第4話 推し活を逆手に取る存在
これ以上、御苑にいても調査が進みそうにないと感じた一行は『二歩』に戻った。
心の底から蜘蛛探しをしたった藍は、再訪する時はこっそり小さな虫かごでも持参してこようと思った。
「ラーメン、食べるか?」
ラーメン目当てで来店したという木原さんに向かい、マスターが声をかけた。彼は大きく頷き、定位置と思われる入り口から一番遠いカウンターの端にさっと座る。
その様子から『自分はこの喫茶店の常連客です』と周囲の人に無言でアピールしているように映った。
(それにしても、なんでこの店に入ったのかしら。ネットにもほとんど情報ないし……)
木原さんが常連客になった経緯を探ろうとしたが、藍は理由が何となく分かった。きっと自分と同じように味噌ラーメンの匂いにつられて入店したのだろう。
(あの匂いは、内藤さんの年齢層のハートはつかめないけれど、若年層にはグッとくるはず)
本人に確認もしていないのに、自分と同じような行動をしたはずだと彼女なりに結論付けた。
その一方で、内藤さんは知り合いの刑事さんに連絡をし、アイドルのマスコットの盗難事件が多発していないか確認していた。
(どうしよう。このまま将棋会館に行けないで一日が終わってしまうかも……)
藍は藍で悩んでいた。
せっかくの休日が思いもよらない方向に進んでいること。さらに品薄状態が続いている『亀井晴也四冠のアクリルスタンド』が入荷したというSNSの情報を入手し、満を持してこの街へ来たというのに、あの味噌ラーメンが全てを狂わしたのだ。
(花より団子を選んだ私が悪いのね……)
女性ファンが次々アクリルスタンドを買っていく様子を想像すると、彼女はめまいを覚えた。将棋のイベントに殺到するきれいなお姉さんたちの姿。みんな、将棋の貴公子に夢中なのだ。
(就位パーティーとか参加してみたいな。でも、申し込んで当たって先生が目の前にいたら、まともに話せる自信ないな)
藍は申し込んでもいない就位パーティーのことを妄想してニヤニヤしながら目の前のアイスティーを飲んだ。
しかし、次の瞬間、内藤さんの言葉で現実に戻された。
「知り合いに聞いたけど、原宿や新宿そして御苑でも転売して儲かりそうなマスコットとかぬいぐるみが盗まれている被害が増えているようだ。人気のあるアイドルグループばかり。ユミのも、デビューして勢いがあるからだろってさ」
木原さんは内藤さんの情報を基に、自分なりの推測を喋り始めた。
「やはり、転売目的で間違いないですね。被害に遭った子、全員が交番に駆け込んで事情を説明するわけではないでしょうから、総被害数はかなりのものでしょう。原宿、新宿なら人混みに紛れてカッターで手際よく切れば、周囲に警察官や目撃者がいない限り『誰がやったのか』は分かりにくいですね。それに比べて、御苑なら張り込みをすれば比較的簡単に犯人が見つかるはずです」
元刑事かつ探偵である内藤さんは、うんうんと感心したように頷きながら話を聞いていた。
「盗まれたものとは知らず、購入している子もいるんだろうな。しかも元値よりも高い値段で。とにかく、これでお嬢ちゃんの力が必要になったのは確かだ。俺とか邦ちゃんがマスコットをぶら下げても狙わないだろう」
二人が可愛いマスコットをカバンにぶら下げて歩いている様子を想像し、藍は思わず笑ってしまった。すると、木原さんもクスクスと声を出して笑っている。
(案外、中身は普通の人なのかもしれない)
彼の性格を垣間見たこともあり、少し安心した彼女は捜査協力の条件を緩める気持ちが不思議と出てきた。
「平日も部活がない時は協力できます。家から直で来るより、学校の方が千駄ヶ谷は近いので」
内藤さんはその言葉を聞いて思わず手を叩いて喜んだ。
「それならホシを見つけるのも早くなるな。で、部活は何をしているんだい?忙しいのか?」
「筝曲部です。お琴です。週に3回ほど練習があります」
「これまた上品だな」
琴をやっていると口にすれば必ず言われる『上品』という言葉。その度に説明をするセリフを藍はスラスラと述べた。
「近所に教室があって、わりと周りの子も習っていたので『普通』だと思って育ったんです。近所のお婆ちゃんたちも演奏できる方が多かったので。高校に入ってからそういった環境が『ちょっと普通』ではなかったことに気がつきました」
味噌ラーメンを作るためにその場にいなかったマスターがどんぶりを持って、藍の前に現れた。話はしっかり聞いていたようで、彼女の爪が短い謎が解けたとばかりといった風に切り出した。
「どうりで爪が短いと思ったよ。お洒落したがる年頃なのに。内藤さんとこのユミちゃんはどうなの? やっぱりゴテゴテに塗ったりしている?」
お店の中に味噌ラーメンの良い匂いが充満していく。まだ食べてそう時間が経っていないというのに、再び藍が『食べたい』と思わせるのだから相当だ。
「ゴロゴロしている石とか、青に染めているな。なんだかよく分からないけど、『みー君は青だから』とか言っているな」
「グループ内でメンバーにそれぞれ色が決まっているんですよ。ユミさんの推しは青がイメージカラーみたいですね」
藍の言葉に内藤さんはキョトンとした。
「『おし』ってなんだ?」
「好きなアイドルや、キャラクター、スポーツ選手などなど、応援したいことを『推し』と呼んでいるんですよ。漢字で言うと、推理探偵の推です」
