第13話 パウンドケーキは秘密の味

「夕日の力で顔が見えにくいタイミングを見計らっていると思う、だって?」


 内藤さんマスターが丁寧に淹れたコーヒーが入っているカップをガチャッと乱暴に置き、藍の言葉を確認するように口にした。


「内藤さん落ち着いて。お茶、こぼれているよ」

「あぁ、ごめんよ邦ちゃん。確かに夕刻なら場所によっては相手の顔が見えにくい」


 転売して儲けが出そうなアイテムを持っている女子高生たちがいたことも大きいが、太陽の傾きを利用して犯行に及んだ可能性も十分にあることに頭を悩ませた。


「参ったな。けっこう相手は考えているぞ。日が伸びると相手も場所を変えるかもな」

「夏場は閉まるのが遅くなるけど、それまでに『限定ぬいぐるみ』がターゲットじゃなくなるかもしれないね、内藤さん」


 ゴールデンウイークを過ぎ、日没時間は遅くなるが新宿御苑の閉園時間は午後六時。七月に入れば夜七時になるが、それを待っていると犯人を探し出す空白期間を作ることになると男性陣二人は同じことを考えているようだった。


 出された味噌ラーメンを食べつつ、内藤さんの落胆ぶりを察知した藍は慌てて励ましの言葉をかけた。


「と、とりあえず一番大切なのは『限定マスコット』『近づいても気がつかない雰囲気』が大切かと思います。」

「近づいても気づかれない雰囲気、ね……」


 内藤さんは頭の中で色々とおとり捜査のシチュエーションを考えているようだ。角ばった顎にごつごつした手を当てている。


「くまのマスコットがついているカバンをベンチに置いたままにして、スマホで写真を撮るのに夢中な様子でいる……」

「隙を見せれば太陽の位置に関係なく相手は必ず『盗ってくれる』はずです」

「明るいなら余計にぬいぐるみの質をあげないとね、内藤さん」


 相手が隙だらけならサッと盗りにくるのは間違いない。あとは、明るいからこそ本物の限定マスコットに似せることが重要になってくる。


 昨日、スマートフォンで写真を送った時は褒めらえた端切れだったが、実物を見せた途端に唸り声を出した。


「これが本屋さんからもらった布か。すごく良いね」

「本物のぬいぐるみより上等じゃないの?」

「全部、奥様にお渡しします。限定マスコットの画像とユミさんのアドバイスを聞いてマスコット作成をよろしくお願いします」


 味噌ラーメンの残りを一気に食べ終えた藍は、着物に疎そうな内藤さんが布の手触りを確かめながら何度も褒めることに違和感を覚えた。


「内藤さんは着物、お好きなんですか?」


 藍の一言に内藤さんはハッとした表情を浮かべると、照れるように頭を掻いた。


「いやね、俺のお袋が着物好きな人でね。大層なのは買えないけど、厳しい家計の中でもお金を貯めて一着だけ俺が見ても濃紺のいい訪問着を仕立ててもらってさ。だから、こういう着物の布を見るとお袋を思い出しちまうんだ」


 今の七十代の親世代となると、生まれは大正末期か昭和初期くらい。着物と洋服のどちらも愛用していた時代だから、着物好きなご婦人がいてもなんら不思議ではないと彼女は感じつつ、お母さんの思い出を重ねている内藤さんが素敵だなと藍は素直に思った。


「今では洋服ばかりだからね。和服を持っているなんてお嬢さんみたいなお琴とかか習っている人か、そうだなこの街に馴染みのある棋士くらいか」


 マスターは自分でいれた紅茶をソーサを持ったままの状態で一口飲み、そう呟いた。藍は『棋士』という言葉を耳にし、新宿御苑での出来事が脳裏によぎった。


 将棋会館でバッタリ出会う。または将棋まつりなどのイベントで顔を合わせる。ここ数年、恋焦がれていた亀井晴也四冠とご対面するシーンを数え切れないほど考えてきた彼女にとって、「蜘蛛と戯れている時」に念願の対面を果たすとは予想を遥かに超えたシチュエーションだった。


(あんなの想定外だよ~。完全に『蜘蛛好きな女子高生』認定された……)


 蜘蛛の知識がない人が判別不可能なアリグモを、彼は瞬時に『アリグモ』と見分けたのだからかなりの知識があるのは確かだった。けれど、『蜘蛛好きな女性』に理解を示しているとは思えなかった。


(メガネを外していたのが不幸中の幸い。イベントで顔を合わせる時は、必ず眼鏡をかける!)


