第9話 和柄の着物を探せ!

「こんなに和柄の布が!」


 月曜日の午後四時半。部活動のない今日は学校が終わったらすぐに電車に飛び乗り北千住へと戻ってきた。これも全て、着物の端切れ探しをするためだ。


 昨晩、内藤さんとマスターから届いたメッセージにはどちらも「地味目の藍色が望ましい」と明記されていた。そして、今日はまさに探偵見習いとしての第一歩を踏み始めていた。


 最初の訪問先としてリストアップしたのが、小さい頃から毎日のように顔を出している『氏家書店』だった。

 

 店主であり『氏家のおじいちゃん』こと氏家海彦に和柄の布の端切れはないか聞いたら、押入れからドサッと持ってきたのだ。


「これな、次男が会社で着物特集の本か雑誌を担当する時に勉強するためにアチコチから端切れ集めてきて。そのまま実家に丸投げだよ」


 強面の氏家さんが布をポンポンと藍の前に置いた。そんな扱いをしてはいけなさそうな見るからに『お高い』生地ばかりである。


「買ったらすごく高いけど、会社と長い付き合いがある呉服屋さん数軒から端切れを頂いたみたいでね。学校の家庭科とかで使うの?」


 書店の癒し的な存在、『氏家のおばあちゃん』こと頼子が店と部屋を仕切る暖簾からヒョイと顔を出してきた。


「そ、そうなんです。日本の伝統ある着物の端切れで小物を作ろう、と。着物の生地をどこで買えばいいのか分からないクラスメイトもいて……」

「浴衣くらいなら着るだろうけど、お茶とか舞踊とか藍ちゃんみたいにお琴を習ってないと着物は身近なものではないからね」


 和柄の着物を見つけるための口実やセリフも考えてきた藍の口からは、スラスラとウソが出てくる。


「お琴の先生を筆頭に商店街に訪問着で着物を愛用している人もいるし、近所の人に声かけてくるよ、という流れで今ここにいます」


七十代の夫婦は孫娘の話に耳を傾けるように静かにうんうんと頷いた。その様子を見て、少し後ろめたい気分になった。


「どんな色がいいかしらね」


 頼子さんが独り言のように言いながら、段ボール箱いっぱいに入っている端切れを次から次へと手に取る。


「無難に、藍色とかかがいいなと思っています」

「それならこれなんかどうだ」


 ぶっきらぼうに氏家さんが取り出したのは藍色一色の薄手の生地だった。


「麻のちぢみで夏用ですね。ちょっと地味すぎるかな……。柄物はないですか。青系で柄物の方が皆にウケるかと」

「ウケル?」


 普段の会話で使っている言葉を口にしたつもりが、頼子さんには伝わらないことに気がついた藍は慌てて説明した。


「良いと思われるという意味です」

「柄物で青系となると、浴衣が一番かしら……。藍ちゃん、これとこれなんかどう?」


 頼子さんがそっと手のひらにのせた藍染の浴衣生地は麻の葉模様と蜘蛛の巣模様だった。


(蜘蛛模様! これならきっと上手くいく)


