第16話 大作戦は念入りに

「ブログで発信するのは、思っていいる以上にけっこう敷居が低いですよ。慣れるまで、が大切です。ところで、キーボード操作は大丈夫ですか」


 氏家書店のレジ横で型落ちのノートパソコンを開いて美帆がブログについて氏家夫妻にレクチャーをしている横で、藍は数学の予習をしつつ発見されたクラウド一世のことに思いを馳せていた。


 人懐っこいハエトリグモのクラウド一世は、体に二つの白い模様があるのが特徴で日陰や人気のない場所が好きな蜘蛛だった。


 引っ込み思案な性格の為、昨年の秋の終わりから行方知らずだった。しかし、昨日のニンジン騒動の際にちょこんとニンジンの棚にいたのを良子が発見したのだ。


 まさかクラウド一世とは思わず、単に『クラウド一世の代わりとして捕獲しておこうか』と軽い気持ちでフィルムケースに入れたら見慣れた模様に気が付き、藍に確認してもらって『本物認定』に至ったのだ。


 現在はケースに入れ、彼女の部屋で休ませている。


 クラウド一世は小食だ。そのまましばらくケースにおいて観察していても平気だが、野生のカンが鈍らないうちに部屋に放し飼いをすることを考えていた。


「それで、できれば画像をアップしておくと店や商店街の雰囲気が伝わって読んでくれる人が『行きたいな』と思うようになります。デジタルカメラは持っています? それかスマートフォンはどうですか」

「カメラならあるよ。ちゃんとデジタルカメラな。それから次男がずっと使っている携帯はもう使えないからって、この前スマートフォンを勝手に買って押し付けてきたけど、電話以外は使ってないな。機能が多すぎて年寄りにはよく分からない」

「幸次がね、勉強しなきゃダメだっていうのよ」

「『年寄りだから』の一言で片づけるのはダメですよ。年齢なんか関係ありませんから。デジタルカメラが慣れているなら、まずはデジカメで撮った写真をパソコンに保存してブログに載せていくようにしましょう!」


 三人がカメラの話をしている横で、藍の頭の中はクラウド一世の後に浅草寺でのタイトル戦を考え始めた。運が良ければ、お琴のお師匠さんや商店街経由で前夜祭に出られることを今から祈っていたのだ。


 亀井晴也四冠のファンだとこの界隈で知られているのだから、『山際さんとこの藍ちゃんに行ってもらおう』『藍ちゃんなら前夜祭に行かせてあげたいね』なんてことになるのでは、と夢を膨らませていた。


(どんな服で行く? やっぱりキッチリと着物姿で出るしかない? 振袖じゃ派手過ぎるから訪問着がベターかな……)


「ねぇ、藍ちゃん。うちで一番のポイントってどこかしら?」


 気づかないうちに顔がにやけていた藍に、頼子さんが突然声をかけてきた。


「えっと、氏家書店の何ですか?」

「やだ、藍ったら話を聞いているかと思っていた! 氏家書店のブログ第一弾で写真を載せるならどこがいいかなって話になっていたの。で、常連さんである君に『書店の魅力的なポイント』を聞こうとしているわけ」


 古めかしい書店のチャームポイントと聞かれても、物心ついた時から頻繁に通っているため『魅力はどこか』と聞かれてもあまりにも近すぎていまいちピントこなかった。


「いつも来ているから、当たり前で家のような存在だからな……。それじゃ、時々来る美帆からみたらどうなの?」


 逆質問された美帆は一瞬戸惑いの表情を浮かべつつ、本音を語り始めた。


「正直に言うと、小さい頃は『いやに古いお店だな』としか思っていませんでした。でも、成長して私のように技術系の学校に進学し最先端技術を学ぶ人間からすると、こうした昭和的な雰囲気が残る商店街や個人経営の書店は心安らぐ場所になっている気がします。何というか、『ほっこりする』です」


 美帆の意見に嫌な顔一つせず頷きながら耳を傾ける氏家夫妻を見ながら、藍も自分の気持ちを氏家夫妻に伝えた。


「たしかに美帆が感じるのは今では絶滅している近所のおじいちゃんおばあちゃんのいる空気感が漂うお店、ですよね。あるのが当たり前すぎて逆になくなるなんて想像できないというか……。こういうお店が初めての人にとって『昭和にあった年配の夫婦が営む書店で立ち読みして嫌な顔をされて、タタキで追い払われる』を疑似体験できそうなお店、です」

「なんだよ、嫌な顔って。今どきタタキで客を追う払うなんていないよ。漫画の世界じゃあるまいし」


 氏家さんの言葉に頼子さんが口元に手を当てて大笑いした。どうやらツボに入ったらしい。


「今はビニールに入っているからコミックは立ち読みできないけど、昔は新刊が出たら近所の子ども達が立ち替わり入れ替わりやってきてね。だから、人気のある本は1冊しか新刊を置かなかったのよ。二冊、三冊と置いておくと全部クタクタになっちゃうから。だから1冊だけ店頭に置いて完全に読む専用にして。買いたい子は私に『下さい』って言う暗黙のルールを作ったの。懐かしいわね」

