第8話 日曜日は特別な日

 まち歩きをしている人たちの合間をすり抜けるように、商店街を突き進み藍が我が家でもある『やまぎわ青果店』の勝手口から居間に転がり込んだのが四十分前のことだった。


 日が傾いているが商店街を行き交う人はまだ減らない。


 昔は日曜日は静まり返っていたそうだが、藍が物心ついたときから周辺の商店街は曜日に関係なく人が集まるようになっていた。


 商店街の中にチェーン店やコンビニエンスストアも進出して、一年中人が集まりやすい状態になっている。


 さらに、『やまぎわ青果店』のある商店街は全国的に姿を消している下町や商店街の雰囲気を味わえるため、度々テレビでも取り上げられるようになり観光スポット扱いになっていた。


 そんなわけで、藍の家でも観光客向けに数年前から奇数週の日曜日の昼頃から夕方まで観光客相手にフルーツジューズや傷みかけた果物をふんだんに使った焼き菓子を販売するようになっている。


 「いらっしゃい! もう終わりを迎えるイチゴをたっぷり練り込んだパウンドケーキ、北千住、いや東京でもここでしか売っていないよ!」


 自室の机に亀井先生の扇子を大切においてから居間に戻った藍の耳に、日よけテントの下で声を張り上げている店主かつ父親である聖四朗の声がBGMのように入ってくる。


 それを聞きながらボリューム感満載の一日を回想していたが、それを打ち破るように弟のアキラが声をかけてきた。


「姉ちゃん、俺が考えた新作。イチゴとバナナのムース」


 今でゴロゴロしている藍にプラスチック容器を差し出した。


「もう少しお洒落なコップとかなかったの?」

「見た目より中身で勝負だよ」

「味見すればいいのね」


 ついさっきまでファミレスで飲み放題サービスを満喫してきた藍は水分補給するつもりはなかった。しかし、満面の笑みで味を確かめたがっている弟を前にして申し出を断るのは忍びなかった。


(仕方がないか・・・・・・)


 心の中でそう思ったのを瞬時に反省するような味が口の中に広がった。


「な、なにこれ、めっちゃ美味しいんだけど!」

「だろ!熟して店頭に並べないイチゴとちょっと固めのバナナに牛乳を入れてミックス。好みでシナモンを入れたり、豆乳にしてもOK」

「今日、さっそく売ってみた?」

「限定で十杯。あっという間に完売した。SNSで投稿されたみたいだけど、来週はイチゴが入るとは思えないし今日明日までかな」

「リアルで季節商品だからね。文句言われても仕方がないよね。それが『ウリ』と強調するしかないか・・・・・・」

「それを前面に出して『週末来ないと分からないフルーツジュース』って名前で売り込もうか」

「それ、いいね!」


 二人でワイワイ騒いでいると、商店街の婦人会の会合に参加していた母親の良子が戻ってきた。


「あれ、藍は帰ってきていたの。で、千駄ヶ谷はどうだったの」

「いろいろあり過ぎてパンク状態。さっきまで美帆の助っ人していたし」

「なんだよ、また美帆姉ちゃんに勉強教えていたのか?」

「課題が山積みでね。まぁ、この二週間は顔を合わせていなかったから良い機会だったけど」

「それで、無事に美帆ちゃんは課題を終わらせることができた?」

「まぁ、助っ人の力で全部片づけてきたから。安心してください」

「時代劇で言うところの『藍先生、お願いします』状態だね」

「今の時代、アキラみたいに時代劇マニアの中学生なんてレアだよ」

「この歴史ある北千住に生まれて育った人間として、時代劇の知識を持つことは当たり前だと思っている」


 アキラに時代劇愛を語らせると長くなると察知した良子は、いつものように話を巧みに変えた。


「外でお父さんが忙しそうにしているから手伝ってきて、アキラ」


「はいはい、分かったでござる」


 夜が近づこうとしている中、商店街を歩く人の流れはまだ続く。チャンスと見る父と息子の声が商店街に響いた。


「連休明けだけど、昨日も今日も人が来ているね」

「ほら、テレビで紹介されたから『電車でちょっと行ってみよう』ていう人がきているみたいでね」

「連休中は遠いところで、普段の土日は近場に出かける、か」

「昔みたいに『日曜日はゴーストタウン化している』じゃないのよね。せっかくお客さん来るから店を少し開けないとガッカリするじゃない」


 親が企業に勤めしている同級生は、連休になるとどこに出かけるかとよく話をしていたことを思い出した。家が自営業だと世間とは同じにいかないことを嫌というほど経験している。

 もちろん、山際家も完全オフデーがあれば出かける。

 浅草や花やしきそして上野界隈に出かけるのが定番だ。もっと身近なら南千住の汐入公園で蜘蛛探しをしたりと、休日も含めて行動範囲は半径四キロメートル以内。他の子からしたら『散歩コース』かもしれないが、藍もアキラも当たり前のこととして受け止めていた。


「働きアリみたいに働いているから二人とも。サービス精神も大切だけどやっぱりしっかり休んで欲しいな」

「休みっていっても変な感じがして逆に疲れるから。だから、今日みたいに焼き菓子とかジュース売ってのんびり過ごすのが丁度いいのよ」

「あれだけ人が集まって、のんびりね・・・」

「今日はアキラの考えたミックスジュースが大当たりしたから」

「ホント、天才的な味覚の持ち主だわ」

「それとパウンドケーキのリピーターさんが増えてね。おばあちゃんから大量に送られてきたイチジクで作った甘露煮をドサッと入れたのが大評判」

「それ、美帆もお気に入り」

「お手頃価格というのも人気の秘訣だけどね」


 婿養子である父聖四朗の実家は北関東の里山の集落にあり、田舎そのものの田園風景に囲まれ、各家の庭先には定番の栗や柿、梅の他にイチジクの木が植えられていた。毎年秋になると消費することができないイチジクや栗が大量に送られてきた。