「麻の葉模様は夏向き。それに、蜘蛛の巣や蜘蛛は吉兆図柄なのよ」

「粋だね!でもよ、こんなの今の若い子が選ぶか」

「氏家のおじいちゃん、この藍染なら年齢関係ないです。みんな納得しますから」

「金糸に鶴とか派手目なものが好きな子もいるだろうから、持っていったら」

「本当ですか! でも、これ売ろうと思えばいくらでも売れますよ」


 この品質の端切れなら、お金を出して欲しがる人がいると藍は分かっていた。


 趣味レベルから本職にしている人と様々だが、着物の端切れを有効活用し、ぬいぐるみを作ったり、服を作って売る人もいる。


「こんな布切れがか?」

「品質も良いですし、個性的な端切れ好きな人もいます」

「何に使うっていうんだい」

「パッチワークや人形やぬいぐるみに着物とか浴衣を作っている人いますから」

「なるほどな……」


黒縁の眼鏡を外し、端切れをまじまじと見つめる氏家さんは藍の話に半信半疑の様子だった。


「たしかに、浅草の呉服屋さんとかでも店先のワゴンに端切れコーナーがあるわね」

「今はインターネットで売買したりもできるので、遠方のお客さんが東京に来なくても買える時代です」


 藍が口にした『インターネット』の言葉に氏家さん顔が少し暗くなった。


「インターネットなんぞ、俺の商売敵そのものだぞ」

「あなた、そんなこと言って。時代の流れなんだから仕方がないでしょう」

「すみません、余計なこと言って」

「いいのよ。藍ちゃんは何にも悪くないから。でも、端切れがそんなに人気があるなら、物は試しに置いてみようかしらね」

「少しでも足しになるなら売ってみるか。でもよ、どうやって宣伝するんだ?」

「商店街のホームページやSNSで告知するのがいいですよ。営業情報とかチェックしてくる人、けっこういますから」


 単にホームページを更新するだけでは人は来ない。いかにSNSを駆使して宣伝したり拡散してもらえるかが大切になってきたかを若者の一人として説明した。


 藍の言葉に頼子さんは大きな目をさらに見開いた。


「そうね。この前の商店街の集まりでも話題になっていたの。藍ちゃんとかアキラ君とか若い子に今度話を聞きたいねって」


 『頼子さんが九州からこの商店街に嫁いできたときは商店街一の美人若妻として名を馳せた』と何回もお母さんから聞かされて育ってきたが、今でも九州美人の名残を残すその容姿に時々藍でさえ見入ってしまうことがあった。


「頻繁に通っている人もいるくらいです。あとスカイツリーと商店街のコラボ写真を撮っている人もいます」

「写真を撮ってどうするんだい。今どきで印刷することもないだろうし」

「自分のブログとかSNSに投稿するんです。それを見た人が『あの商店街に行きたいな』と思ってくれる」


 商店街でもインターネット対策を強化し、藍の母親である良子も対策担当の一人として携わっていた。


 高齢の店主の中には昔ながらの商売をしていればいいんだと主張する人もいる。しかし、時代に合わせた戦略を考えなければ生き残ることはできない。


 昭和的な雰囲気を残しつつ、消費者の心をつかみ内外にアピールする活動を今後はさらに増やす予定だった。 


「次男も言っていたの。下町に特化したガイドブックとかすごく売れ行きがいいんですって」

「うちではそんなもの置いても売れやしないぞ。そんなの嘘なんじゃないのか?」

「ここ、下町の商店街だから住んでいる人は誰も買わないとおもいますけど……」

「とりあえず、今度この端切れを店頭に並べてみましょうよ」


 頼子さんが氏家さんの顔を覗き込み確認するように声をかけた。


「お前の、好きにすればいい……」

「それじゃあ、さっそくお母さんに伝えてホームページとかSNSで告知するようにしますね。値段も決めておいてください。私も端切れがどのくらいで売られているか、調べておきます!」

「ありがとうね、藍ちゃん」


 女性陣の会話を黙って聞いていた氏家さんがおもむろに口を開いた。


「そういや将棋みたいな伝統分野でもインターネットが絡んでいるみたいだしな。テレビでこ取り上げらていたけど」

「藍ちゃんはそれで応援している先生の情報を集めているんでしょう?」

「あと、毎月氏家書店で購入している雑誌も貴重な情報源です」


 ここは藍が亀井晴也と出会った大切な場所でもあった。


 中学二年生の春、いつものように遊びに来た彼女は将棋雑誌を偶然目にし、表紙を飾っていたメガネ男子に心を奪われたのだった。


「そうそう、この前の日曜日に千駄ヶ谷に行ったんでしょう。どうだったの?」

「日曜の集まりの時に良子さんから聞いたよ。勇気を振り絞って出かけるきになったみたい、ってな」

「勇気を振り絞って、お母さん大袈裟だな……」

「いくらでも行ける距離だろう。千駄ヶ谷なんて」

「高校からならもっと近いしね」


 マシンガンのように老夫婦から質問攻めを喰らった藍は、何も言うことができずただ愛想笑いを浮かべるしかなかった。


(聖地に行って『探偵見習いになることになりました』なんて口が裂けても言えない!)


