第14話 素敵な噂話は聞き捨てならぬ

「で、本当に本物の亀井晴也に会ったの?」


 いつものファミレスで、美帆はいつも以上に大きな声で藍を問い詰めてきた。


 昨日起きた出来事を帰りの電車でメッセージを送信してから絶え間なく美帆から数えきれないメッセージが届いてきた。


 いちいち返事をしていると質問メッセージが矢継ぎ早に届くので、藍は夕飯を食べてからは全てスルーして現在に至ったわけだ。


「う、うん。会った」

「で、どうだったの?」

「何が?」


 藍のぶっきらぼうな返答に嫌気を差し、美帆はテーブルから身を乗り出して語気を強めた。


「だから、『私あなたの大ファンなんです。握手してください』とか『写真撮ってください』とか言えたの?」


 平日の午後四時半のファミリーレストランにはお客さんの姿はまばらで、美帆の独演会のような声が響いた。いつものパートさんが咳払いをし、美帆は慌てて椅子に座った。


 周囲をキョロキョロみて、探るようにこちらを見ているパートさんがいないか確認してから声を潜めて親友に声をかけた。


「ちょっと美帆、落ち着いてよ」

 

 そんな藍の心配をよそに、ウーロン茶を飲みながらまくし立てる。


「散々、亀井晴也の素敵さを聞かされてきた人間からしたら昨日の藍の身に起きた出来事をちゃんと説明受けないと納得できかねません!」


 政治家の国会答弁のような言い方に、思わず吹き出しそうになったが相手は全く笑う気配がなかった。どちらが憧れの人に会ってしまったのか見当もつかない状況に藍は面白くて仕方がなかった。


「なんだか私以上に興奮している?」

「もうね、そんな冷静でいられるのが信じられないから。あれだけ騒いできたのに。あ、分かった。顔を会せたら思ったよりもイケメンじゃなかったとか?」

「そんなわけないないから。あり得ないくらいイケメンでした!」


 ずっと『会いたい』と願っていた相手に思いがけないシチュエーションで出会ってしまうと拍子抜けをし、現実感がゼロで浮足立つこともできないことを身をもって実感していた。


 だからなのか、美帆にさえ上手く気持ちを伝えられない。さらに言えば、『アリグモと戯れている最中だった』という事実もあり、親友にでさえストレートに喜びを言えないもどかしさを感じていた。


「だけどね……」

「だけど?」

「現実じゃないような気がして、気持ちがフワフワしている。雲の上の上のような存在の人が、『歩いていたらやって来る』と知っていて歩いていたわけじゃないし」

「でもさ、千駄ヶ谷界隈だよ?」

「新宿御苑を通るなんて、他の先生はしていないよ。多分……。だから、いきなり現れて去って行ったから気持ちが追い付いていない」


 ポツポツと本音を語り始めると途端に美帆は静かになり、うんうんと頷き始めた。そして、良い考えを思いついたとばかりに自信満々な笑みを浮かべて口を開いた。


「藍の気持ちはよく分かった。それじゃあ亀井先生が新宿御苑を通るみたいに、他の先生も通るのか喫茶店のマスターと内藤さんに聞いて白黒つければいいじゃない」


 美帆の言いたいことも分かったが、まだ二人には『実は観る将で亀井晴也四冠のファン』ということを言わずにここまできた藍にとって、わざわざそんなことを聞くつもりはなかった。


「自他ともに認めるミーハーなファンだけど、やっぱりそう思われるのは嫌なんだよね。わがままかもしれないけれど、出来るなら隠したい」

「わざわざ千駄ヶ谷に行って、居場所も手に入れそうなのに将棋ファンを隠すのは勿体なくない?」


 そう言われても、マスターと内藤さんに『指せないのに将棋ファン』と知られるのが内心怖かった。


「二人の年齢を考えると。う~ん、マスターは完全に年齢不詳だけど、内藤さんみたいに七十代の男性からしたら『将棋ファン=指す』が当たり前でしょう。馬鹿にはしないと思うけど、ちょっとね」


 不安を口にすると、美帆は笑うどころか真剣な眼差しで親友を見つめた。


「そんな気持ちでファンやってきたの?」


 予想もしないくらいキツイ言葉が放たれた。


「そ、そんな気持ちじゃないよ。真剣に、真面目に応援してきたし」

「それなら、今までやってきたことに自信を持って! そうじゃなきゃこっちだって報われない」


 不服そうな表情を浮かべ、ウーロン茶を飲む美帆の姿はこれまでの付き合いの中でも藍が見たことのないものだった。


「……そうだね。亀井先生に対して失礼だよね」

「そうそう。指せる指せないなんて関係ないから。それなら野球をやらないけど熱心な野球ファンの私はどうなるのよ?」


 美帆は根っからのプロ野球ファンだ。老舗のチームを代々応援し、毎月後楽園界隈に出かけている。とはいえ、体育テストのボールの遠投も小中通じて女子で最下位と野球のセンスのカケラもない。