「それか!そこに神社があるんだけどさ、女性がたくさん押し寄せて絵馬に応援している棋士の必勝祈願メッセージが増えているんだよ。それも『推し』の一種か!」
内藤さんの言葉に藍は頬が赤くなるのが分かった。店内の照明が暗いからよいものの、外だったら確実に動揺しているのがバレていただろう。
「そういや、最近も連盟の売店もお洒落な服着た女の子が殺到しているって近所の人が口にしていた。まるでアイドルのコンサート会場みたいだって。大昔ならあり得ないことだよ」
その言葉を聞いて、藍は落胆した。
もう、今から行ってもアクリルスタンドを手に入れることは難しいだろう。しかし、今回の事件をきっかけに千駄ヶ谷通いを続けていれば、遅かれ早かれ欲しいものは手に入る。しかも、運賃はマスターと内藤さん持ちなのだから、悪いこと尽くめでもない、と自分に言い聞かせた。
「で、完全に転売目的の盗みなら欲しがりそうなマスコットを準備しないといけない。どうする、内藤さん?」
「うちのばあ様は針仕事が得意だから、材料を買って来れば似せて作れると思う。ただ、入手困難レベルの品が分からないからユミに確認しないといけないな」
いつの間に味噌ラーメンを完食していた木原さんが話に入ってきた。
「それならば、限定品が確実です。さらに言うと、ファンクラブ限定かつ抽選ならなおのこと。世の中に出回りにくい商品ほど、高値で売れるので転売屋の方々も喰いつくでしょう」
(なるほど、たしかにそれならハードルが高くて欲しい人は高くても買う)
「ということは、一番狙われそうなのが『ファンクラブのメンバー限定』『さらに抽選のもの』か。よし、お嬢ちゃん今から調べてみてくれ。俺はユミに聞いてみる」
「え? あ、はい……」
ファンクラブに入っている人向けに販売するマスコットやぬいぐるみは、申し込み数が予定量を越えると抽選するのが常だ。。
正直、そういう世界に疎い彼女はどういった類のものが人気あるのか分からなかった。
とにかく、入手困難なものに絞っていくと見覚えのある和柄のクマのぬいぐるみに辿り着いた。
「これなんかどうでしょうか。珍しいデザインです。たしか最近、浅草に行ったときにみかけました。私でもメンバー全員の名前を言えるほど有名なアイドルグループのです」
それまでカウンターの席から話を聞いていた木原さんだったが、歩み寄り藍のスマートフォンを覗き込んできた。
「これは、呉服店がプロデュースした貴重な織物を使用したオリジナル商品ですね。なるほど、個数も少ない上に値段も張る。でも、欲しがる方は欲しがりますね。着物に詳しくなければ度の織か分かりません。デザインだけ似せれば大丈夫でしょう」
(ちょっと着物に詳しいのね。大学で日本史とか服飾を学んでいるのかしら)
「着物か。ばあ様も若い頃はよく着物を着ていたけれど、今じゃすっかり洋装ばかり」
「着物姿に惚れたって、内藤さんポロっと言ってたものね。でも、着物をよく来ていいて針仕事が得意なら作ってくれるんじゃないの?」
内藤さんの愚痴にマスターが過去の話を盛り込むと、照れたように頭をかいてうつむいた。
「私、浅草で似たような生地を探してきます。お琴の先生が呉服屋さんの知り合いも多いので」
「こういう時、浅草界隈の子は強いね。それなら、お嬢ちゃんが生地を探してくる。こっちはばあ様とユミが共同して作る予定のマスコットの大きさとかを調べる。材料が揃ったら作り、完成したらお嬢ちゃんが御苑で犯人をおびき寄せる」
お互いの健闘を祈るように藍は内藤さんと頷きあった。しかし、そこに割り込むように木原さんが口を開いた。
「旬のアイドルグループではないので、数週間で仕上げないといけないものではないでしょう。大切なのは『いかに本物水準のものが作れるか』です。とくにマスコットが身に着けている着物で判断するでしょうから、なおさら重要です」
話ながらおもむろに藍の方を向き、圧力をかけるように語気を強めたことに一瞬驚いた。
(どうして、こんなに力を入れているのかしら。もしかして、ユミさんのことが気になるとか?)
『二歩』の常連なら、内藤さんの孫娘さんとの面識もありえる。さらに、ユミたちが御苑にいる時間帯に散策していたのも怪しい。
(なるほど。気になる女の子のために一肌脱いでポイントを稼ごうとしているのね)
変わった風貌だけれど中身は若い男性そのものだと思うと、笑うのを必死にこらえた。
ちょうどその時、片付けを終えたマスターがテーブル席に近づいてきて彼女に声をかけた。
「木原君には私が連絡するからいいとして、内藤さんと私とお嬢さんでまずは連絡交換しようか。ところで、お名前は?」
「や、山際藍。都立高校二年生です」
まさか初めて千駄ヶ谷にやってきた記念すべき日に、年齢不詳のマスターと元刑事で探偵の70代のおじいさんと知り合い、事件の捜査に巻き込まれた上、連絡先の交換をするなんて誰が予想しただろうか。
『人生とは先が全く読めないもので、将棋も一局一局が一つの人生です』
先日読んだばかりの将棋世界のインタビューで語っていた亀井先生の言葉を思い出しながら、今日の朝まで知り合いでもなかった二人と何の躊躇もなく連絡交換する藍であった。
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