「あいにく、お目当てのアクリルスタンドは私の目の前で完売になってしまいまして……」

「アクリルスタンド?」

「どういうものなの、藍ちゃん」


 口で説明するよりも写真で見せた方が分かりやすいと、店先にある少年マンガ雑誌を一冊手に取った。


「この漫画、少年系の雑誌に連載されていますけど女性から絶大な支持を集めています」

「映画も凄い人気なのよね。前ものね、上映のタイミングに合わせて出たムック本を買う女性が何人も来てね」

「そうだったな。あれには驚いた」

「で、その漫画の読者プレゼントの一つがこの『アクリルスタンド』です」


 巻頭カラーのページに今週のプレゼントがずらりと並んでいるなかに、イケメン脇役のアクリルスタンドが大きく載っていた。


「これが、か……」

「ほらあなた、昔で言うところのブロマイドみたいなものかしらね」

「そうだな。浅草のブロマイド屋の進化版か」


 現代版のブロマイドを理解させることに成功した藍だったが、やはり将棋とアクリルスタンドが合致しない様子の二人からまたもや質問攻めにあった。


「でもよ、将棋でなんでアクリルスタンドなんだ?」

「藍ちゃんのお気に入りの先生がアクリルスタンドになっているの?」

「しかし将棋の先生がアイドル扱いになっているとは、驚いたな」

「まぁね、亀井先生なら何となくわかるけど。他の先生のもあるのかしら。それ、本当に売れるの?」


 真剣勝負の世界で生きている将棋棋士が、アイドルや人気キャラクターと同じように『アクリルスタンド』になっている。年配の方は少なからず衝撃を受けるかもしれない。


(確かに、二人の世代で将棋といえば重厚感あふれ過ぎているアノ古山大先生だもの、仕方がないか……)


「若手の先生を中心に商品化されたんです。女性ファン、かなり多いので飛ぶように売れていますよ。指さないけれどお気に入りの先生を応援するファンを『観る将』と呼ばれています」

「ミルショウ?」

「ミルは観戦の観、ショウは将棋の将です」

「指さないけれど将棋ファンか……」

「そういえば、この前テレビで亀井先生がタイトル戦で頼んだ食事やおやつが紹介されていたの見たわ」

「食べたものまで取り上げられるなんて、すごい時代だな」

「ネットニュースでも話題になり、おやつは即日完売だったり問い合わせ殺到ということも珍しくないですよ」


 自分たちの知らない間に将棋界が大きく変わっていることを痛感した氏家夫妻は、藍の話にただただ驚くばかりだった。


「結局、アクリルスタンドは買えなかったので亀井先生の扇子を購入して終わりました」

「それでも、扇子が手に入ったのは良かったわね」

「やっぱりよ、棋士といったら扇子だからな!」

「そういえば昔、よく流しの人が扇子をバチンバチン扇ぎながらこの辺りで指していたわね。懐かしいわ」

「ああ、プロ顔負けのアイツか」

「流し?」

「真剣師っていってな、賭けをして稼いで生活していた。もう今じゃ絶滅した」

「賭け事ってイメージが悪いでしょう。金額によっては違法で警察沙汰になるし」

「南千住や北千住界隈の公園や道端でよく見かけたな」


(いつ時代の話だろう……。やっぱり昭和?)


「花火大会とかお祭りの時にフラッと現れて、滅法強いのがいたんだよ」

「本当に、どこからともなく来て風のように去っていく人だったわね」

「この辺りの腕自慢を涼しい顔して軒並み倒してたな」

「それって、昭和の頃の話ですか?」

「そうだな……。いや、平成に入って少し経った頃まではこの界隈に来ていたぞ」

「ものすごい色男でね。いつもその人がくると商店街の奥様方が急いで化粧しておもてなしするくらいの」

「みんなアイツにお熱だったもんな」

「えぇ! それくらいの美男子なら見たかったです!」


 藍の言葉に頼子さんは大笑いした。


「藍ちゃんはハンサムさんに弱いのね。陰のある色男だったわよ」

「そうだな。時代劇に出てきそうな過去を持つ謎の男って感じ」

「ふ~ん。過去を持つ謎の男ですか……」


 プロ棋士並みに強いけど素性が謎。しかもイケメン。


 物語の主人公のような人がかつてこの辺りに出没していたことを想像すると、昭和にタイムスリップしてその人の顔を拝んでみたくなった。 

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