第19話 難題は風と共に去らず

「いたいた! お嬢ちゃん達、こっちだよこっち!」


 清々しい青空とは正反対のどんよりとした気持ちを抱えていた藍と美帆に、レストハウスのそばから内藤さんが大声で手招きをしていた。


 さっき起きた出来事を考えると、どうしても足取りは重たくなる。急かされても牛歩のスピードで内藤さんの方へ向かった。


 少年のように目をキラキラと輝かせて待っている内藤さんの顔を直視することが出来ず、二人は訳も言わずにすぐに頭を下げた。


「す、すみません!」

「せっかく作っていただいたのに……」

「油断したらすぐに盗られてしまい、言い訳もできない失態です……」


 頭を下げて十秒が経過しても、内藤さんからなんの反応もなかった。


(呆れてものが言えないのか、それとも怒りのあまりに言葉が出ない、か……)


 藍は内心びくびくして返答を待ち続けた。おそらく美帆も、同じ気持ちだろうと目をつむって出方を待った。

 

 相手は何と言っても元刑事。普段は優しくても、犯人追跡中に失敗して取り逃がしたなんて許せないはずだ。


 しかし『すごく叱られる』と覚悟し、カチコチになっている藍たちとは裏腹に、内藤さんは突然大笑いしたのだ。


「顔をあげてくれよ、お嬢ちゃん達」


 意味も分からず恐る恐る顔を上げると、いつの間にかマスターと木原さんも加わっていた。


「お手柄だよ、お二人さん」

「?」


 マスターから労いの言葉をかけられても、何が何だか分からない二人に相変わらずサングラスにヘッドホンにマスク姿の木原さんがゆっくりと指さした。


「見てください、あちらを」


 言われるがままに指が示す方を見ると、体格のいい男性二人が内藤さんに向かって敬礼をし、きびきびとした動きで歩いて行った。二人の間には背中を丸めて歩くシニアモデルが着ているような洒落た身なりをした老人男性の姿があった。


「……どういうことですか?」


 状況を飲み込めない藍と美帆を前にし、元刑事の内藤さんが端的に説明してくれた。


「スリの『風のイサム』だ。最近鳴りを潜めていたが、俺が現役の頃から再犯を繰り返してな。20回以上わっぱにかかっている超有名人」

「わっぱ?」

「警察用語で、手錠だな」

「20回以上も?」


 美帆の驚きの声に内藤さんは黙って頷くだけだった。


「刑期を含めると想像できませんが、学校出てからずっとその稼業をやっていたことになりますよね……」

「まぁ、そうだな。俺と同世代だからそっちの世界に行ってしまうような厳しい環境で育ったのかもしれないけれど、やはり若いうちに足を洗えなかったのが……」


 言葉では言わないが、内藤さんの歪んた表情から風のイサムへの複雑な思いが伝わってきた。


「それにしてもスリの大ベテランが、転売目的でマスコットを狙うことってあるんですか?」

 

 藍の言葉に内藤さんは大きく手を振った。


「あり得ないな。ホンボシ、裏に真犯人が隠れているはずだ。アイツがインターネットで転売業が出来るとは思えないからな。腕を見込んで頼んでいる奴がいるんだと思う」

「そして、ラスボスみたいにそう簡単に自分の正体を決して明かしていない可能性もある。イサムとの連絡も手下にやらせている。そんなところかな、内藤さん」

「そうそう、俺も邦ちゃんの言う通りだと思うぜ!」


 マスターの推理を全面的に支持している様子を見た美帆は、『本当にどっちが探偵なのか分からないね』という顔を藍に見せた。


「ところで最初から、ユミさんのマスコットを盗んだのも『風のイサム』の仕業と考えていました?」


 藍からの質問を待っていましたとばかりに、刑事のカンを披露してきた。


「最初はお小遣い稼ぎでやっている素人みたいなのがやっていると思ったけど、ユミの『風のようにサッと盗られた』という言葉でピンときた。この五年近く、出所してから全く音沙汰がなくて、どこかでひっそりと死んだんじゃないのかって内部じゃ噂になっていたからな」


 ノってきたのか、内藤さんは大いに語る。


「でもよ、ユミの一件で引っかかってさ、後輩に新宿や原宿界隈で起きているマスコット狩りの現場の防犯カメラにイサムが映っていないか確認してもらったんだ。最初は引退した年寄りの話なんか誰も相手にしてくれなかったけどよ、『転売で高く売れる』『バックに転売組織がいるのでは』って言ったら本腰入れ始めてさ」


 まさか稀代のスリ師が若者が持つマスコットやぬいぐるみを狙い、盗みを働かしていたとは思わない。


「それでは、おとり捜査はこれで終了ですか?」


 がっかりする美帆に、内藤さんはばつが悪そうに告げた。


「悪いけど、そういうことだな。後輩たちが見ての通り私服で待機していたから。マスターと兄ちゃんが怪しそうな動きをしている人がいないか観察し、ちょっと不思議な動きをしている老人がいるって注視していたら目の前で盗った」


 マスターも内偵の様子を少し教えてくれた。


「スマートフォンを持って風景を撮影しているけれど、場所選びに時間もかけてないし適当に撮影している様子だったからね。気にしなければ公園を散策しているおじいちゃんという感じだけど、ちょっと周囲とは動きが違う。私と木原君二人とも最初から『怪しい』と思って注意深く監視していたよ」


