第18話 作戦日和は吉か凶か

『絶対に嫌だから!』と言われると覚悟していた藍にとって、美帆がおとり捜査の相棒になることを二つ返事で快諾したことは意外なことだった。


 電車内でも楽しみでしょうがない様子で、いつも以上に明るそうな雰囲気全開だった。

 

「本当に楽しみなんだけど! 第一、元刑事の探偵とか年齢不詳の喫茶店のマスターなんて、普通の学校生活を送っていたら絶対に出会わない人たちばっかりじゃない。あと、『風変わりな大学生』ね。」


 千駄ヶ谷駅に着くと美帆が手を伸ばし軽くストレッチをした。


「普段、電車を使わない生活しているから新鮮。それにしても、新宿と原宿に挟まれているこの街は本当に都心なのかと思うほど人が少ないね」


 今日は周辺でイベントがないのか、少し閑散とした雰囲気だった。


「周りが超有名なエリアだから比較しても仕方ないよ。それなら浅草の仲見世通り商店街と北千住の家の商店街を比べるのと同じ」

「そりゃそうだ」


 そんな会話を繰り広げながら、二人は『二歩』へと向かった。


 美帆は幼馴染が知り合ったばかりの人たちに興味津々で、自分も『面白そうな世界』に飛び込みたかった胸の内を告白してきた。


「たしかに、普通に高校生活を過ごしていたら出会わないよね。うん、それは美帆に完全に同意する。だけど、内藤さんは正直本当に探偵としてやっているのか怪しいしな。どう見ても推理力はマスターと木原さんの方が上だし。あの辺りで『内藤探偵事務所』って書かれている看板を見たことないよ!」


 藍の言葉を聞いて、美帆は辺りをキョロキョロと見渡した。


「そういうのって、たいてい派手な看板やポスターそれに電柱広告で貼ってあるけど、たしかにないね……」

「もちろん、この界隈に住んでいるから宣伝とか出来ないとは思うけど。でもね、いつも喫茶店に入り浸っているということは暇している訳よ。絶対に。探偵しているというのは内藤さんが面白半分に言っているだけで生業としてはやっていないと思う」


 生まれて初めて探偵に出会ったと思って喜んでいた藍は、親友の推理に頷くしかなかった。


 とはいえ、内藤さんは暇そうにしているが後輩と連絡をして今回の事件の真相に辿り着こうとしているのは事実だ。


 完全に引退しているのではなく、千駄ヶ谷界隈で起きるちょっとした『事件』を解決している探偵気取りの元刑事で、小説のように行きつけの喫茶店で相棒のマスターと一緒に事件解決の糸口を探っているのではないかと藍は内心そう考えていた。


「探偵って小説とかテレビでは普通に登場して殺人事件を解決しているけど、実際に出会うことなんてほぼないよね。皆が知っている職業だけど普通の生活をしていたら会うことのない職種だし。でも、元刑事もなかなか出会うチャンスなんてないから面白いと言えば面白いけど」

「そう言えばそうだね。探せばいるかもしれないけれど職業柄『刑事で今話題の殺人事件の担当をしています』『刑事の親戚筋です』なんて大声で言う人なんていないしね」


 会話をしながら藍は大通りから脇道に入ると、十メートル先で手を振る男性の姿が目に飛び込んできた。『二歩』がある場所とは違うことに藍は違和感を覚えた。


「噂をすればなんとやら。内藤さんがお待ちかねみたいだけど、何かあったのかな」

「おぉ、あれが噂の内藤さんか……」


 いつもの千鳥柄のニットシャツに黒のスラックス姿の内藤さんが両手を上げていた。


「お嬢ちゃん達、早く!」


 何を急いでいるのか見当もつかないが、言われるままに内藤さんのところまで駆け足で向かうと、思いもよらない言葉をかけられた。


「いや、すまないね。店には寄らずにそのまますぐに現場に向かうから」


 内藤さんの言葉に驚き、藍と美帆はお互いの顔を見合わせた。


「……どういうことですか?」


 藍が言うと、内藤さんは『二歩』に立ち寄らなら理由を話してくれた。


「先にマスターと兄ちゃんが新宿御苑に行って偵察に行っているんだよ」

「先に、ですか?」

「天気もいいし新緑の季節でどのくらいの人がいるか見て、良い場所を探してくるって。あと、怪しい動きをしている人間を探してみるとさ。まぁ、二人が先発隊として現地に行っているから、こっちは対策立てやすい」


 二人の会話を聞いていた美帆が、おもむろに会話に入り自己紹介を始めた。


「ということは、新宿御苑に行ったらすぐに私たちはベンチに座ってお話をしたり、マスコットをわざと置いて、スマホで写真を撮ってはしゃいでみたりと過ごせばいいと。あ、申し遅れましたが藍の友人の田中美帆です。今日はお孫さんのユミさんの無念を晴らす一役になればと馳せ参じました」


 いきなりの時代劇風な自己紹介に内藤さんは吹き出し、大笑いした。


「いや、いいね。気に入ったよお嬢ちゃん。俺は銭形平次が大好きな内藤。色々聞いているとは思うけど元刑事でそのまま隠居するほど老いぼれちゃいないから、探偵稼業しているんだ」

