第17話 やっぱり『パウンドケーキ』が好き

「見れくれよ。うちのばあ様の自信作を! ユミも『私も欲しい!』なんて言っているんだよ」


 相変わらず薄暗い『二歩』の店内に響き渡るように内藤さんが興奮気味で話している。


 そんな声を出したら普通の店ならジロジロ他の客から見られるところだ。しかし、マスターと木原さんそして学校帰りの藍しかおらず、誰も制しないのだから仕方がない。


「これは……」


 内藤さんから渡されたクマのぬいぐるみを手に取ってみると、どこから見ても手の込んだ一点物という品に仕上がっていた。


 ちょっと地味かと思った藍色が良い味を出し、蜘蛛の巣の模様がお腹の部分でアクセントになるように配置されていた。


「スゴイの一言ですね! これは本物以上の出来かもしれません」

「そう思うだろう? 布も上質だからばあ様が張り切って短期間で一気に仕上げていったんだよ」

「そっちの世界はよく分からないけど、確かに良いセンスしているね。その着物。書店さんの息子さんのおかげだね」


 内藤さんの奥さんの腕があるからこそだが、素材を提供した藍にとっては氏家夫妻、そして次男の誠二さんが褒められているようで鼻高々だった。


「薄物でこれだけの品質。小千谷縮でしょうか……?」


 相変わらずヘッドホンをつけ、定位置に座るマスクにサングラス姿の木原さんがポツリと呟いた。藍は一瞬、耳を疑ったが確かに『小千谷縮』と口にした。


「産地までは聞いていませんが、今度聞いてきます。木原さんも着物に興味があるんですね。ちょっと意外でした」

「『木原さんも』とは? どういうことですか」


 相変わらずサングラスをかけ、低くボソボソと呟く言い方に藍はドキリとした。まるで尋問されているようで圧迫感を感じる。そんな彼女を助けるように内藤さんがいつもの明るい声で話に入ってきた。


「ああ、それは俺のことだ。お袋が着物が好きで、生地を見るとつい思い出すんだよ。この前、お嬢ちゃんが店に来た時に実は着物が好きだって話をしたんだ」

「だったら奥さんにクマのぬいぐるみを作ってもらって抱き枕みたいにして寝ればいいんじゃないの?」

「なんだよ、邦ちゃん。赤ん坊じゃあるまいし。それにしもてアンちゃんも着物に興味があるんだな」

「……祖父母が茶道などを嗜んでいたので」


(『祖父母が茶道などを』ということはそれ以外にもやっていたということか。木原さん、こう見えて良い家のお坊ちゃまなんだ)


 マスターから出されたアイスティーを飲みながら、藍はぼんやりとそう思っていた。その時、マスターがいよいよ本題へと切り込んできた。


「それはそうと、いつやる?」

「モノは出来たわけだ実行日をいつにするかだな。相変わらず新宿や渋谷界隈では希少価値の高いぬいぐるみとかが盗られているって聞いているから、お嬢ちゃんの都合が良い日でいいよ」


 マスターと内藤さんが『空いている日はいつ?』という風に藍の方に顔を向けた。木原さんは二人とは対照的に気にも留めず、三人に背中を見せてアイスレモンティーを飲んでいてる。


「そ、そうですね……。今日が月曜日ですから水曜日とか木曜日とか」

「平日と土日だとどっちがいいのかな、内藤さん」

「そりゃ、土日の方が人出があるから相手も動きやすいだろう。繁華街でも土日が多いしな」

「それじゃあ土曜にしようか。日曜日だと翌日は学校があるから。勉強しつつ店の手伝いをしつつ朝からここに来て欲しいな」


 藍の予定を無視して二人は勝手に予定日を決めていく。しかし、土曜日は勉強はもちろんのこと、アキラと新作のパウンドケーキやクッキーを作ることになっていた藍にとっては一大事だ。


「すみません、土曜日は家でパウンドケーキを弟と作る予定があるので厳しいかな、と」


 彼女の言葉に二人の顔が一気に明るくなった。


「パウンドケーキを作るなら日曜日に変更した方が良いな」

「そうやってパウンドケーキを食べたいという魂胆が丸見えだよ邦ちゃん」

「内藤さんだって同じ気持ちなのバレバレ。奥さんに内緒で全部食べたの遅かれ早かれバレちゃうよ」

「だ、大丈夫だよ。まだバレてないよ」

「この前、ご近所の奥さんが回覧板を持ってきた際に『店で今度出す予定のパウンドケーキ。常連の内藤さんは一本持って帰った』と言って出したから。きっと奥さんの耳にも届くよ」

「ちょっと、それは勘弁してくれよ!」


 慌てふためく内藤さんの様子が面白く藍は飲んでいたアイスティーを吹き出しそうになった。木原さんも同じように咳き込んでいる。


「パウンドケーキ、弟さんと作っているんですか……」


 コホンと咳払いをし、呼吸を整えた木原さんが独り言のように呟いた。どうやら会話するというより『独り言を言って相手の答えを待つ』という独特の間合いを持つ人のようだ。


「マスターに渡しておいてと頼んでいたのを、勝手に食べないで渡してくれたんですね! 使っているイチジクは田舎の祖母から毎年大量に届いて家で砂糖で煮詰めているんです」