「そんなルールがあったんですか。うちのお母さんはどうだったんだろう」

「まぁ、想像にお任せするよ」


 そんな会話を聞いて、美帆はポンと手を叩いた。何かいいアイデアを思いついたようだ。


「下町のそうした昔話を織り交ぜると個性が出せますね! 北千住らしい雰囲気とか歴史とか前面に出して魅力をアピールする。あと、書店だけでなくこの界隈のイベント情報を紹介していくとファン獲得につながります」

「ファン?」

「例えば、東京の下町の商店街散策が好きな人がいるとします。情報を得るためにネットで検索して『今度イベントがあるから行ってみたいな』と。藍の家では定期的に週末にどういった焼き菓子を売るかを商店街のホームページに告知しています。常連さんがそれを見て『レモンのパウンドケーキ欲しいな』と足を運ぶわけです」


 氏家夫妻は納得の表情を浮かべて藍の顔をチラリと見た。月に二回ほど日曜日でも店を半分明けて焼き菓子やジュースを売っているが、回を重ねるごとに人が集まっているのを目の当たりにしているからだ。


「すぐに効果は出ないと思いますが、このまま何もしないよりは何か行動した方が盛り上がります。ブログも慣れれば『避けていたのが勿体なかった』と笑い話になりますよ」


 美帆は小さい頃から機械いじりをしたり、古めかしいものを「遺跡」と一刀両断するところがあり、その度に衝突してきたが高専に進学してからその考えを改めつつあった。ハッキリとは言わないが、どうも学校で伝統工芸とのコラボを積極的に行っている先生がいるようだった。


「温故知新、ていうことかしららね。私たちみたいな年寄りには出ない発想よね。ほら、藍ちゃん所によく来る若い女子大生くらいのお嬢さんたちも八百屋さんと、古い下町とか商店街が好きなんでしょう?」

「アキラが目を輝かせて話しかけているお姉さんたちですね! 昭和レトロが好きとか言っていますね。旬のものとかを教わりながら料理のレシピを考えるのが好きみたいですよ。あと自分のSNSに投稿して個性を出すみたいです。『下町好きな女子大生』と」

「アキラの奴、分かりやすいな」


 氏家さんの言葉に女性陣三人が大笑いした。アキラ自身はお目当ては自分ではないことを百も承知だが、いつも必死になってお洒落できれいな年上のお姉さんと話す機会を増やそうとしていた。その努力は店への利益と知名度アップにつながりつつあり、他の店へと流れていくため、地味にアキラの大きな功績になっていた。


「私は商店街の子じゃないですけど、父なんかは『東京都心の街並みがバブルから崩壊後もどんどん変わっていったけどこの辺りは変わらないから落ち着く』なんて最近は口にしています。でも、昔は新宿みたいな高層ビルがたくさんできればいいのに、なんて思っていたみたいですけどね」

「美帆ちゃんのお父さんが小学生の頃だと、ちょうど昭和の終わり頃かしら。新宿が副都心構想でどんどん街並みが変わっていく時代だったからね」

「ここら辺はまさに置いてけ堀状態だったけどな。こうして時間が経つと逆に個性的になって良かったとしみじみ思うな」


 21世紀生まれの藍や美帆にとって、昭和やバブルは歴史の中の世界だった。休日商店街にふらりとやってくる若い世代も同じように昭和もバブル景気も知らない人たちだ。 


「その個性をブログで発信していきましょうよ。愛用しているソロバンとか、店に残っている古い雑誌や本とかを紹介していくとか。あと、大量にある着物の端切れでブックカバーを作るのもいいですね」

「ブックカバーなら簡単に作れるわ!」

「ブックカバーに『ミステリー系にはこれ』とかテーマをつけてみるのも面白いな。時代劇ものなら、主人公が着ていそうな柄で作るとか」

「氏家のおじいちゃん、調子乗ってきた!」


 藍が久しぶりに『ため口』を聞くと氏家夫妻はニコニコ笑った。


「やっぱりため口が一番だよ、藍」

「そうよ、アキラちゃんも最近丁寧な言葉使いになって堅苦しいんだもん」

「そうは言っても、親しき中にも礼儀ありなので……」


 頭を掻きながら藍が言うと、美帆はあきれ顔をして言った。


「商店街の子で、保育園に行っている頃から毎日のように顔を出していて『第二の家』なのに敬語ってさ、見ているこっちからしたらすごく奇妙だよ」

「そ、そんな風に思っていたの?」

「そりゃ当たり前。店にいなければ、ここに来れば必ず藍がいるような間柄なのに中学生になったらいきなり敬語で話し始めるなんて。ずっとそばにいる人間からしたら奇妙以外の何物でもないよ」


 美帆の指摘に藍は驚くばかりだったが、頼子さんはその様子を面白そうに見守っていた。


「良いこと言うね! そりゃそうだよ。気落ち悪いったらありゃしない。スパッと言ってくれてありがたいよ。よし、そんな美帆ちゃん、おっと美帆先生のために俺はブログとやらを頑張るしかないな!」

「威勢のいいこと。それなら私も負けじと裁縫に勤しみましょうかね」


 せっかくここ数年藍が頑張っていた『氏家夫妻と敬語で話す努力』がたった数分のうちにもろくも崩れ去っていった。

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