第7話 信用するか信用しないかそれが問題だ
北千住界隈に住んでいない、または全く知らない人からすると驚くほど立派で大きな北千住駅の西口を出ると『いつものファミレス』へと向かった。
日は長くなり午後4時でも太陽の光が眩しいくらいだった。ベリーショートの美帆ががいつもの席に座っていた。藍に気がついた彼女は大きな手を振る。ベテーブルの上には山積みの問題集や教科書が置いてあった。
「いらっしゃいませ・・・・・・」
彼女が店内に入ると、長年勤めているパートさんが言いかけたお決まりの文言を途中で引っ込めた。
「今日も勉強?」
「はい、友達のヘルプで」
「まぁ大変ね。今の高校生はデートもできない忙しさね」
「あはは・・・・・・」
愛想笑いを浮かべて軽く会釈し、美帆が待つテーブルへと急いだ。
「いつもの人から『デートもせずに』って言われた?」
「言われた、言われた」
挨拶代わりにパートさんとの会話を小声で確認し合った。
決して上客ではないが、いつも客足が途絶えた時間帯に来て少額ながらお金を落とすため、悪い扱いはされない。とはいえ、毎回いつものパートさんから『デートもせずに』と聞かれるのがお決まりの挨拶だった。
「青春とは無縁だからね、私たち。あ、君は憧れの方がいるから青春真っ只中」
「美帆だって気になる人、いるでしょう」
「ないない。人間相手よりパソコン相手の方がときめくから」
アプリ開発にどっぷりハマっているいる美帆は、恋愛至上主義の人間が苦手ということもあり、一般的な高校生ライフには興味がなかった。関心のある専門分野を早々に学びたいと高専へと進学した。
「それにしてもこの山。課題多いと評判の学校に自分から進んで受験したんだから仕方ないでしょう」
「高校生ライフは充実しているけど、どうしても家でアプリ開発とかしたくなってね」
「おばさんとか呆れてない?」
「そんなの昔から。伝説の美容販売員の娘がIT系に走ったのだから不思議よね」
「自分のことなのに・・・・・・」
「でもね、ようやく娘にお洒落させることは諦めたみたい」
「それは何より。衝突が減れば家内安全」
「平穏無事が良いわけだが、それよりも今日は千駄ヶ谷で何があったの?」
提出しなければならない課題を片付ける前に、美帆は千駄ヶ谷での話を聞きたがり身を乗り出した。
「はいはい、それは後で。まずはこちらを片付けましょう」
美帆を威圧するように、ドサッとテーブルの真ん中に『やるべきこと』を置くと観念するように小さくなった。
「・・・・・・はい、分かりました」
「うむ、分かればよろし」
年配の先生のような言い回しをしながら、問題集や課題プリントを開き取り組む順番を一緒に考えるとどれだけ美帆が放置していたのかが分かる。
「まずは、古文から。『大江山』だね」
「もうさ、現代語でいいよ」
「教養」
「私、教養なくてもいいよ」
「ゲームでも、戦国物は人気のある定番のジャンルでしょう。歴史や人間関係しらないと楽しくないでしょう」
「たしかに。お気に入りのキャラがいると、つい色々と調べるな。その人が書いた手紙とかインターネットで調べることある」
「愛用していた刀や甲冑をみに展覧会に足を運んだり」
「そうそう!以上に戦国時代の歴史に詳しくなる」
「美帆が勉強した『大江山』は平安時代だけど、古文のジャンルの時代は長いから」
「長すぎてね。平安貴族の優雅な世界はちょっと合わなさそう」
「そう決めつけずに。アプリ開発でも、意外とそういう古文からアイデアが浮かぶことだってあるんじゃないの?」
「たとえば何がある。教えてよ。そしたらやる気出るかも」
「そうね・・・。重ねの色目とか」
スマートフォンで重ねの色目を検索し、美帆に見せた。
「いわゆる十二単ね。これ、けっこうおもしろいよ。『自分に似合う重ねの色目を探せ』とか。ファッションとか化粧品にも応用できそう」
「着物とか、色ね。完全にお母さんの得意分野だけどニーズはある」
「化粧しなくてもい自分に合う口紅の色を探すサービスとか実際にあるしね」
古文からかなり脱線したが、温故知新とばかりに現代の技術に活かせそうなものが隠れていることに気がついた美帆は、大人しく課題に着手した。
「何事も意味がある、か」
「流行や最先端を追っても意外と昔のものにヒントが隠れている、ってね」
「それ、誰の言葉?」
「亀井先生が、雑誌の対談で言っていた」
「また、亀井先生。何年経っている?」
「今年の春で四年目。もう、二十歳になったんだよね先生」
「ある意味運命を変えたわけだ。あんな激ムズの都立高校受験すると言い出したのも、彼の影響」
「だって、少しでも本郷に近づくためにはそれしかないでしょ」
亀井晴也四冠の実家は本郷周辺。両親ともに大学の研究職で、受け継がれた天才的な頭脳は将棋の方で発揮した。幼少期から神童の誉れ高く奨励会入会後も大きなスランプもなく走り抜け、中学生プロ棋士としてデビュー。『将棋の神様に愛される男』として棋界に君臨する若いスター。
どうすれば彼に近づけるか本気で考えた末、『本郷界隈の大学に進学する』ことが最短ルートだと結論付けたのだ。それが良いのか分からないが、きっとプラスになると信じていた。
「粘着質のファンよりは、ちゃんと彼に近づく手段として努力しているとは思うけどね」
「それ、褒めているの?けなしているの?」
「もちろん、褒めている。間近で藍の努力をみているから」
中学二年の春、商店街の氏家書店で見かけた将棋雑誌の表紙を飾っていた男性に一目ぼれしたことで人生が大きく動き出したのだ。
