第15話 いいこと尽くめの水曜日

「ただいま!」


 店にいる両親にいつものように声をかけると、手を上げて応えてくれた。今日はアキラが修学旅行で不在で、後片付けは三人でやることになる。


 ニンジンを袋詰めしながら良子がハキハキした声で聞いてきた。


「今日も美帆ちゃんといつものファミレスで?」

「ちょっと飲んで話をしてきただけ。アキラいないから早めに切り上げた」

「飲んだって、高校生でしょう」

「ウーロン茶、アイスティーを飲んだだけだから『飲んだだけ』で間違いはないと思うけど」

「減らず口叩いている暇があるなら、ちょっと手伝って。今日の昼間にテレビでニンジン健康法を紹介して、飛ぶように売れて大変なの」


良子が指し示す先には、ニンジンがいつも陣取っている棚が空っぽになっていた。


「凄いことになっているね。健康法ってどんなの?」

「単純明快にジュース。低速ジューサーで酵素を壊さずに体に取り入れられると紹介されて『医者知らずの生活を目指そう』って。リンゴを入れるとパワーアップするとかで、季節外れでお値段も高めのリンゴはもう完売したから」


 5月中旬のこの時期、八百屋でリンゴが目立つことはほどない。余程好きな人が買い求めるくらいで、仕入れも少ないが赤リンゴも青リンゴも全部なくなっていた。


「昼過ぎからドンドンお客さん来てね。ほら、スーパーよりも安いからこっちに流れてきているみたい。ただでさえアキラがいなくて今日は一人足りないのに、この騒ぎだから大変」

「SNSで話題になっていなければいいけど」

「そうね。昔はワイドショーとか見ている主婦が買いにきて、見ていないお勤めの人はその情報を知らないから、夕方にすごく混むことはほとんどなかったんだけどね」


 情報網が発達し、いつ何が「バズる」か分からない時代になっている。夕方から落ち着くなんて保証はどこにもない。


「ちょっと待ってね。お母さん、まだトレンドに『ニンジン』が入っているから仕事帰りのお客さんも店に寄りそうだね。油断できないよ」

「それに今日は水曜日。市場も休みでニンジンの在庫が底つきそうなのよ。昨日、お父さんが市場に行ったときに『ニンジンが取り上げられるみたい』て取引先の人から教えてもらったから、いつもより多めに仕入れたからなんとかなっているけどね」


 特売日でもないのにお客さんが次から次へと来て、店主である聖四朗はレジに立ち忙しそうだ。


「それじゃ、昼過ぎからずっとこの調子?」

「そう。テレビ放送中からずっとこんな調子。今朝新聞のテレビ欄を見た時に『ニンジン売れそうだな』と思ったからいつもより多めに準備したけど……」

 

これで藍がニンジンの袋詰めを手伝わなかったら青果店の中はクレームの嵐となるのは目に見えていた。


「荷物置いて手を洗ったらすぐに来るね!」


 藍はその言葉通り、二十秒後には店先に出てニンジンの袋詰めを始めた。呆れるくらい次から次へとニンジンを求めてお客さんがやってくる。


「ニンジン、まだ在庫あるの?」


 お客さんに聞こえないよう、藍は声のボリュームを下げて良子に聞いてみた。その言葉を受けて良子が何か言おうと口を開く前に、氏家のおばあちゃんがやってきた。


「日が長くなってきたけど『今晩は』かしらね。今日はアキラちゃん早くから家を出てもう京都に着いた頃かしら」

「必要最低限の荷物しか持たないで出て行ったから、周りの子が驚いていたと思うわ。それで、頼子さんもニンジン?」

「お昼のテレビ、私も見たわ。もちろんニンジンも欲しいけど、良子さんに折り入ってお願いがあるの」


 頼子さんの言葉に、山際親子は目を大きくした。


「お願い、ですか?!」

「やだ、大したことじゃないの。この前、学校の授業で使うからって藍ちゃんが古布を貰いに来てね」


 頼子さんの言葉に藍は慌てた。


「お、お母さん、忙しそうだったから言いそびれていたけど、今度学校の家庭科でグループ創作があってね。それで、和柄がいいじゃないかなって話になったんだ」

「それで、氏家さんのところに?」

「商店街のおばあちゃん達に聞きまわるつもりだったんだよ。幸運なことに一軒目でゲットできたわけ。幸次さんが仕事で着物の雑誌に関わるときに、勉強のために集めたのを保管していたんだって」


 必死に説明をする訝しげに良子は見るが、助け舟を出すように頼子さんが本題に入ってくれた。


「それでね、幸次に確認したらもうその端切れ布は必要ないから好きなようにして良いよって言ってね。結構な数、あるのよ。幸次も藍ちゃんも同じこと言っててね、着物物の端切れ布を使った小物が人気があるっていうから、今度店頭に並べようかなって考えているのよ」

「たしかに、うちでも丈夫な着物の布を使用したエコバックを持ってきているお客さんとか見かけますね。日曜日にお店を開けると、商店街散散策する人と接することが多くて。年齢も、30代とか20代後半中心に幅広い世代でお洒落な感じの人が多いですよ」

 

 下町散策が人気を集めてから、若い世代が週末商店街を歩くようになった。その中には懐かしさを思い出すように歩く老夫婦の姿もあるが、メインは若い女性たちだ。自分の好みのアイテムを長く愛用するスタイルが人気をあつめ、古布の再利用は自分の個性をアピールできるファッションの一つになっている。