「探偵といいますと、普段はどんな仕事の依頼があるんですか?」

「そうだな、大きな声じゃ言えないけど殺人事件の裏に潜む大企業の陰謀を探って欲しいなんて案件もあったな……」


 さっきまで『探偵ごっこをしている元刑事のおじいちゃん』扱いをしていた二人は顔を見合わせた。その様子を見た内藤さんは慌てて手を振り、訂正した。


「なんてドラマや小説みたいなことを言いたいところだけど、猫や犬を探したりとかが多いかな。たいてい、うちのばあ様が勝手に話を持ってきて『暇なんだから調査してよ』ってね」


 現実の探偵業の有様を伝えると藍と美帆は安堵の表情を浮かべた。


「なんだ、そうなんですね」

「まさか、ドラマみたいな探偵さんがいるのかと思って息が止まるかと思いましたよ!」


 二人が口々に言い合う様子を、なぜか内藤さんは笑顔一つなく見ていたのを藍は一瞬気になったが、またいつもの内藤さんに戻って新宿御苑への道を先導役として進んでいった。


「はいこれ。現場に行く前にマスコットをカバンに付けて。あと、確実に犯人をおびき寄せる秘密道具。新しいお嬢ちゃんにはミニサイズ」


 内藤さんから同じ柄でミニサイズのクマのぬいぐるみを渡された美帆はあまりにも出来が良いことに驚きを隠せなかった。


「これ、手作りなんですか?」

「ばあ様の趣味だよ」

「いえいえ、趣味の域を超えていますけど……」

「そうか? ユミもそうだけど今の若い子はこういう渋いのが好きなんだな」


 ジェネレーションギャップを感じているらしい内藤さんは、肩をすくめた。


 そうこうしているうちに千駄ヶ谷門に着くと、美帆はいきなり深呼吸を始めた。


「東京っ子なのに、新宿御苑に足を踏み入れるの初めてなんですよ!」

「おぉ、そうかい。北千住の方だと、こっちまでこなくても上野や浅草で間に合うからな」

「緑がこんなにあるなんて思ってもいなかったな。ほら、藍見てよ。あの人すごく値の張るカメラ持っている」


 カメラが大好きな美帆は、一眼レフを片手に植物や風景を撮影しているアマチュアカメラマンの多さに興奮していた。


「美帆ったら落ち着いてよ。でも、今日は天気も良いから結構な人が来ているね」

「ツツジの見頃は過ぎたけど、こんなに人が多いなら物盗りは人混みに紛れ込みやすい。あっちにとってもチャンス日和だ」


 内藤さんは果然やる気になったのか、肩をグルグル動かしてウォーミングアップを始めた。


「よし、中ノ池までいってマスター達と合流するか」


 『ホシを上げるぞ!』とばかりに、おとり捜査官である女子高生二人を置いてものすごい勢いで歩き始めた。


 藍と美帆は呆気にとられるも、慌てて内藤さんの後を追いかけるといつの間にかレストハウスそばまでたどり着いていた。


「ちょっと見てよ! なんだか外国みたいな風景だね」


 美帆が指さす先には、新宿のエンパイアステートビルがそびえ立っていた。


「外国、というかニューヨークみたいね」

「なんでニューヨーク?」

「ニューヨークに、あのビルとそっくりな超有名なビルがあるの。ほら、キングコングが登って大暴れするビル」

「ああ、あれね。だから外国見たいと感じたのか!」


 中ノ池の周辺は新緑と新宿の高層ビルの風景を撮る一眼レフカメラを携えた人々、友人と一緒に高層ビルをバックに自撮りを楽しむ人たちが集まっていた。


「ところで、内藤さんはどこに行った?」


 美帆が辺りをキョロキョロ見渡し、藍もつられて内藤さんやマスターそして木原さんの姿を探していると、美帆のカバンでのある変化に気がついた。


「美帆、さっき内藤さんにもらったミニぬいぐるみは?」

「何言っているんんだか、リュックのここのファスナーのに付けたの見てたでしょう。藍の目は節穴だらけ……」


 そう言いながらクマのぬいぐるみをつけたファスナーを手繰り寄せるも、跡形もなくなくなっていた。


「マジでない!」

「途中で落としたとか? いや、門に着いた時には確かについていた」

「走った勢いで落ちたとか?」


 とりあえず地面に落ちていないか周辺をウロウロしながら探すも、ぬいぐるみはもちろんのことチェーンも見当たらない。


「ちょっと、藍! ないよ、藍のクマも!!」 

「え、そんなわけない……。 う、嘘でしょう!」


 リュックサックの一番外側の金属ファスナーにしっかり付けていた和柄のクマのぬいぐるみは、最初から何もつけていなかったかのように姿を消していたのだ。


 周囲の人たちは、慌てる二人をよそに相変わらず思い思いに写真を撮り和やかな雰囲気で日曜日を過ごしている。


 来たと同時にターゲットにされ、いとも簡単に盗られてしまった。準備をし満を持して臨んだ作戦が台無しになってしまったことは二人とも痛いほど分かっていた。


 周りの人に聞こえないよう、冷静さを取り繕ってひそひそ話をした。


「ヤバイよ」

「うん。分かっている」

「藍、どうしよう?」

「どうしようって、二人同時に落とすほど弱そうなチェーンでもなかったじゃない」

「やっぱり、盗られた?」

「それしか考えられないでしょう」


 会話をしながら辺りを見渡しても『怪しい人』は誰もいない。天気の良い公園に普通にいるような風貌の人たちしか居なかった。

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