 全てが一瞬で終わったことを知り、女子高生探偵を気取っていた二人は呆然と立ち尽くすしかなかった。

 

「目撃者もいたし、私服警官の目の前でやったから完全に黒。現行犯逮捕でイサムは連行された。お嬢ちゃん達にとっては消化不良かもしれないけれど、『これにて一件落着』だな」


 お開き宣言がされると、マスターはチラッと藍と美帆を見やり明るい声で二人に声をかけた。

 

「それでは、詳しい話なども含め、お店に戻って打ち上げ会でも行いましょうか」

「やった! って相変わらずビールないだろう?」

「私のお店ではアルコール類は一切お出ししておりません」

「飲みたいのであれば、表の通りの定食屋さんなら昼間でもビールの看板が出ていますが」

「なんだよ、邦ちゃんも兄ちゃんも冷たいな。分かったよ、いつものアメリカンとオムライスで手を打つよ」


 一対二の構図の会話を聞くと、笑うしかない。しかも、マスターは分からないが木原さんは完全に笑いを取りに行くわけでもなく、淡々としゃべるから感情的な内藤さんと対照的でまさに『お笑い』だった。


五人が『二歩』に戻ろうと千駄ヶ谷門へ向かおうと足を進めた途端、いきなり木原さんがボソボソと自分の推理を語り始めた。


「カバンやリュックサックにつけているマスコットは、チェーンが切れて落ちることもあります。紛失届を出す人もそう多くないでしょう。そのことで、イサムさんは縦横無尽に活動できた」


 淡々と語る木原さんの姿を見るのに慣れている藍とは違い、美帆はどうすれば良いのか戸惑いの表情を浮かべていた。それを見て藍は親友に『いつもこうだから』とばかりに目配せをした。


「防犯カメラで移る可能性もあるので従来通りの『風のイサム』に見えないよう身だしなみを整えるよう指示され、支援を受けていた可能性もあります。内藤さんが言わなければ、防犯カメラをくまなくチェックすることなんてなかったでしょうね」


 木原さんが一通り推理を言うと、元刑事も納得せざるを得ない様子だった。


「そうだな、俺が知っているイサムとはまるっきり違う風貌だったからな。それに、アイツは俺の目を見なかったからな。今まで何度か捕まえているが、そんなことは一度もなかった。何か後ろめたい思いを抱えているのかもしれない。」


 あのおじいちゃんが『インターネット上で高額転売している』とは思えない。さらに言えば、ユミさんのマスコットはどのオークションサイトにもフリマアプリでも扱われていなかった。


(特殊なサイトやSNSを駆使しているの。そして、風のイサムも昔馴染みの刑事の顔をすら凝視できなかった……)


 ユミさんが被害に遭ったからこそ『転売組織の存在疑惑』が浮かび上がってきたという、思わぬ結果になったが、もっと事件は深く大掛かりな犯罪組織に辿り着くかもしれないと思うと、藍は気軽におとり捜査を買って出たことに身震いした。

 

 一方、普段ほとんどしゃべらない木原さんはどうやら推理好きらしく、大いに語り続けていた。


「電子マネーが普及して財布を盗っても現金がない。電子マネーも全員が大金を入金しているとは限らない。本人確認の可能性もある。クレジットカード決済は暗号が必要。それならば、それなりの値段で取引されるマスコットに絞った方が楽に盗れる。公園も年配の方なら時間問わず溶け込みますし、雑多な街中なら現金を狙うより格段に簡単。おそらく、組織はSNSで暗号めいた文章で取引するような仕組みになっているかもしれませんね。薬物と同じように……」


 木原さんがボソボソと自分の推理を披露すると、内藤さんはお手上げとばかりに両手を上げた。


「兄ちゃんの推理通りだろうな。クスリと同じで今はインターネットを絡んだ犯罪も多い。もうイサムだって年も年だ。全盛期みたいな俊敏な動きは出来ない。しかも今のご時世、現金を持ち歩いていない人が急激に増えているしな。まだ推測の域を越えないが、おそらくスカウトされて盗み担当をし、『風のイサム』だと分かりにくい様にイメージチェンジさせられたんだろう」


 内藤さんの話を聞きながら、マスターはうんうんと頷き、呟くように話し始めた。


「電子マネーもあるけど、防犯カメラも増えて派手にアチコチ動けなくなったし、古株には厳しい時代なんだろうな。それで、言葉は悪いけれど若い世代の手下みたいになって働いているのか……」

「なんだか切ないな。まぁ、根本的には悪いことには変わりはないけれど、一匹狼で業界じゃ名の知らない者はいないくらいの達人のスリ師のあの姿をみたら、俺もなんだか色々と昔のことが頭の中でグルグル回っちまっている」


 寂しそうな相棒を元気づけるように、マスターが声をかけた。


「それなら、心を落ち着かせるために『アメリカン』で一杯しないといけないね、内藤さん」


 スリの世界も時代の移り変わりに翻弄されているのを感じつつ、一行は無事にホームグラウンドである『二歩』に戻ってきた。

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