 そんな彼女の自問自答をよそに、男性陣二人は作戦会議を行っていた。


「とにかく、良い生地は手に入ったから、後はうちのばあ様次第。孫娘のために燃えているから大丈夫だろう」

「私も新宿御苑に足を運んで気になる奴らがいないか調べるよ」

「邦ちゃん、そんなことしたら商売できないだろう」

「なに、こんな店に来るのは物好きぐらいだからね。」

「その中に、お嬢ちゃんも入ったってことかな?」


 突然、内藤さんに話を振られた藍は訳も分からず頷くと、それを見たマスターが、突拍子もないことを提案してきた。


「そうだ、時間がある日はここで店番してくれないかい? 味噌ラーメンと少々のアルバイト代込みで」

「勉強と部活に忙しい年頃だよ。あと、デートとか。その前にアルバイト代を出せるせるのか、邦ちゃん」


 失礼なことを言う内藤さんに怒るどころか、余裕の笑みを浮かべて首を振るマスターは『アルバイト代を出せる根拠』がある様子だった。


「これがあれば瞬く間にお客さんが来るようになる」


 マスターが指さした先には、店に入ってすぐに渡したイチジクのパウンドケーキがあった。いつの間にか一切れをお皿に乗せて、紅茶のお伴として食べていたようだ。


「なんだよ、もう邦ちゃん食べていたのか!」

「田舎のイチジクを砂糖で煮詰めたなんて、ハズレるわけないと思ってね。これは日本橋のデパ地下に並べても絶対に売れるよ」

「そんなの聞いたら、家に帰ったもばあ様に見せないで隠れて独り占めしたくなるよ」


 山際家のパウンドケーキがべた褒めされ、悪い気がするはずもない。藍は嬉々として家の青果店でも人気があることや、季節感を出したクッキーやパウンドケーキを売っていることを話した。


 それを聞いた内藤さんは、マスターに千駄ヶ谷特有のグルメ事情を語り始めた。


「紅茶やコーヒーのお伴にもいいけど、ここは千駄ヶ谷。やっぱり将棋めしの一つになったら売り上げが爆上がりになるよ。味噌ラーメンとパウンドケーキを出前したら、先生方も選んでくれるんじゃないのか。ほら、タイトル戦でもおやつが大きく取り上げられているし、近所のコンビニじゃあ対局前に先生方がスイーツとかゼリーみたいなのを買っていると聞くしな。頭使うから、糖分補給しないといけないし」


 紅茶を一口飲んでから、真剣なまなざしで内藤さんに心の内を打ち明け始めた。


「将棋めしに選ばれるのは、『食事のレパートリーが豊富』『ウナギや寿司の老舗』が多いから喫茶店のここじゃ無理だよ。それに出前に対応できる店じゃないと、あちらさんの要望に応えることはできない、第一、店の名前が縁起悪すぎる」


 完全なる観る将である藍は将棋のルールは疎いが、将棋めしに関しては色々調べて詳しく、マスターの言い分はよく分かった。


 喫茶店が将棋めしを提供しているところは関東将棋会館でも関西将棋会館もなかった。


 そもそも『二歩』は彼女でも知っている初歩的なルール違反だ。毎日自分の人生を賭けて将棋をしている棋士の先生が『二歩の味噌ラーメンをお願いします』と頼むことはまずないだろう。


「でもよ、そのパウンドケーキがあれば少しはお客さんがきてくれるか。口コミで広まれば、甘いもの好きな先生方来てくれて、将棋ファンが来店すると良い連鎖になるかもしれないしな」

「そんな上手いこといったら良いけど、まぁこのパウンドケーキは秘密兵器だね」


 軽い気持ちで持ってきたパウンドケーキが思わぬ方向へと動き出した。そして、ここでアルバイトをする話まで持ち上がってきたのだから大変だ。そもそも、藍の学校ではよほどの事情がない限りアルバイトは禁止されている。


(ここでバイトして、亀井先生がふらりと立ち寄って、何かが始まるとかあったら映画みたいで素敵だけれど……。だけど、ムリ!)


「マスター、大変申し訳ないのですが学校ではアルバイトが禁止されていまして」

「そうなの? それじゃあ、勉強しに来て常連客になったけど忙しい時は店の手伝いもする、という感じで構わないよ。給料は出すから」


 申し出を断るも、マスターはスルリとかわして『新しいアルバイトの形』を提案してきた。


「俺も手伝いするぜ」

「内藤さんにはお給料出さないから」

「そんな冷たい子と言わないでよ! 邦ちゃん、それじゃコーヒーを2杯分で手を打とう」


 二人の漫才のような会話を聞きながら、将棋の街で自分の居場所を作ることは悪くないと藍は考え直した。


(亀井先生とまた会えるかもしれない。さらに、家のパウンドケーキが評判を呼んで山際青果店が有名になり、北千住の商店街が盛り上がる……)


 パウンドケーキのおかげで、夢はどんどん広がりを見せそうだとポジティブ思考全開になった。


「そ、そこまで言うなら時間がある時にお店で勉強しながら店番しますよ」 

「そうこなくっちゃ。実家の店の名前がネットを通じてビックリするほど有名になるかもしれなよ」


 マスターは藍の心の内を見透かしたかのような言葉をかけ、手慣れたようにウィンクを見せた。


 それが全くキザでもなんでもなく『普通』であることを認めてしまうような、自然さがあった。


「あと、預かっているパウンドケーキはちゃんと木原君に渡しておくから」

「ありがとうございます。今日は、お店に来なかったんですね」

 

 自分の指定席に座っている内藤さんはコーヒーに角砂糖を一個追加で入れ、残り半分をチビチビと飲みながらお昼の出来事を語り始めた。


「今日はアイツ、俺が来るときにちょうどラーメンを食べ終えて帰る頃でさ。行き違いしちまったんだよ。俺はいつも昼飯を食べたら来て、夕方までここにいるんだけどさ、アイツは遅い昼食を食べに午後一時半過ぎに来て、俺より遅くまでいることが多いかな。まぁ、毎日ではないけれどな」


 内藤さんの話を聞いて、藍はまずそんなに長時間も毎日店に滞在していることに驚いた。そして、木原さんも負けじと長時間居座っていることに呆れてしまった。


「木原君も学生ですし、色々と忙しいようだけどこの店が何故か気に入っているみたいでね」


 そういうマスターの顔はどこか誇らしげで、自分の小さな城に自信を持っているようだった。

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