「もう四年経つのね・・・・・・」
「で、将棋は多少なりとも指せるようになったの?氏家のおじちゃんも気にしていたよ」
本当は将棋も覚えたいのだが、未だに居飛車と振り飛車の違いしか分からない。将棋アプリでも、十八級止まりという体たらくだ。それに比べ、氏家書店のおじちゃんはアマ強豪で藍のような『観る将』や『読み将』が良く理解できないらしい。
「野球をやらないけれどチームや選手を応援するファンと同じって、この前説明したんだけどね。イマイチ分かってくれない」
「今度さ、SNSの大盤解説の写真でも見せたら。きれいなお姉さんばかりで驚くかも」
「それいいね。就任パーティーでの画像も見せるか!」
観る将は女性中心に浸透しているが、やはり氏家のおじちゃんのような生粋の将棋愛好者には謎のようだ。とはいえ、藍は昭和の頃の対局日誌を図書館で借りて読み漁ったりもしているので氏家のおじいちゃんからは『よく知っているな』と感心されることも多々ある。
パンケーキを食べつつ、美帆は課題の古文を藍のアドバイスを聞きながら進めていき、藍はマネージャーのようにスケジュールを考えた。
「古文の次は数学だね。数学は美帆得意だから私の出る幕ではないかな」
「量が半端ない・・・・・・」
「頑張れ~」
「励まし方、軽っ!」
数的センスが抜群の美帆は、恐ろしい集中力で問題を解いていく。
「やった! 終わったよ。それにしても疲れた少し休憩していい?」
「残りは英語のみだよ!」
「お情け下さい・・・・・・。ウーロン茶を飲まして下さい。そして、千駄ヶ谷の話を聞かせてください。」
「分かったよ。全く仕方ないな、美帆は」
炭酸水もコーヒーもダメな美帆は、ドリンクバーといえばウーロン茶か紅茶、緑茶とお茶系しか飲まなかった。
「で、千駄ヶ谷で知り合った探偵さんってどんな人?」
たっぷりの氷をグラスに詰め込んだウーロン茶を美味しそうに飲みながら、美帆は待ってましたとばかりに尋問をスタートした。
「地元の人。七十代半ばくらいのおじいさん。氏家のおじちゃんと同年代かな。」
「本物なの?」
「元刑事ってことだけどメモの取り方みても、本物だと思う」
「それで、どんな事件が起きたの」
「元刑事で探偵している内藤さんの孫娘さんの大切なマスコットが紛失した」
「で?」
「だから、マスコットが紛失したの。新宿御苑で」
「それだけ?」
「そう、それだけ」
美帆は明らかに落胆した表情を浮かべた。
「すごい大事件かと思って、ワクワクしていたのに孫娘のマスコット探しとはね」
「でもね、本当に犯罪の匂いがするの」
藍は声を潜めてそう告げた。
「ど、どいうこと?」
「しっ、静かに・・・・・・」
藍は周りを見渡して声のボリュームをさらに下げて話を続けた。
「お孫さんは高校一年生でデビューして半年のアイドルグループのファン。推しメンの限定マスコットを通学カバンにつけていた」
それまでとは打ってかわり、美帆は目を見開いて黙って話を聞く。藍は淡々と新宿御苑や原宿界隈で起きている紛失事件の話をした。
「なるほどね。転売屋の犯行の線が濃厚か。それで、藍がおとり捜査官になるわけ」
「そういうこと」
「和柄の布選びはこの界隈なら簡単だけど、そんなの相手にして大丈夫?」
「内藤さんが知り合いの刑事さんと連絡しているみたいだけど」
「物取りだから、大勢の警察官が潜むことはないでしょう」
「たしかに、そうだね・・・・・・」
「それに、元刑事で探偵といっても七十代のおじいちゃん。マスターっていう人も年齢不詳。怪しい身なりの大学生は、柔道とか空手とかやっていそう?」
親友から鋭い指摘に藍は黙るしかなかった。内藤さんは多少なりとも護身術が身についているかもしれないが、残りの二人はそういう気配を感じられなかったからだ。
「う~ん、ちょっと考えなかったかな・・・・・・。内藤さんは元刑事だから護身術とかできそうだけど、年齢的に厳しいか」
「ほら、甘すぎ。そんな頼りない人に囲まれて、おとり捜査なんて危ないでしょう」
美帆の意見に反論できず、藍は天井を見上げた。
「外で人の目もあるし、刑事さんが見守っているから大丈夫だよ。うん。」
自分に言い聞かせるような様子に、美帆はあきれ顔でウーロン茶を飲み干した。
「数学はあと残り2ページ。必ず昼間で刑事さんや警官が複数人隠れている状況。それが不可能ならおとり捜査には参加しなと条件突き付けな」
「分かった分かった。ちゃんと連絡しておく」
「今、ここでメッセージ送信しないと私が全力で阻止するから」
親友からの厳しいアドバイスを聞き入れ、グループメンバーにメッセージを打ち始めた。
『友達が心配しているので、必ず昼間行い複数人の刑事や警官が隠れているようにして欲しいです。よろしくお願いします』
メッセージを見せながら送信すると美帆は満足げな表情を浮かべた。
「これでひと安心。あとは相手からのメッセージを確認して、お開きにしましょうか」
「もう課題はOK?」
「ああ、英語の長文読解がサッパリだから助けてください・・・・・・」
「はいはい、分かりました」
消え入りそうな声で嘆願してきた美帆から渡された英語の課題を見て、これは厄介だなと心の中で思いつつ母親にメッセージを送った。
『駅近くのファミレスで人助け中。帰りは少し遅くなる』
帰宅するのは一時間後くらいだろうかと美帆は考えながら、最後の最後にラスボスを残した友を救うべく長文と向き合った。
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