第6話 ホームタウンへの道の途上
ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトン。
日曜日の午後四時の都心を走る電車はまだ混みあう直前ということもあり、総武線の車内はさほど混んではいない。
(あと、連休明け直後の日曜日でみんな出かけ控えとかもあるか)
最後尾車両に乗った藍は、去り行く千駄ヶ谷の風景を心に焼き付けた。
近いうちにまた来るだろう。けれど、今日は『初めて千駄ヶ谷に来た記念日』。この日の風景を忘れたくなかったからだ。
黄色い総武線の電車が次の駅に近づく頃には東京版エンパイアステートビルが見えなくなった。
藍が乗り換える秋葉原駅へと車体を揺らしながら電車は走り続ける。信濃町駅からしばらくは都心の中でも線路脇に緑地が見え、大都会のオアシス的な雰囲気を出していた。
こうして東西を走る電車に乗っていると、同じ東京でもエリアによって趣が全然違うと藍はしみじみと感じた。
どこの街が良いかは人によって様々だが、下町育ちの彼女にとって、今回の小旅行は新しい東京を垣間見た機会にもなった。
(学校から時々通うとなると、千駄ヶ谷駅よりは丸の内線で新宿御苑前駅で降りた方が楽かな。足腰鍛えられそうだし、色々な蜘蛛がいそう!)
電車に揺られながら、彼女は日常生活の行動範囲が突如として広がることに高揚感を覚えた。
マスコット紛失事件の現場でもある『中の池』は千駄ヶ谷門寄りで、高校から直で来るには反対方面の『新宿門』か『大木戸門』が最寄りの入り口になる。御苑の中を突き抜けるように歩かなければいけない。
(直進が一番いいけど、それだと蜘蛛探しに支障が出る……。だけど、長距離歩くと体に負担がきそう)
蜘蛛探しに絶好の場である一方で、アチコチ歩き回ることで筋肉痛になり、筝曲部や教室で正座が出来なくなるのが心配だった。それでも、通い続ければ体を鍛えられるし、家の近くでは出会えない蜘蛛、レアな蜘蛛を見つけるチャンス失う方が嫌だった。
(そにれ事件が解決したらきっと亀井先生もタイトル防衛を果たす。そう願掛けしよう!)
それにしても、降って湧いたような『千駄ヶ谷通い』の話は、藍にとってこれまでの高校生活を一変するような出来事だった。
部活は発表会が近づいたときは忙しくなるが、普段はそこまで忙しくない。入学して一年経つが、部活動が学校生活への影響ははそこまで大きくないことは分かっていた。その代わり、千駄ヶ谷通いをすると勉強時間が減る。さらに観る将を楽しむ時間も減る。
藍はなんだか損をした気分もするが、内藤さんの孫のユミさんの恨みを果たす助けをすれば天の神様も味方してくれると前向きに考えるようにした。
(それに味噌ラーメンも食べれるし、時間がある時はマスターのお店で問題集でも解ける!)
そして、千駄ヶ谷に通っていればいつの日か憧れの亀井先生と会う機会が転がり込んでくるかもしれない。
そう思うと自然と彼女の顔はニヤニヤし、その表情が電車の窓に映っていた。それに気がつき慌てて真面目な顔をしたが、周りにいる人はスマートフォンでゲームをしたり、SNSをしていたりと誰も藍を見ていない。
気恥ずかしい気持ちのなか、誤魔化すようにリュックの中からスマートフォンを取り出した。
(誰からかメッセージ届いているかな?)
リュックからスマートフォンを取り出してみるも、マスターや内藤さんからではなく母親や幼馴染の美帆からのメッセージだけが届いていた。
母には『もう少しでアキバに着いて乗り換え』と送信し、美帆には『扇子はゲット! でも、アクリルスタンド完売』の一文と涙マークのメッセージスタンプを送った。
すると、10秒後に美帆からのメッセージが届き、今日の出来事を報告した。
『まじで!どんだけ人気あるのよ亀井さん』
『何度もすごい人気だって言ってきたじゃん!千駄ヶ谷、きれいなお姉さんアチコチにいたんだから』
『まるでアイドル』
『将棋界の貴公子だから。お姉さんたち、亀井先生がよく頼んでいる将棋めしのお店に行くって話していた』
『それと、なんか知らないけれど探偵見習いになった』
『ハァ?!』
『美味しい味噌ラーメンの匂いがして、その喫茶店に入ったら元刑事で探偵やっているおじいさんと知り合った』
『なにそれ、二時間ドラマ!?』
秋葉原駅が近づくと電車のスピードも落ちてくるのと反比例するように、美帆から届くメッセージ間隔のスピードが上がってきた。
『というか、なんで千駄ヶ谷に行ったら探偵に会う?』
『それって騙されているんじゃないの?』
『女子高生を狙った犯罪者かもしれない!』
(美帆ったら、どんだけ暇しているのか……。うん?誰から?)