 

「良子さんにお願いしたいのは、小物が仕上がったら商店街のホームページに『氏家書店で着物の布を再利用した小物を販売中』って載せて欲しいの。処分するにもお金がかかるし、それならほんの少し手間をかけて商品にした方がいいかなって」


 良子はニンジンの袋詰めをする手を止め、頼子さんにアドバイスを送る。


「きっと上手く行きますよ! 若い子達が勝手にSNSに、インターネットで紹介して評判が広まるかもしれませんよ。気になるモノや風景とか、スマホで写真を撮って載せるんですよ」

「そんな話を幸次も言っていたけど、本当かしら?」

「うちの日曜日に時々売る焼き菓子も、購入した人たちがインターネットで勝手に『北千住の八百屋さんで買いました』って紹介して、それを気になる人がまたやって来て、商品を購入するの繰り返しですよ」

「そうね、あれだけ藍ちゃんとアキラちゃんが丹精込めて作っているんだからお客さんから人気があるのは当然よね……。 パソコン勉強して情報発信した方がいいよ、年齢のせいにするなって幸次にしつこく言われているけど、今からでも遅くないかしら」

 

 氏家書店の次男、幸次さんは長男長女と異なり忙しい時間の合間に子どもを連れて実家に顔を出しては商店街を歩き回り挨拶する人だ。自分の故郷でもある『氏家書店』の浮上のきっかけを色々と考えている様子だった。


「ブログなら手軽に情報発信できますよ。日記みたいなものです。頼子さんの好きな、あの歌手もブログをやってコンサート情報だけじゃなくて、ペットや食べたご飯とか紹介していますよ」

「ついこの前、床屋のマリちゃんにも同じこと言われたわ。マリちゃんは私の三つ上だけどパソコンもやるし、凄いわよね」


 インターネットの力の大きさを体感している青果店の子ども達は、そのノウハウを商店街にレクチャーしようかと聖四朗と良子に提案していた。商店街が残り、活性化するにはSNSの力を利用しない手はない。


 とはいえ、世代間ギャップもあり年齢の高い世代ではまだ半信半疑のところが多いと二人は嘆いていた。そこに氏家商店が参加すれば風向きが変わるかもしれないと藍はドキドキしながら話を聞いていた。


「悩む前に、早速作って店頭に並べる直前まで来たら商店街のホームページとかで宣伝しましょう!」

「そうね。早速何か作ってみましょうね。時間はたっぷりあるし」

「何を作れば売れそうかは、ここにいる若者代表に意見を聞いてみて下さいね!」


 母親から強く背中を叩かれ、藍はいきなりアドバイザー的な役割を任された。


「えっ、私そういうの疎いですし……」

「お願い、藍ちゃん。お友達からイロイロ聞いてきて。和柄の小物で何が人気あるのか。私、裁縫は得意な方だから大抵のものは作れる自信があるわよ」


 胸を軽くたたき『任せなさい』と意思表示を示す頼子さんを前にし、藍は思ってもいないことを口にした。


「わ、分かりました。調査してきます!」


 そう答えてしまった彼女に嬉しい情報がまたしも舞い込んできた。


「ありがとうね。そういえば、浅草寺で将棋のタイトル戦が行われるのよ。藍ちゃんが大好きな亀井先生が持っている! でもね、食事を出す施設がないからお昼はどこから調達するか調整しているみたい」

「藍、大盤解説ってイベントに行ってみたらいいじゃない!」

「大盤解説、イベントかもしれないけれどイベントじゃないから……」

「違うの?」

「棋士と女流棋士さん二人が対局の流れを説明して、勝負はどうなるのか解説してくれるもの。指せない私が顔を出してもサッパリだよ」

「イベントと言えば『前夜祭』の準備も今から進めて行かないと間に合わないって話話もしていたわよ」


『前夜祭』の言葉を聞いて藍の心はときめいた。スポンサーや関係者以外にもファンに門戸を開いており、亀井晴也四冠が登場するタイトルの前夜祭のチケットはプラチナチケットで、応募者多数で抽選となっている。


「ぜ、前夜祭ですか!」

「そうよ。関係者とかプロの先生だけじゃなく、浅草の商店街の幹部の方が参加してね。浅草らしいおもてなしも披露するだろうから、私よりもお琴のお師匠さんの方が詳しいかもしれないわよ」

「そうね、先生に確認してみたら」

「いますぐ聞いてくる!」


 途中になっているニンジンの袋詰め作業を放棄し、家の中に入ろうとした矢先、良子に手を掴まれた。


「それよりも前に家のお手伝いです。分かったかな?」

「ちょっとだけ抜けさせてよ。お願い!」

「お師匠さんはいつでも連絡できるでしょう。でも、ニンジンを売るにチャンスを逃したら、八百屋さんの娘さんとしてどうかしら?ニンジンを補充したいから、レジ横から取って来て」


 母と娘のやり取りを見てクスクスと笑う頼子さんは、邪魔してはいけないとばかりに人参を手に取り『それじゃ、また』と会釈をしてレジへを去って行った。


 それを見届けるように良子は藍に耳打ちした。


「それに朗報がもう一つ。クラウド一世らしき蜘蛛を発見しましたよ」

「!?」


ニッコリと笑いながらエプロンのポッケから何かを取り出すと、そこにはフィルムケースの中にいる正真正銘の『クラウド一世』の姿があった。

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