「野球はプレイしない人でもファンになれる雰囲気があるから良いよね。将棋は観る将の女性が急増していても、認知度を上げるにはこれからだよね」


 ストローを回しながら角ばった氷の穴を突きながら、美帆があっけらかんとした顔でアドバイスを贈った。


「それならさ、藍が『指せないけど将棋ファン』っていう道を作っていけばいいんじゃないの?」


 あまりにもサラッとした言い方に、飲んでいたアイスティーを吹き出しそうになった。


「軽く言わないでよ!」

「やっぱりね、新しい道を作るには若者の力が必要なのよ。だから、藍が恥ずかしがって『指せないから将棋ファンって言えない~』なんてモジモジしていたらダメなの。いつまでたっても、観る将の地位が向上しないよ!」


 強烈なアドバイスに耳を傾けつつ、真剣に『観る将』について考えてみた。


(確かに、隠してばかりじゃ『二歩』で過ごす時間も楽しめなさそうだし……)


「そうだね。マスターと内藤さんに隠さずに頑張って聞いてみるとするか」

「はい。それでは亀井先生との感激の対面についてもう少し詳しく教えてくれませんか?」


 声のトーンを嫌に明るく変え、美帆が芸能レポーターのようにマイクを向けるような仕草をして、さらなる情報を得ようとする。しかし、アリグモも絡んでいることから『これ以上何もありません』とばかりに手を振り、代わりにビックニュースを伝えてこの話題から逃れようとした。


「実はさ、残っていたイチジクのパウンドケーキを持っていったら、マスターが気に入ってね。それで、イチジクのパウンドケーキを何本か持参してお店で出したいって声かけてもらったんだ」

「あの、パウンドケーキ?!」

「そう。私とアキラが作っている。まぁ、ご存知の通り配合はアキラ主導だけどね」

「でもさ、アルバイト禁止でしょう? 藍の学校」

「そう伝えたら『勉強しつつ店番してくれる感じでいいから』だって」

「で、勉強場所も確保して適当に店番すればお金ももらえるの!」


 想像していた以上にマスターの提案した内容に喰いついてくるとは思わなかった藍は、苦笑いを浮かべた。


「どのくらい貰えるか分からないけどね。味噌ラーメンもついているし、勉強場所も提供してもらって、しかも場所が千駄ヶ谷だからお金は電車代くらいで良いと思っている」

「それじゃ、メガネ外して看板娘を目指したら? 美少女がいる喫茶店があるって聞きつけてプロ棋士の先生も顔をだすかもしれないよ」


 美帆の言葉にハッとした。


(すっかり忘れていた! 亀井先生に会った時、メガネ外していたんだ!)


「メガネを外すね……。まぁ、ちょっと考えてみようかな」

「おぉ、ついに藍の真実の姿が千駄ヶ谷で暴かれる日がくるのか! でも、噂を聞きつけて原宿とか新宿に常駐しているスカウトが来ちゃいそう」

「それね。本当に嫌だ……」


 小さい頃から家族で浅草に遊びに行くたびに『芸能プロダクションのスカウトです』という人たちから声をかけられ、名刺を渡されてきた藍にとって『スカウトマン』は最も毛嫌いする人々たちだった。


「あれ、確か亀井先生って人混みが苦手なんだよね?」

「そう言われているけど、本当かはナゾみたい。ただ、派手なことやワイワイ集まるのを積極的にする方ではないかな」

「それが本当だとすると『メガネを外した藍が喫茶店に来てもスカウトマンが入れ代わり立ち代わり入って混雑しているから避ける』で決まりだね」


 第三者的な立場からものを言う人の意見が的を当てることが多々あるが、美帆の指摘はまさに的を当てた意見だった。


 せっかく、憧れの人が自分の素顔を知っている可能性があるのに伊達メガネをかけないといけない事実に藍は大いに落胆した。メガネをかけてしまえば、周囲から容姿のことでギャーギャー騒がれることはない。しかし、外してしまえば視線を感じて辛くなるのが目に見えていた。


「ちょっと、メガネを外すのはやめておくか~。ギャーギャー騒がれるのは本当にイヤ」

「メガネをかけていても、パウンドケーキがあれば思いもよらぬ幸運をもたらすかもしれないよ。なにせ、あのイチジクのパウンドケーキは絶品だからね。スイーツ好きな先生が対局前に喫茶店に立ち寄ってパウンドケーキ一本購入するかもしれないし」


 イチジクのパウンドケーキのファンである美帆の冷静な分析に、相槌を打ちながら藍はアイスティーを一気に飲み干した。


「そうだね。前向きに考えるしかないかな」


 二人が席を立とうとしたのを見計らって、いつものパートさんが近づいてきた。


「将棋の話、してた?」


 二人は顔を見合わせた。盗み聞きされたのかと思いなんとか誤魔化そうとするも相手はベテランのパートさん。素直に『はい』と小さな声で返事をした。


「将棋好きなら浅草寺に行ったら。夏に将棋の試合だかなんだかやるみたいよ」


 思いがけない情報に、藍だけでなく美帆も息が止まるかと思うほど驚きの声を上げた。


「ちょっと、静かに!」

「す、すみません。夏とは7月ですか、それとも8月ですか?」

「お隣さんが浅草寺に勤めているんだけど、7月下旬にやるからその準備でもう動いているって言ってたのよ。ほら、大ブームの亀、なんとか先生が来るから仲見世もあやかって将棋にちなんだ可愛い商品を急いで準備しているみたい」


 藍はパートさんに見えないように小さくガッツポーズをした。 

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