美帆のメッセージがどんどん届くが、今度は彼女の言うところの『怪しいおじいさん』である内藤さんからメッセージがきた。
『明日から和柄の布を探して欲しい。平日の部活のない日にこっちに来て打ち合わせをしたい。ユミのためにも早期解決をお願いしたい』
内藤さんから事務的なメッセージを読み終わると同時に、マスターのメッセージも受け取った。
『相手は着物とか詳しくないだろうから、似た柄なら高いものでなくても大丈夫でしょう、と木原君が言っている。だから、似た色味と柄ので十分だよ』
(内藤さんと木原さん、まだマスターのお店にいるんだ)
『あと、木原君が味噌ラーメンのライバルが増えたことを知ってショックを受けている』
木原さんの小ネタに思わず吹き出しそうになったが、彼の『ライバル出現で落ち込む』という気持ちも何となく分かった気がした。
お琴のお師匠さんなら遠くからでも『いい着物か』『どこのか』がある程度分かるが、素人は分からないだろう。それならば、家や近所の知り合いのお婆ちゃん達が持っている生地で十分で、浅草まで買いに行く必要はないと藍は判断した。
浅草に行く口実がなくなったことは残念だが、色々あり過ぎてすっかり忘れていた『布探し』を思い出し、明日から本格始動する『探偵見習い』としてやる気が出てきた。
『近所に着物道楽のお婆ちゃん達がいるので、探してみます!ユミさんの為にも、早期解決しましょう』
ちょうど秋葉原駅で乗り換えた、北千住方面行の電車が出発すると同時にメッセージを送信すると藍はふと考えた。
内藤さんは探偵と言っても、ほぼほぼご隠居さん。マスターは喫茶店経営をしているけれど、お世辞にも忙しそうにみえない。
時間のあり余った二人から、毎日大量にメッセージが届くのではないかと不安を覚えたが、その一方でまめにメッセージを送ろうとする二人の姿を想像すると笑えてきた。
(24時間前は知り合ってもいないのに、この親近感はどこからくるのだろう?それに、早期解決したらもう行けないのか……)
彼女自身もその謎に答えられず戸惑った。それと同時に、数回で事件が解決して千駄ヶ谷通いが終了してしまうことも、少し寂しい気持ちになっていた。
『で、もう少しで北千住に戻るんでしょ。駅で待っているから、ゆっくり話を聞かせてね!』
センチメンタルな気持ちになっていた藍を叩き起こすようなメッセージがまたまた美帆から送られてきた。
『学校の宿題が溜まっているって嘆いていたじゃん。まっ、それを片付けてから話をしてあげる』
『そんな冷たいこと言わないでよ。藍に教えてもらうから。西口のいつもの店についているし、改札出たら直で来てね。ヨロシク』
(まったく! 勝手なんだから)
同じ町内会で同学年の藍と美帆は物心ついた頃から一緒に遊んできた仲だ。高校はそれぞれ別の学校に進学したが、時間があれば今も一緒に遊んでいる気心の知れた大親友だ。
容姿が優れていることでやっかみを受けることもあった藍を助けてくれたり、目立つことが好きではない藍に『美少女オーラを消す方法』を考えてくれたりと小さい頃から何度も窮地から救ってくれる頼もしい存在でもある。
恋愛に疎い藍が中学二年生の春に亀井晴也に一目ぼれしてからずっと、彼の素晴らしさを一番聞いているのも美帆だった。
『分かった、分かった。宿題も教えるし、探偵見習の話もする。だけど、宿題を全部片づけてからね』
条件を付けないと、最初から千駄ヶ谷での出来事を聞くのに夢中になって宿題片付けることはできない。容易に想像がついた藍は条件を突きつけた。
『そう来ると思った。仕方ないな、条件をのむよ。今度の水曜日までに全部出さないといけないから』
『ところで、何の教科が一番キツイ?』
『うん? 全部かな』
『はぁ?』
『うそうそ。とりあえず、英語と古文と数学』
『ぶっちゃけ、全部ヘビーな教科じゃない?』
『その通り。ヘビー級だからこそ、貴女様のお力が必要なのです』
『残りはどのくらいなの。あと3割とか?』
『アハハ。驚くなかれ、なんと7割』
『ごめん。無理だわ』
親友と他愛のないやり取りをしていると、新着メッセージが届いた。
(マスターからだ。今度は何だろう?)
藍は急いでメッセージを読んだ。
『そういえば、自己紹介がまだでしたので。喫茶店のマスターこと米山邦彦。生まれも育ちも静岡県の海沿いの町。店に来る人からよく年齢不詳と言われるので、それを良いことに実年齢は非公表。北千住や南千住はかつてよく足を運んでいた界隈なので、山際さんと会えたのも何かの縁だと思っています』
(なるほど、米山邦彦。だから内藤さんが邦ちゃんと呼ぶんだ)
『木原君、木原春翔君は新宿御苑が好きで、よく散策しています。その際に店に立ち寄るのが彼の日課になっているようです。山際さん同様、味噌ラーメンが大好物。見た目はアレだけど、好青年だから心配なく』
(木原さん、春翔という名前だから春生まれか。でも情報、少なすぎ!まぁ、あの辺りに住んでいる大学生なんだろうけど。やっぱりマスターでさえ指摘する怪しい外見・・・・・・)
『ご丁寧にありがとうございます。同じ都内でも街のカラーが違いますよね。機会がありましたら、是非いらしてください』
メッセージを送信すると、そろそろホームタウンである北千住の駅が近づいてきた。
相変わらず美帆から連続してメッセージが送られてくるが、数分後にはいつもの場所で会うのだ。わざわざ送る必要はないとばかりに、スマートフォンをリュックに入れた。
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