「イチジク、絶品でした」


 滅多に何かを褒めそうにない雰囲気の木原さんから褒められ藍は何とも言えない気持ちになった。嬉しいけれどなんだか恥ずかしい気持ちも同居する不思議な感覚だった。


「あ、ありがとうございます。ただ、次は初夏限定のレモンのパウンドケーキになる予定です」

「レモンですか……。楽しみですね」


 マスク越しにボソボソと感情がほぼゼロな木原さんの口調だが、どうやらパウンドケーキの新作を本当に待ちわびているのが伝わってきた。


「イチジクも捨てがたいけれど、レモンなら暑くなってくるこの季節に爽やかで良いな。早速お店で提供するようにする、邦ちゃん?」

「そうだな、店先に貼り紙で宣伝しても良いけど、内藤さん的には客が増えるのは嫌嫌でしょう」

「確かに長時間居座ることが難しくなるな……。とはいえ邦ちゃん、このままじゃ商売あがったりだろう。趣味の延長みたいな店から脱却しないとな」


 将棋ブームで女性ファンが多く訪ねている千駄ヶ谷界隈は棋士の先生達が注文する「将棋めし」のお店が点在している。『二歩』は将棋めしを提供しているわけではないが、昭和レトロが流行っていることもあり人気を集める潜在能力を秘めていると藍も感じていた。


 けれど、店主であるマスター自身があまり乗り気ではないのは一目瞭然。商売っ気がなく趣味でお店をやっている雰囲気が漂っていて、家が青果店と自営業である藍は他人事ではなかった。


「もうこの年になるとさ、稼ごうっていう気がなかなか出てこないんだよ」

「邦ちゃん、やっぱりあるもんはあった方が良いに決まっているだろう。ここに店を出して何年になる? 俺にとってはいつまでもいられるから天国みたいだけど、一度も二人以上の客が入っているの見たことないぜ」

「何言っているんだい。ほら、今日は内藤さん入れたら三人のお客さんがいるよ」


 マスターの指摘に内藤さんはしまったという顔をし、藍は思わずお腹を抱えて笑ってしまった。


「そ、そうか。確かに客は三人いるな。でもよ、これで生活成り立っているんか?」

「店を初めて十年くらい。心配してくれてありがたいけれど、大丈夫。最低限の人としての生活費は確保できているから。これかれもこのスタンスで常連様に隠れ家として提供していきますよ。パウンドケーキの力でほんの少し女性客が増えてくれればいいかな、と密かに期待しているけどね」


 毅然とした態度で話す口ぶりから『マスターが生活に困窮している』というわけではなさそうだった。それは内藤さんにも伝わったようで頭を掻きながら『そうかそうか』と長年の心配が解決したような安堵の表情を浮かべている。


 自営業の家に生まれた藍は、何となく違和感を覚えた。生活に困窮している雰囲気は全く感じないが、それ以上に『ここで喫茶店を開かなければならない大きな理由』があるような気がしてならなかった。


「店が出来て十年経つか。前のオーナー夫妻が高齢で店を畳んで五年くらいそのままで心配していたら、ある日突然『二歩』まるっきり宣伝もなく店を始めていたのが邦ちゃんだったもんな。俺なんかちょうど退職した頃で暇を持て余していたからすぐに居座ってな。それを快く受け入れてくれたもんだから、このように昼過ぎからずっとほぼ毎日この席に座って本を読んだり新聞読んだりしているわけだよ」


 安心しきった内藤さんから思わぬ情報が飛び出してきた。藍は勝手に昭和末期か平成初期に店の歴史がスタートしていたと思っていたが、意外ににも21世紀から『二歩』が開店していたことに驚いた。


 とはいえ、おそらく前オーナーの時のまま店内の雰囲気は変わっていないのだろう。どう見ても、昭和の空気が漂い過ぎている。


「実はオーナー夫妻とは知り合いでね。後を継ぐよって口約束していたんだけどバタバタしてたら五年経ってしまって……」


 今だから言えることは年を取ればいくらでもあるのだろう。そんな類の話をマスターは今更ながら口にした。


「ということは、本来ならそのままスムーズに邦ちゃんの店になっていたということだったんだな。そういや、オーナー夫妻は今も伊豆に?」


 マスターはただ微笑んで内藤さんの言葉に返すだけだった。このままでは昔話に花が咲きそうだと察知し、藍は話題を変えた。


「ところで、日曜日に実行するということで良いでしょうか。私もその日なら都合がつくので作戦に参加できます」

「それなら話は早いな。アンちゃんと藍ちゃんがカップル的な感じでベンチに座って喋っているという設定にするか?」


 内藤さんの口から爆弾発言が飛び出し、藍は思わず悲鳴を上げそうになった。どう考えても、こんな格好をしている人がベンチに座っていた相手は警戒して近づくはずがない。


 しかも、木原さんが『自分は無理です』の一言もなく事の成り行きを見守っていた。藍の心配を察するように大人なマスターが助け舟を出してくれた。


「木原君はちょっと個性が強いから、他の子が良いよ。ユミちゃんは被害に遭っているからダメ出し……。そうだ、お嬢さんのお友達で誰か来れそうな子、いない?」

「友達、ですか……」


 マスターの『木原君は個性が強い』『女子高校生二人なら馴染む』という主張はしっくりきて、藍は反論する気もなかった。


「それなら、私の幼馴染を連れてきます! 事情も知っているので大丈夫なはずです!」


 勢いあまって口走ってしまったものの、正直美帆を口説き落とせる自信はなかった。

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