらに饒舌になりそうなところを思いっきり足を踏みつけてストップさせた。


「えっと、あの、藍が千駄ヶ谷に行きたがっているのは喫茶店のアルバイトが社会勉強になるって思っているみたいで……」


 藍は親友を威嚇するようにメガネの縁を持ち上げながらチラ見し、何事もなかったかのように味噌ラーメンを食べ続けた。


「社会勉強ね……」


 マスターが厨房で軽く焼いた分厚いトーストにバターをつけながら呟いた。どうやらバタートーストが昼食のようだ。


「業種は違いますが私の家も自営業ですから、色々と学ぶ点も多いかと思いまして」


マスターは一口トーストを食べ終わると、穏やかな口調で驚きの提案をしてきた。


「たしか、八百屋さんだったよね。そうだ! あのパウンドケーキ、買い取るから週に五本くらい納めてくれないかな」


 驚きのあまり固まっている藍をよそに、マスターは穏やかな口調で話しを続ける。


「回覧板を持ってきた隣の奥さんに出したらこの界隈で広まったみたいで。どこか知らないけど、この界隈の飲食店で『デザートとして出したい』って言っているところがあるらしいんだよ」

「デザート?」

「不思議な話だけど、デザートが欲しいと。そのお店はどうもお客さんから要望があるけど、作れる人がいないし場所もない。そんな時に、お嬢さんと弟さんが作った絶品のパウンドケーキを隣の奥さんが食べた。それが美味しかったとアチコチで喋った。噂を聞きつけてメニューにもないのにパウンドケーキとコーヒーのセット、またはパウンドケーキと紅茶のセットで、と頼むお客さんがこの数日で六人も来たんだけど、その中にそのお店の人がいたんだろうね」


 紅茶を一口飲み終えるとマスターは事の顛末を話した。


「それが、パウンドケーキは完売で出せない。それを伝えると全員残念そうにただコーヒーやお茶を飲んでそそくさと店を後にしていたよ。でも、意外と美味しかったのかな。全員が驚いた顔をして飲んでいたから見ているこっちは心の中で大笑いしたけどね」

「なんだよそれ。邦ちゃんの淹れるコーヒーなんか絶品だぜ。昔勤めていた署の近くの喫茶店なんかインスタントをものすごく薄めたようなのを『ブレンドコーヒー』とか平気な顔で出しているのに比べたら、あり得ない値段で美味しいのを出している」


 いつの間にか味噌ラーメンを全て平らげていた木原さんが、『二歩』で起きそうなことをボソボソと予言し始めた。


「お店の紅茶やコーヒーが美味しいと判明したら、またその六人は来店するかもしれませんね。まして、パウンドケーキを提供するとなると私も内藤さんもゆっくりと過ごせなくなります。とくに内藤さんは開店と同時に来て、少し家に戻りまた過ごすという一日の流れが崩れてしまうかもしれませんよ」

「それは困る。『いつまで居座るんだよ』って見られるのは本当に嫌になる。俺にとってここは退職後のオアシスなんだから。なんとかならないかな、邦ちゃん……」


 自分の居場所がなくなるかもしれないと想像した内藤さんは動揺し、マスターに助けを求める。その様子を女子高校生の二人は面白おかしく見つめていた。 


「とりあえず、パウンドケーキに関しては仲介の役割を果たす。つまり、店で出すのは回覧板を届けてくれる奥さんとかに限定する。パウンドケーキを食べたいなら、出したいと言っているお店に行ってくださいっていうことかな」


 驚きの考えに美帆は椅子から立ち上がり問い詰めた。


「……それって、『二歩』では商品として出さないということですか? せっかくの大チャンスなのにどうして?」

「目立つことは勘弁。マグロの仲買人みたいなことをするだけだよ。『やまぎわ青果店』の姉弟のパウンドケーキを『二歩』が買い取り、千駄ヶ谷界隈の飲食店に卸す。そこで少し利益が出ればいい。しかも、店の秩序はそれなりに保たれる」


 まだ知り合って日が浅いが、藍はその判断はマスターらしいと感じた。一方、美帆の方は納得していない様子だったがニコニコ顔のマスターを見てそれ以上言葉が出てこなかった。


「それなら関係する全員がウィンウィンの状態ですね。お見事です」


 木原さんはレモンティーをゆっくり飲みながら、マスターの決断を称賛した。


「邦ちゃんがそう決断するなら文句は言わない。ただ、俺もパウンドケーキを貰う時お金を払わないといけないかな?」


 内藤さんが少し寂しそうな様子で藍を見ながら呟くと、マスターは大笑いし、木原さんも必死に笑いをこらえようとしていた。


「あれは、お世話になっているのでプレゼントとしてお渡ししているのでお代は要りませんから。あと、今回はレモンになりますが良いですか?」


 百均のラッピングコーナーで購入した袋に入れたパウンドケーキをリュックサックから三本取り出すと、藍のすぐ近くに座る内藤さんが目を輝かせながら手に取った。


「レモンか! これはばあ様が喜ぶぞ!」

「お好きなんですね、レモンが」

「無類のレモン好きでね。イチジクも良いけれど、初夏は爽やかさが似合うからな」

「私もこの前食べましたが、ものすごくおいしいです。季節を感じるから藍とアキラが作るパウンドケーキは下手なお店よりも美味しいですからね」

「お嬢さん、羨ましいな。近所なら頻繁に試食できるのか」

「そうですね。かなり頻繁に試食しています」


 マスターに渡すと、必殺技のウィンクをして『ありがとう』を伝えてきた。定位置に座る木原さんに渡すと、食にうるさいような文言を藍に投げかけてきた。


「この前のイチジク、私の口に合っていました。レモンも合っているといいのですが。期待しています」


(祖父母が茶道やっているって言っていたし、美食家? それとも資産家の坊ちゃん?) 


 パウンドケーキだけで大盛り上がりを見せている店内は、まさに祝賀会といったように総勢五人でも明るい雰囲気に包まれた。

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