『青果店にこんなもん送ってくるなんてな』


 聖四朗は毎年、言葉とは裏腹に嬉しそうに言うのが山際家の定跡だった。


(早く夏休みになっておばあちゃんのところに泊まりに行きたいな……)


 田舎の夜は早い。夜八時を過ぎれば漆黒の闇が広がり手を伸ばせば届きそうな満天の星空は都会では味わうことができない体験だ。東京の子が田舎に泊まるのは退屈そうに思われるが、藍にとっては『超ド級のジョロウグモ』に出会える絶好の機会とあって小さい頃からの楽しみだった。


 それに北千住界隈ではお盆といえば七月中旬だが、全国的には夏休みの八月中旬。祖父母の家に泊まればその土地のお盆の風習を体感できた。


「もうさ、売る側としては平日と休日の区別がつかないよね」

「昭和はキッチリ日曜日はお休みってなっていたけど、いまじゃ土日仕事で平日休みという人もいるでしょう」

「たしかにね。日曜日に向けてすきま時間に焼き菓子でも作るか」

「まっ、メインはアキラで藍は助手だから」

「優秀な助手でしょう!」

「アキラは自分の将来の夢と関わっているからいいけど、藍は違うでしょう。もう高校二年生だから学業に本腰入れていいんだからね」


 母親の一言に藍は静かに頷いた。アキラは跡継ぎであり、食関係の仕事に進みたいと考えている。修行してから『やまぎわ青果店』を引継ぎ、スイーツや総菜もゆくゆくは扱いたいと青写真を描いていた。


 一方、藍は進路に悩んでいた。とりあえず高校では理系志望コースにしたが蜘蛛の専門家に未来があるのか正直悩ましいところがある。理系で他の道なら蜘蛛の糸を参考にした強靭な繊維開発も気になる。


「生態系か繊維工学系かな」

「蜘蛛博士になるんじゃないの?」

「蜘蛛愛は半端ないけど、将来性あるか心配」

「いまさら何言っているの。山際のお婆ちゃんが生きている頃から蜘蛛ばかり気にして公園アチコチ動き回っていた子が『蜘蛛博士』にならないで何になるの」

「そうだね、蜘蛛愛を貫くか。でも繊維工学でも蜘蛛の糸は大注目されているから。すごく強い糸なんだよ」

「へぇ~、そうなの」


 母の進路について軽く話し合っていると、外で片づけをする音がした。どうやら今日の商いは終わったようだ。


「見事に全部売り切ったぜ!」

「凄いね。でも次回に向けてまた焼き菓子作らないと。お姉ちゃん、手伝うよ」

「次はねレモンが良いんだって。オレさ、いつもくるお客さん数人からリクエストもらった」

「ちょっとそれ、我がままじゃない?」

「まぁまぁ。初夏で爽やかな柑橘系は季節感があるから人気集めるよ」

「確かにそうかもしれないけれど、お父さんもアキラもお客さんの意見ばかり聞いちゃうところがあるからな」

「仕方がないだろう。商売人なんだから」

「はいはい、そこまでにして夕飯にしましょうか。」


 藍が時計を見ると、もう夜の七時になっていた。日曜日に店を開けると平日よりも遅くなることが多々ある。


「クラウド二世、窓際の壁にいるか確認してくる」

 

 立ち上がって部屋へ向かおうとした彼女を、聖四朗が引き留めた。


「そうだ藍。昼間に廊下でハエグモ見つけた。もしかしたらクラウド君かもしれないが、父さんじゃ見分けがつかないから分からないな」

「ちょっ、それ早く言ってよ!」

「クラウド君は小さいからね。お父さんから『母さん見てよ』と言われて振り向いたときには姿を消してね。結局、どこに行ったのか分からずじまい」

「気温も上がってきたし、ハエが出そうな場所に移動しているんじゃないの。店先の方にとか」

「明日、店を開ける前に必ずチェックしてね!いたら安全な場所に移動させる。お客さんに踏まれていたら、三日三晩泣くから」

「はいはい、分かりました。とりあえず二世君の確認に行ってきなさい」


 ものすごい勢いで階段を上がるところだが、万が一にでもクラウド一生が潜んでいるかもしれない。


 そう考えてしまうと、壁や階段の隅々まで確認しながら目的地に辿りつくしかない。藍は警察の鑑識課の人のようにそろりそろりとクラウド一世の証拠が落ちていないか探しながら部屋へと向かった。


 やはり食糧事情を考えれば、二階よりも一階にいる可能性が高い。


 もし、一世と再開できたら二世とのツーショット写真も撮りたいという願望がムクムクと膨らんできた。さらに言えば、亀井先生のアクリルスタンドを手に入れた藍にとっての『夢のスリーショット」が叶うことになる。なんなら、扇子に乗せて写真をパシャリもできる。


(あ~あ、待ちきれないな!!)


 スマートフォンに内藤さんやマスターからメッセージが届いていることに気がつきもせず、大好きな人と蜘蛛のコラボレーション想像した藍は心の中で思いっきり叫んだ。

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